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伊勢型紙

井上隆邦


伝統工芸を主体とする地場産業は明治以来の近代化の中で需要が激減、今日、危機に瀕しているものも少なくない。こうした中、全く新しい発想からその再生に取りくみ、成果を挙げている事例もある。

一例が漆塗りだ。漆と言えば漆器が頭に浮かぶが、利用法は漆器に限らない。システム・キッチンの化粧板に漆を採用したところ、評判が良く、新たな商品開発に繋がったそうだ。値は少々張るが、漆の持つ独特の風合いが消費者の心を捉えたのだろう。

目を海外に転じることで苦境から脱出した老舗の刷毛屋もある。国内での需要の低迷からハリウッドの映画界へ進出。メークアップ用の刷毛を供給したところ、売り上げが増大したという。映画の撮影では俳優の顔がしばしばクローズアップされるので、品質の良い刷毛は欠かせない。

三重を代表する地場産業の一つに伊勢型紙がある。江戸時代には隆盛を極めた伊勢型紙だが、現在は多くの地場産業と同様、低迷が続いている。

伊勢型紙は染色に於ける“金型産業”のようなもので、その技術力は素晴らしい。日本国内のみならず海外でも評価が高い。このまま衰退させてしまうのは余り惜しい。こうした技術力を再び活かし、業界の活性化に繋げることは出来ないものだろうか。

活性化策を考える上でのポイントは二つ。一つは、型紙を彫る技術力の維持、継承、発展であろう。技術力を持つ職人を大切にし、育成することがまず重要だ。伊勢型紙保存会が既にこうした取り組みを実施している。ただ、いくら技術力が担保されたからといって、業界が活性化する訳でもない。技術力を商品開発等に結びつける知恵と工夫、そして、流通に関わる様々な仕掛が肝心だ。技術力を商売に繋げて始めて業界は活性化する。

江戸時代の伊勢型紙は全国ブランドであった。北は東北から南は九州までがテリトリーだったから凄い。また、当時、伊勢型紙で染めた江戸小紋は流行の反物で、江戸っ子が競って求めたという。

伊勢型紙のこうした隆盛を支えていたのは、型売り商人といわれる人々だが、案外その存在は知られていない。

こうした商人は互いに利害を調整し、需要の開拓や販路の確保、更には幕府からの支援取り付けなど大変重要な役割を担っていた。今日で云うところの“商社”機能を果たしていたと云っても良い。こうした機能が存在したからこそ、全国展開が可能だったのであろう。

伊勢型紙を取り巻く社会状況は江戸時代と今日とでは無論違う。しかし、こうした違いを念頭に置いたとしても、嘗ての型売り商人の考え方や行動には、学ぶべき点が多々あるのではないだろうか。

伊勢型紙の今後の発展を考える上で隆盛を極めた江戸時代の“商社”機能を研究し、参考にしては如何だろうか。案外、役立つヒントが隠されているかもしれない。温故知新という視点から足下を見つめ直すことも大切だ。

型売り商人の代表格は、白子を本拠地に活躍していた寺尾家で、同家には伊勢型紙を巡る様々な古文書が残されている。また、商人達の活躍ぶりは、中田史朗編の“伊勢型紙の歴史”に詳しい。蛇足ながら、ご関心の向きのために一言付記した。

(中日新聞 みえ随想 2007年6月24日掲載)


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