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ごあいさつ

このたび三重県立美術館では、『鹿子木孟郎水彩・素描展』を開催することになりました。

京都と大阪に画塾「アカデミー鹿子木」を創設し、浅井忠の後任として関西美術院長の職責にあった鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう:1874−1941)は、文展や帝展審査員を歴任しながら、黒田重太郎、斎藤与里、津田青楓、里見勝蔵など多くの後進の育成にあたりましたが、その厳格な指導法と、明治美術会の流れを汲み、フランス最後の歴史画家ジャン=ポール・ローランスに師事したことなどから、一般に、フランスのアカデミスムを墨守した、保守的な洋画家として評価されてきました。

しかし、1970年代から欧米で報告され始めた、新しい19世紀美術史研究の成果──例えば、折衷様式をもつ一群の画家の紹介、従来あるレアリスムの定義への異議申し立て、世紀末のサロン画家に固有な外光表現と象徴主義の併存の指摘など──を踏まえて、近年再び、その芸術の多様な側面に光を当てようという試みがなされてきました。その端緒は、1985年に発足した鹿子木孟郎調査委員会の活動です。

本展は、大きく四部から構成されていますが、(1)〈不同舎前後〉では、岡山県出身の鹿子木が、松原三五郎の天彩学舎で描いた木炭の擦筆画と、上京して小山正太郎の不同舎で制作した鉛筆の風景写生を提示することで、明治20年代の日本の美術教育と素描の問題を提起します。(2)〈アカデミー・ジュリアン〉では、フランス第三共和制下の歴史画家ローランスの教授法のもとで、裸体デッサンによる明暗法と解剖学を修得した鹿子木が帰国後、雑誌「美術新報」と「明星」における、三宅克己、和田英作との水彩画論争のなかで展開した、伝統的なアカデミスムの論理の具体的内容を提示します。(3)〈デルターニュ風景〉では、画塾アカデミー・ジュリアンで優秀な成績を収め、サロン官設展覧会にも入選していた鹿子木が、第一次大戦中のフランスで出会った象徴主義の画家ルネ・メナールの影響を受け、パステルなど様々な材料によって独自の画面を構築していく過程を明確にします。(4)〈糺の森〉では、京都下鴨のアトリエで制作された晩年の素描作品を見ながら、鹿子木孟郎の素描を特徴づける、線の表現について探ってみたいと思います。

本展は、1985年以来、当館を中心として実施されてきた鹿子木孟郎調査の成果の一端を披露するものであり、これを機会に鹿子木孟郎の芸術が再考されることを望みます。

1989年8月

三重県立美術館
鹿子木孟郎調査委員会

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