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「人」と色彩の交感―足代義郎展によせて

陰里鉄郎

足代義郎展を開催するはこびとなった。昨1986年に喜寿を迎えた足代義郎であれば、1945年以前、つまり敗戦までの画家足代義郎の最初期の作品が戦災によって焼失したとはいえ、その後40年余の制作活動があり、今回の油彩作品56点に若干の水彩素描を加えたにとどまる構成によって足代義郎の全貌が示されうるかどうか、いささか不安がないわけではない。しかし、各時期の代表的作品、また作者自身が意識したかどうかは別として、いくつかの連作的制作や、前後の関連からひとつの系譜を形づくっているといった作品群のなかから選択し、それらによって密度の濃い内容の構成と展示に成功すればこの不安もおおかたは解消できるのではないかとおもわれる。そして今回の足代義郎展には、「「人」と色彩の交感」という副題が添えられている。この「人」は、あるいは「生」と措き換えてよいかもしれない。ここでいう「人」とは、人間一般でもあり、足代の画面に頻繁に登場してくる形としての人間、ひとがたでもあり、抽象化された人間像でもある。そしてなによりも“生”をもつ、生きている人間そのものを意味している。すなわち、この副題は、足代義郎の平面造型のなかにみられる形として人体造と色彩との豊かな交感、その緊密な交感によって造型されている画面、と同時に、戦後の厳しい社会を透徹した思索と人間的な感情の豊かな詩情とをもって生きてきた画家足代義郎という個性をも意味するものである。鮮烈で豊穣な色彩世界は足代芸術の大きな特色のひとつである。その意味では、もし画家を素描家と色彩家に単純に二分するとすれば、足代義郎は色彩家に属するであろうが、ひとつの個性はそれほど単純に区分できるものではない。それにしても足代義郎の作品のまえにたつと、この画家の色彩家としての稟質の高さを感じさせられてしまうのである。色彩は、それ自体である種の表現的性質をもっている。フォーヴィスムや表現主義系の画家の多くが色彩家であるのはそのためでもあるが、足代義郎の画面には、とくに1960年代以降の画面には、足代のこのすぐれた特質が濃厚にみられる。 さきに、人間的な感情の豊かな詩情、と書いた。この画家は、自己の思索を絵画のなかに塗りこめ、色彩の交響のなかに詩をうたいあげる。また一方で、アフォリズム風の詩的な短文を紙片に書きとどめているようである。そこには足代義郎と人間と自然と社会、そして芸術についての思索が簡潔に圧縮された形で示されていて興味深い(昭和47年刊行の『足代義郎画集』に収められている)。アトランダムにそのひとつをあげると

 例えば
 もしも 一本の線で 人物を感じさせることができれば それで 終わるべきだ
 外見が人間の形態からきわめて遠い構造が人間の体質を伝えることができる事実を知るべきだ

といったようなものがある。そしてまた、

 その血の赤は
 時の推移とともに 黒ずむのであった

といった衝撃的な文句にであう。この「血の赤」はこの画家自身の血の赤であり、ここでは世俗的なものに関与したことへの悔恨と諦観がこめられているが、ふと「血の赤」が画家の画面の色彩と重なってくるようにおもえたりするのである。こうしたアフォリズムのなかで、足代義郎はデッサンに触れても色彩を語ることがない。にもかかわらず、この画家は、他のなによりも色彩によって自己の生と思索を表現しているように私にはおもわれる。

足代芸術の展開については別稿によって詳述されるであろう。絵画を言葉によって語られることをこの画家は好まないことを私は承知している。浅薄な言葉で絵解きする必要はもちろんないが、感性をとおしての認識が言葉に置換されてより深い認識と思想に深化することのあるのも事実である。

この画家のいう“風の道”で心を洗い、なお絶えることなく制作をつづけている足代義郎のアトリエ蝮谷庵を訪れて、盃をかわしながら語られるのは、“人間の顔と石とが双子”で、“林と水が親類”であったりするであろう(“ ”内の語は「月曜ずいそう・風鐸を聞く」より)。これが足代義郎の芸術についての対話である。楽しいではないか。

(三重県立美術館長)

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