このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

5.人間の生命

人間の生命を視覚的に表現することは可能でしょうか。生命を人間の本質ととらえれば、人間の真の姿を表現するとはどういうことかという設問も成り立つでしょう。見えるがままに姿形を写し取れば、それでよいのでしょうか。命という抽象的なものは眼には見えませんから、眼には見えない何ものかを表現しないと、命を表現したことにはならないともいえます。

これは、非常に難しい根源的な問題です。洋の東西を問わず、生命、あるいは人間の本質を表現する方法とその考え方の根拠を追い求めてきたのが、造形の歴史であったといっても誤りではないでしょう。

この章は、人間の生命そのものを表現しようとした作家たちの作品によって構成されています。それらの作品は、対象を見えるがままに表現するのではなく、むしろ対象の内面に存在する本質的なもの−生命感を写し取ることを重要な課題として制作されたということができます。

この章の冒頭を飾るオーギュスト・ロダンは、彫刻の分野でもっとも早く内面描写の重要性を唱えて、近代彫刻に新しいページを開いた作家です。ロダンは、18世紀フランス彫刻界を支配していた外形模倣を旨とするアカデミックな彫刻の在り方に疑問を抱き、古代ギリシアやイタリア・ルネサンス彫刻を研究し、自然法則を把握して人間の内的生命の躍動感を表現した独自の彫刻を確立しました。

ロダンによる新しい彫刻表現は、プールデル、マイヨールらに伝えられてフランス近代彫刻の新しい流れを形成します。また、ドイツではレーンブルックや′バルラッハらによって20世紀初頭に内面表出を大きな特徴とする表現主義彫刻の系譜がつくられました。

ロダンに始まるフランス近代の生命主義的彫刻表現は、高村光太郎や荻原守衛ら日本人彫刻家の心もとらえました。高村光太郎が翻訳刊行した『ロダンの言葉』は、大正斯から昭和前期の昔年彫刻家たちに強い影響を与えて、わが国の近代彫刻に一つの系譜をつくることになります。

こうした彫刻界の動向と軌を一にして、わが国では明治末から大正期にかけて、在野の青年画家たちの間に作家の内的感情を強く表現する傾向が高まります。

彫刻家中原悌二郎の親友でもあった中村彝は、中原や荻原守衛らとともに新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻を中心とするグループにいましたが、相馬夫妻の娘俊子をモデルにした《少女裸像》(5-4)には、青年らしい情熱と純粋な生命感が表現されています。

また、雑誌『白樺』などを通じて紹介された後期印象派やフォーヴィスムなどから強い影響を受けて出発した岸田劉生は、やがて北方ルネサンスの画家デューラーの細密描写に傾倒します。劉生の周囲に集まった木村荘八、河野通勢、彼らの影響を受けて名古屋を中心に活躍した大沢鉦一郎や宮脇晴らは、緻密な写実表現を通じて対象の生命感を表現しようとしました。

以上のように、19世紀末から20世紀初頭にかけての時期には、西洋の新しい芸術の動向に敏感に反応するかたちで、ジャンルを越えて人間の生命に迫ろうとする様々な動きをわが国の美術界にみることができます。しかし、それは単なる造形表現の問題にとどまりません。進化と同時に様々な矛盾が拡大化する文明社会に対する疑問、その中で改めて一人一人の人間を見つめ直そうとする根本的な問題意識があったことを忘れてはならないでしょう。

(毛利伊知郎)

ページのトップへ戻る