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2.自己を見つめる

この章には、自画像が集められています。洋の東西を問わず、自画像が造形作品の重要なジャンルであることはいうまでもないでしょう。自画像の歴史を遡りますと、日本では室町時代に描かれた作品が、また西洋では14世紀から15世紀の作例が現存していますが、記録の上では古代から自画像、自刻像が制作されていたことが知られています。

このように長い歴史を持つ自画像は、制作の動機や形式からいくつかのタイブに分けられることが明らかにされています。しかし、私たちが先ず思い浮かべる自画像というのは、西洋ではゴッホやセザンヌ、ピカソ、日本では岸田劉生、村山槐多、萬鐵五郎、小出楢重ら、いわゆる近代画家たちの自画像でしょう。

これら近代画家たちによる自画像の多くは、「研究型」あるいは「独立型」と呼ばれる自画像に属しています。「研究型」自画像は、画家自身をモデルにして人間の身振りや表情を鏡に写して研究するために描かれた、発表を目的としない私的性格の作品といわれています。また、「独立型」は自身の存在をアピールするために、あるいは自分自身を見つめ直すために、公表を前提にして画家自身の姿を描き出した本格的自画像です。

この展覧会に出品される西洋画家の自画像は、画家エミール・ノルデとオットー・ミュラーの版画作品のみですが、この二人は20世紀初頭に結成された青年画家のグループ「ブリュッケ(橋)」に属した、ドイツ表現主義の中心画家として知られています。人間は、この二人だけではなく他の表現主義の作家たちにとっても重要なテーマでしたが、出品の自画像には自分自身の存在の意味を問う緊張感のある表現を見ることができます。

また、第4章に位置づけたウィーン分離派の画家グスタフ・クリムトの《人生は戦いなり(黄金の騎士)》(4-1)は、黄金の甲冑をまとう騎士が美しい花々の咲く野原を栗毛の馬に乗って行く様子を表しています。この作品は、新しい芸術表現を打ち立てようと戦いを続けるクリムトと彼の盟友たちの心情と行動を擬人化したといわれていますが、そうした意味ではクリムトの芸術上の自画像としてこの作品を本章に入れることもできるでしょう。

一方、日本人画家たちの自画像は、主に大正期の1910年代を中心とする二十余年間に描かれた作品が出品されています。西洋的な意味の「独立型」自画像がわが国で描かれるようになるのは、明治時代末から大正期以降のことと考えてよいでしょう。それは、この時期に人間一人一人の存在を重視する個人主義、自由主義が広まったことと呼応しています。

岸田劉生を中心に集まったフュウザン会の画家たち、20代で夭折した村山槐多や関根正二ら青年画家たちの自画像には、自己という不可解な存在に迫ろうとする真摯な姿勢と熱意を見て取ることができるでしょう。

一方、後にフランスに帰化することになる藤田嗣治は、1920年代に「アトリエの画家」という西洋の伝統的な形式による自画像を幾度か描きました。それらは、他の日本人画家たちの自画像とはいささか趣が異なります。出品作もそのうちの1点ですが、藤田独自の線描を生み出す面相筆を持った姿には、パリの寵児となった画家の矜持が示されているのかもしれません。

(毛利伊知郎)

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