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1.人間の本質に迫る

人間が一人一人異なる個性を持ち、独立した存在であることはいうまでもありません。個性を重視する傾向は、今日ますます高まりつつあります。造形芸術の分野でこうした個人主義、個性主義を自覚して作家たちが制作活動をおこなうようになったのは、近代以降のことといえるでしょう。換言すれば、個の存在を自覚的に意識して、造形化しようとしたのが近代という時代であったということです。

近代の作家たちは、個とは何か、個を表現するとはどのようなことか、こうした命題に対して様々な活動を試みることになります。その背景には、科学技術の進歩に促される物質文明の増殖、その裏返しとして戦争や貧富の格差に象徴される社会の矛盾があらわになり、作家たちは個と集団(社会)、あるいは個と世界の問題などに直面せざるを得なかったという事情もあるでしよう。

また、急激に変化する世界状勢の中で、個としての人間にとどまらず、普遍的な意味で人間の本質をどのようにとらえるか、人間がいかなる存在であるかを問うことも近代芸術の重要な課題となりました。

かつては、肖像画や人物画の大きな役割は今日の写真や映像などと同じように、対象をありのままに記録することでした。しかし、19世紀前半にフランスで写真術が発明されると、肖像画や人物画に対する画家たちの意識、作品の在り方も変化していきます。外形をありのままに写し取り、記録として残すのであれば、絵画や彫刻に描きとめるよりも、写真を使用する方がはるかに簡便で、より実際に近い記録を残すことが可能です。

そうであれば、絵画や彫刻で人間を表現することの意義はどこにあるのでしょうか。写真では不可能な、そして絵画や彫刻にしかできない人間表現とはどのようなものなのでしょうか。これこそが、19世紀後半以降20世紀の芸術家たちが直面した大きな課題であったのです。

こうした肖像画や人物画の20世紀を象徴している画家の一人がパブロ・ピカソであるかもしれません。彼は画家として出発した20世紀初頭から晩年までの間に、多数の人物像を残しました。

1900年10月にパリに出たピカソは、2年後の1902年初めには画商との契約を破棄してバルセロナに戻り、以後 1903年にかけて青一色のトーンで画面を統一した作品を制作します。いわゆるピカソの青の時代です。この時期の作品には、母子や女性が頻繁に登場しますが、彼女たちは人生に夢破れ、社会の矛盾と人生の辛苦を背負って社会の底辺で生きる女性たちです。

当時のピカソは、真の芸術は悲しみと苦痛から生まれるという信念を抱いていたといわれます。青の時代の作品に描かれた女性像は、個性表現の次元を越えて、人間誰もが抱く悲しみや絶望、孤独感などの普遍的な感情を私たちに強く訴えてきます。今回出品される《青い肩かけの女》(1−2)も、そうした作品の一つです。

一方、この章に展示される日本人作家の作品は、明治時代から戦後の洋画を中心に構成されています。限られた点数の作品による展示ですので、近代日本の画家たちがめざした人間表現を総括的に展望することは難しいかもしれませんが、そこには洋画表現の日本化という造形上の課題だけではなく、西洋を範とした日本社会の中でヨーロッパ近代の人間観そのものをいかに咀嚼するかという本質的な課題にも画家たちが直面していたことを窺うことができるのではないでしょうか。

(毛利伊知郎)

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