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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 2004 > 20世紀美術にみる人間展 愛知・岐阜・三重 三県立美術館協同企画展図録 6

6.人間と人間

当然のことですが、人間は一人で生きることはできません。他者との関係は、能動的なものも受動的なものもあるでしょう。プラスのベクトルを持つにせよ、あるいはマイナスのベクトルを持つにせよ、人間は他の人聞と何らかの関係を保ち、様々な感情を抱きながら生きています。

このことは、人間を主題とする造形作品にも顕著に現れています。本章の作品に共通するのは、何らかの形で人間と人間との関係が表されていたり、作者と他の人閤との関係に基づいて制作されていることです。

そうした意味で、エドヴァルト・ムンクの版画集《マイアー・グレーフェ・ポートフオリオ》(6-2)は、近代社会で人と人とが相結ぷ関係の諸相を見ることができる格好の素材といえるでしよう。この8枚からなる版画集は、1895年にムンクの友人で美術評論家のユリウス・マイアー・グレーフェによって刊行されたもので、ムンク初期のタブローと共通する図柄の版画がおさめられていることでも知られています。

たとえば、その中の一図《二人:孤独な人たち》には、私たちに背を向けて海岸に立つ男女二人の姿が描かれています。白いドレス姿の女性とは対照的に、男性は暗い衣服を着て女性の斜め後ろに立ち、女性の背を見つめているようです。一緒にいながら、心が通じない二人なのでしょうか。また、《病める少女》は、1885年から翌年にかけて描かれた油彩画に遡るモチーフを示していますが、この作品の背景には最愛の母と姉を相次いで結核で失ったムンク自身の体験があるといわれています。

死、愛、孤独はムンク作品のキーワードとしてよく知られています。人生の中で誰もが体験するこうした体験と感情は、19 世紀末の不安な時代を生きた人々誰もが共感するものでした。むしろ、それらは世紀末の人々だけではなく、他者とともに生きざるを得ない人間の宿命であるともいえるでしよう。

一方、フォーヴィスムの代表的画家アンリ・マティスの《待つ》(6-4)は、南仏ニースに彼が滞在していた時期の作で、日常生活の一コマをとらえた親しみ深い作品です。舞台仕立てとして海岸に面した窓が巧みに取り込まれていますが、こうした画面構成はこの時期のマティス作品にしばしば見ることができるものです。絵の具体的な内容はわかりませんが、二人の女性の仕草からは期待と不安が入り混じった落ち着かない様子を強く感じることができます。これも、多くの人が共感することができる生活感情といえるでしょう。

日本人画家の作品にも人と人との様々な関係を見ることができます。京都を中心に活躍した洋画家鹿子木孟郎の《津の停車場(春子)》(6-6)は、津の中学校に図画教師として鹿子木が赴任していた時期の習作的な絵です。この作品に描かれているのは、後ろ姿の女性一人だけですが、作者鹿子木とこの女性は深い絆で結ばれています。鹿子木は津時代に結婚しましたが、この絵の女性は鹿子木の新妻春子なのです。鹿子木も春子もともに岡山の出身です。故郷を遠く離れて嫁いだ妻に注がれる画家のやさしい眼差しをこの作品に感じるのは、穿ちすぎでしょうか。

喜怒哀楽をともにする友人・恋人・家族、主従関係を結んだ人間、一時限りに終わる関係など、様々な人と人との交わり、感情を画家たちは描き出しています。そして、そうした他者との様々な交わりの中で、芸術作品は生み出されてきたのです。

(毛利伊知郎)

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