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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > パリの夜と絶品のくさや 井上隆邦

パリの夜と絶品のくさや

井上隆邦


嘗て4年程パリ勤務を経験した。“和食党”の筆者がパリ勤務で苦労したのは、食材探しだった。

例えば、しゃぶしゃぶ用の牛肉。肉料理といえばビフテキや煮込み料理が相場のフランスでは、ミリ単位の薄切り肉は手に入らない。それでも親切な肉屋さんがいて、果敢にも“薄切り”に何度か挑戦してくれた。しかし最後は“メ,ノン(もうダメだ)”と匙を投げる始末。後で知ったことだが、しゃぶしゃぶ用の肉を切るには、それなりの技術が必要とのこと。牛肉を半冷凍状態にし、その上でスライサーで切って行く。親切な肉屋さんの失敗は、こうした技術を知らず、包丁で“細切り“に挑戦したことだった。徒手空拳とはこのことか。

パリの20区に中華街がある。ここで東洋系の野菜は手に入ったが、種類は限定されていた。またフランスには茄子やキュウリもあったが、土壌の関係だろうか、皆大振りで、日本産とは違っていた。フランス産のキュウリを酢の物にしたところ、どこか大味で箸を置いてしまった。

まったく手に入らないのが、ゴボーだった。外形がゴボーに似た野菜はあったが、味は月とスッポン程の違い。そうした中、時たまゴボーを日本から持参してくれる客人があって、感激した。海外勤務の不便さをよく知っているからこそ、こうした気遣いができるのであろう。

最も感激したのは、映画監督の小林正樹さんから頂戴した“くさや”の干ものだった。ラ・ロッシェル映画祭で筆者が小林正樹特集を企画することになり、監督と出会った。ヒョンなことからお互い“くさや”の大フアンであることを知り、映画祭そっちのけで“くさや”談義に熱中した。映画祭も終わり、ご本人が帰国してから半年余り。大きな包みがパリの自宅に届いた。旬の時期を見計らって“くさや”をわざわざパリまで送ってくださったのだ。それも産地の新島から。

ご存知の通り“くさや”は、焼くと、匂いがすさまじい。自宅のマンションの住人は筆者を除けばフランス人ばかり。生臭い匂いが大の苦手なフランス人のこと、“くさや”でも焼こうものなら、いつ何時管理人が飛んでくるかも判らない。

長考一番。周囲が寝静まった深夜、ベランダで、七輪を起し、焼くことにした。匂いが隣近所に流れ込むのを防ぐため、風向きを考えて七輪を設置、準備万端、いざ決行と相成った。

程よく焼けた“くさや”と辛口のブルゴーニュ産白ワイン。誰も居ない深夜のベランダで楽しんだ味は未だに忘れられない。ふっと、見上げると、ライトアップされたエッフェル塔がベランダの向こう側に浮かんでいた。

四年間のパリ滞在は、思い出が尽きない。ベルリンの壁の崩壊といった未曾有の出来事を近くで体験した。湾岸戦争で緊迫した当時のヨーロッパの状況は今でも生々しく思い出す。しかしその一方で、食材探しや“くさや”をめぐる珍事など楽しい出来事にも数多く恵まれた。愛車の“ルノー21(バンティ・アン)”でパリ市内を疾駆し、食材探しに明け暮れた日々が懐かしい。


(中日新聞 みえ随想、2007年4月29日掲載)

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