このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > 温泉街 井上隆邦

温泉街

井上隆邦


ご趣味は?と尋ねられた時は、温泉巡りと答えている。この40年近く、機会を捉えては温泉巡りを楽しんできた。

温泉巡りを始めた当時と、今では、温泉に対する世間の意識も随分と変わった。筆者が温泉巡りを始めた頃は、こうした場所に来る人は大概決まっていて、農閑期の主婦や足腰を痛めたお年寄りだった。あの当時の日本は、”365歩のマーチ”に合わせて、ひたすら前進を続けていた時代であり、温泉巡りは年・闖Lい趣味として、若者や働き盛りの人達には敬遠された。癒しやスローライフといった言葉をよく耳にし、”ギャル”まで温泉巡りを楽しむ昨今とは隔世の感がある。

温泉愛好家として今日の温泉ブームを歓迎したいが、不満もある。ブームで需要が増えた結果、温泉宿の本来の良さがどんどん失われている。温泉は源泉掛け流しが自然な姿だが、今では、濾過装置でお湯を循環している宿がやたらと増えた。こうした装置で少ない湯量をカバーしているとすれば、寂しいことだ。また、数年前、湯壷に密かに”入浴剤”を投入する宿が現れ、問題となった。地盤の変化で、”売り”の白濁するお湯が少なくなったから、止むを得ず行ったとのこと。温泉宿の原点を忘れた行為であり、情けない。“そろばん”のことが気になり、魔が差したのだろうか。

この40年間、素晴らしい宿にいくつも巡り会った。今でも通っている温泉宿の一つが、阿蘇・地獄温泉の“清風荘”である。源泉掛け流しは当然として、湯壺は内湯、露天を合わせて5―6箇所もある。露天”雀の湯”から眺める阿蘇の自然は雄大で、浸かっていると、四肢がほぐれてゆく。

“清風荘”での楽しみの一つは食事である。炉端焼き、会席もあるが、フランス料理がお勧め。阿蘇の山中、それも、湯治場の雰囲気が残る宿でのフランス料理は人の意表をつく。初めて味わった時の時の感動が忘れられない。味は一級である。ここのシェフ、旅好きで、不在なこともままある。シェフと此方の日程が合わないと味わえない。こうした気まぐれさも一興である。客を変に“神様”扱いしないところが気持ちよい。

東京から三重に移り住んで一年。当地に来てからも休みを利用しては、温泉巡りを続けている。これまで訪れた宿で、印象に残っているのは、熊野・湯の峰温泉の“よしのや”である。内容の良さもさることながら、驚いたことに投宿した当日は、客はフランス人ばかりだった。こんな山奥になぜフランス人が?と思い尋ねたところ、フランスのガイドブックにその素晴らしさが力説されている、との返事が返ってきた。湯の峰は、那智滝を訪れたフランスの知の巨人、アンドレ・マルローが投宿した温泉地で、この人のお陰でフランスでも知られるようになったらしい。思わぬところでマルローが観光振興に貢献している。

筆者が好きな温泉宿は、いずれも経営規模は小さく木造か、茅葺きだ。源泉掛け流しであることは言うまでもない。センスの良い料理人が揃っていることも共通している。こうした温泉宿とそこでのもてなし(・・・・)も日本が誇れる重要な“文化財”ではないだろうか。いつまでも大切にしたいものだ。


(中日新聞・みえ随想
2007年2月 日掲載)

ページID:000056213