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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1999 > 4 都市と田園 1930年代展図録

 4 都市と田園

1910年代後半から発達してきた日本の都市は、20年代に引き続き30年代に入っても美術を初めとする芸術文化の舞台として大きな役割を果たした。1923(大正12)年には京浜地帯を襲った関東大震災が首都圏に大きな被害をもたらしたが、その復興事業を通して東京と横浜の都市整備が進められ、1930(昭和5)年には「帝都復興完成式典」が行われてほぼ完成を見た。

しかし、アジア諸国への拡大政策を進める日本が1941(昭和16)年に太平洋戦争を始めると、空襲に備えて建築の取り壊しが行われ、後には米軍による空襲を受けて日本の都市は再び荒廃していくことになる。そうした意味で、1930年代は第二次大戦前において日本の主要都市と都市の文化が一つの成熟段階に到達した時期であったということができよう。

1920年代に引き続き、30年代においても東京・横浜や京阪神、名古屋等の主要都市は、モダニズムを基調とする大衆文化の舞台であった。ビル街、工場街、鉄橋や港湾施設など20年代に登場した新しい都市風景は、画家や版画家、写真家たちによって盛んに取り上げられたが、カフェや劇場、百貨店など新興の娯楽・商業施設で繰り広げられる風俗、都市で暮らす人々の日常生活も主題として登場し、30年代の都市をめぐる表現はより豊かになった。また、都市の中産階級層をターゲットとしたデザインが採用されたポスターや雑誌、書籍など各種メディアも、30年代の都市をめぐる表現に一層の広がりを与えている。

そうした都市文化隆盛の陰で、急速な都市化と重化学工業を中心とする産業化政策は多くの矛盾を生んだ。労働争議や社会運動が盛んとなり、それと呼応して20年代後半には社会性の強い作品が各分野で制作され、プロレタリア美術団体も結成されたが、官憲の弾圧を受けて再編を繰り返した後、1933-4(昭和8-9)年をもって日本のプロレタリア美術は事実上終焉することになる。組織としては非常に弱く、また作品の質をどう評価するか意見の分かれる日本のプロレタリア美術であるが、1910年代に生まれた労働あるいは生産をめぐる表現は、30年代以降も様々な作品を生み、一つのジャンルとして次代に引き継がれていくことになる。

しかし、そうした都市や労働、生活が主題として盛んに取り上げられる一方で、自然を主題とした作品も数多くつくられた。特に、日本的洋画を描こうとした洋画家たちや、従来にはない新しい日本画を模索していた日本画家たちにとっては、日本の自然風景は格好の主題であった。そして、日本のアジアヘの拡大政策と呼応するかのように、画家たちはより手つかずの広・蛯ネ自然を求めて、中国やモンゴル等の自然をも描くようになるのである。

(毛利伊知郎)

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