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「日本画の現在をみる」展によせて

陰里鉄郎

三重県立美術館は,先年,「近代日本画の歩み」展を開催した(1983年)。そのときには明治10年代の狩野芳崖の作品から太平洋戦争下の昭和前期まで(1880年代−1940年代),近代化という歴史的試練のなかにおいてわが国の伝統絵画が新しい出発をして,どのような展開をとってきたかを展観した。それは,新しい時代が要求するところのものを,永い歴史と伝統に培われてきた伝統絵画=日本画がどのように受け容れ,かついかに伝統を守ってきたかを,われわれの時代の絵画を考えるうえでも改めて検討してみたいという意図をもふくんでいたのである。そしていま,捉えがたいまでに多様な様相をみせている現代絵画のなかで,華麗にそしてなお強固に存在して,時代の造型の一端を担っている現代日本画をあるひとつの測面から照射し,その照射の地点を多少時代の尖端から遠くにとりながらも的確にわれわれの時代の伝統絵画の質的状況を描きうればという試みが今回の展観である。

明治以降一世紀のあいだに,日本画の改新はほとんど絶えることなく叫ばれてさた。それは洋画の進展拡張による危機感ばかりではなく,その底部にはこの伝統的材質に秘められる豊かな表現の可能性についての自覚がひそんでいたように思われる。もちろん,そのほかに,日本画家たちを包んでいる特有の社会的通弊,徒弟制度的な秩序や年功序列,肥大した事大主義や権威主義といったものに対する批判や反発が繰返しあった。こうした危機感がもっともつよく現われたのは,太平洋戦争の終結直後の時期であった。日本画滅亡論や日本画第二芸術論といった言葉さえみられたことはよく知られているところである。しかしその危機感をノ子(てこ)として日本画の更新が,さきに記した伝統的材質のもつ豊かな可能性のかすかな,あるいは明確な自覚のうえに叫ばれ,試みられたことも事実である。

戦後の日本画を考えるとき,その最初期の状況は,戦前との関係でみない訳にはいかないであろう。洋画の分野でも類似したものをみるのであるが,戦前の日本画界において革新運動の最後の昂揚を昭和10年(1935)前後の小グループの活動にみることができる。福田豊四郎,吉岡堅二,小松均らのグループ新樹社,さらにその発展としての新日本画研究会,新美術人協会などである。そこには戦後に,「創造美術」に結集した画家たち,前記の人たちのほか岩橋英遠,工藤甲人などの名前を見出すことができる。そして本展との関連でいえば,小松均,片岡球子,高山辰雄の初期の無名時代の苦闘がもう一方にはある。これら若い画家たちは,ファシズムの高い足音の蔭で,1930年前後に国内でも生起し渦まいていたヨーロッパ近代の諸傾向を新鮮な眼でみつめて成長しつつあったはずである。彼らの多くが日本画壇の旧弊のしがらみの枠内でうごめきながら,戦争に奔弄されて戦後を迎えたのであった。

戦後日本画といえば,私のような昭和一桁後年世代のものにとっては加山又造の登場が衝撃的であった。加山の≪悲しき鹿≫・≪迷える鹿≫(1953)のまえにたったときの驚きに似た感情をぬきにしては,すくなくとも私にとっては戦後日本画を語れないように思われるほどの衝撃であった。そこには戦中の時期に少年,青年時代をすごした青年のもつ深い悲哀と虚無を認めたことを憶えている。つづいて横山操,平山郁夫,石本正の出現が衝撃に近い感動をわれわれに呼びおこしたものであった。安田靫彦,小林古径,前田青邨といった老巨匠やそれにつぐ世代の画家たちの作品,また山口蓬春,福田平八郎といった画家たちの作品,それらが厳格に古典主義的な近代日本画の円熟を示し,また大和絵的伝統の近代化の成果をみせていたなかにあって,戦後世代の絵画として日本画をみる思いをしたのである。

戦前以来の老巨匠たちとこの戦後派との狭間にありながら,自己の造型をゆるやかな成熟の形で,戦後日本画の世界に示しはじめた一群の画家たちがさきに触れた岩橋英遠,小松均,片岡球子,高山辰雄といった画家たちであるように私には思われる。

以上のような展望のもとに本展の企画と構成が,われわれの意図した古典と西欧的現代とがどのように係り,あるいは繋りをもって現代日本画のなかにあるか,といったことを示しうるかについて私は戦慄するような期待と不安とを感じている。本展に作品を展示することに同意された画家の方々の叱正を覚悟しながら,多少とも個々の画家の絵画世界に触れておきたい。

日本画に限らず日本の近代絵画は,西欧的近代と東洋日本の伝統とに対決することの連続として織りなされてきた観がある。だが,日本画においては,洋画に比してそれはときにいっそう複雑で困難な形をとったといってよいであろう。岩橋英遠の場合でそれをみていくと,岩橋英遠は,大正末期に北海道から上京し,30歳代のころにシュールレアリスムの思想に触れて,・剔Rと模索して日本画の革新の具体的方法としてシュールレアリスム的表現技法,たとえばフロッタージュとかデカルコマニーといった方法を試みている。それは≪歴史≫(1940)の画面にすでにみられるが,戦後の作品≪蝕≫や≪仙≫において重層する映像としてわれわれに示されている。そこでは日本画の画面に沈潜する微妙なマティエールと作者の造型思考の心理的表出のように感じられる線条とが清新な表現となっている。しかもそうした表現上のことだけではなく,≪憂北の人≫にみられるものは,主題と対象に対しての知的な探究による深い理解と感動とがその背後に感じられることである。それを岩橋の幻想的世界とよんでもよいであろう。≪彩雲≫は作者の郷里で目撃した感動から絵画化された画面であり,その視覚にわれわれはシュールレアリスム的性格をみとっても許されるであろう。それでいてこの作品は日本画の埒外にはない,日本画である。

工藤甲人の作品が一般の注視を集めたのは≪枯葉≫(1963)のころからであったろうか。工藤の師匠格であった福田豊四郎が戦後間もなく発表した≪秋田のマリア≫は戦後初期の日本画の注目された作としてしばしばとりあげられるものであるが,地方性と素朴な詩情は,工藤作品のなかにも生きつづけている。福田の場合は,それが素朴さを卒直に露呈させているのに対して工藤の画面は,近代詩のそれに似て繊細に屈折し,宗教的なまでに浄化されている。≪枯葉≫につづく≪蝶の階段≫,≪渇仰−春≫ほか四季絵的構成をもつ連作など,画面はやはりシュールレアリスム的といえ,視覚的映像としては甘美な抒情をもち,かつ土俗的な信仰と共通する作者の心情が表現されている。枯葉は樹葉の死態であるが,そのなかで生命がはぐくまれ変容が準備される。工藤にとって宇宙の生命の輪廻こそが主題なのであろう。その表現に近代が息づいている。

加山又造についてはすでにすこしだけ触れたが,戦後青年の心情をあますことなく表出した加山は,自己の背後の文化に視点をすすめたように私には思われる。≪冬≫や≪蒼い日輪≫では戦後青年の暗い心情をひきずりながら大胆にブリューゲル的世界に踏みこみ,その大胆と表裏する細心な知的構成で画面を構築しはじめたのであった。加山は視点をさらに転じ,というより多分自己の真底に潜むものへ眼をむけて,宗達光琳派的な世界へあえて自己を投入していくのである。華麗な色彩と優美な線条は見事に琳派的であるが,それでもなおそこに戦後青年の悲哀のようなものを私は感じつづけている。

こうした戦後世代のもつ感情は,石本正の作品にも認めうるであろう。1960年前後に石本によって描かれた鳥や動物は伝統的な花鳥画からはるかに遠いようで現代の花鳥画であり,石本の描く ≪舞妓≫は,過去の,たとえば土田麦僊や宇田荻邨の描いた舞妓などとは全く異質の舞妓像でありながら,どうしてもやはり舞妓の像である。それが裸婦像であるとき,舞妓はいっそう舞妓的に感じられる。石本絵画の魔術的な秘密を感じさせられるのである。石本正は,ヨーロッパを近代ではなくそれ以前,ルネッサンス以前,とくにロマネスクに惹れているという。中世建築の総体として単純でありながら細部では複雑に錯綜した形成の示す美しさに魅せられているようである。麦僊がゴーガン的世界に啓発されたのに比して,石本の特質は皮相の類似をこえた世界に繋がるであろう。

ゴーガンといえば,ゴーガンの画面からよりもその生き方によって鼓舞されて自己の世界を歩みつづけているのが高山辰雄である。高山辰雄の作品を考えるとき,私はいつも彼の初期の砂上に座した少女像の画面と戦後の≪夜≫(1963)といった作品とを対比させたり結びつけたりしながら考えこんでしまうのである。戦前の大和絵系といってもよい系譜が浮かび,それの戦後の高山辰雄との画面とを考えるのである。ここでもまた描法や様式とは別に,対自然,大和絵的造型の根幹といった次元でみていかねばならないであろう。いまはそれ以上に述べうるだけの用意が私にはない。

片岡球子の作品のもつ魅力とその性質を語るのは容易なようで難かしい。だが,この桁はずれに豪快で豊穣な画面は,言葉にするとすればフォーヴィスム的色彩,表現主義的な内面表出であると同時におそらく日本絵画の伝統的装飾感というほかないのであろう。私はいまこうした言葉を超えて,片岡的世界を同時代にもっていることをただ受容して楽しみ喜んでいる。その意味では平山郁夫が≪仏教伝来≫(1959)以後にみせてきた東西にわたる世界に取材した作品も同じようにわれわれを惹きつけるものであろう。精緻に構成された画面は,平明であるが故の通俗的評価とは別種の評価を要求しているように思われる。また,水墨画の伝統も大きな流れであり,その現代日本画における反映も,注目すべき成果をみせている。小松均の壮大な自然景観もそのひとつである。

横山操については別に山口学芸員の一文にゆだねることにしたい。


現代日本画は,さきにあげた古典やヨーロッパ的近代と対決するばかりでなく,近代日本画とも対立してすすむ運命にあるのであろう。豊かな可能性をもつがゆえにこれからもさまざまな魅力ある作品が生まれることであろう。

(三重県立美術館長)

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