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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > 深まる謎 阿修羅の魅力 井上隆邦 2009

深まる謎 阿修羅の魅力

井上隆邦


この春、東京・上野で開催され、夏に九州・太宰府に巡回した“阿修羅展”。大変な人気で、二会場併せて165万もの観客が訪れたという。展覧会の歴史に残る出来事だ。

これだけ人々を魅了する理由は何か。そんな疑問から阿修羅像を巡る評論、随筆を調べたところ、その数の多いこと。白州正子、川端康成、堀辰雄など執筆者を挙げればきりがない。

身の丈150センチ程。先ず気づくのは、そのスレンダーで凛とした顔立ちだ。年の頃は14―15才だろうか。不思議なのはその性別である。男性だろうか。それとも女性か。否、そのいずれでもない。阿修羅像を眺めていると、有名な“モナリザ”を思い出す。性別を超越した神秘的な表情は両者に共通している。

遠くを見つめる阿修羅像のまなざしが印象的だ。憂いと憤怒、そして“喪失感”に満ちている。何かをじっと耐えているが、心の内は判らない。司馬遼太郎曰く、あのまなざしは“無垢の困惑”だと。実に巧みな表現だ。

阿修羅像を巡る南方熊楠の分析が面白い。宦官がモデルだという。男性として生まれながらも人為的に“性”を奪われた人間のことだ。“無垢の困惑”という描写を裏付けるような分析だ。

阿修羅像はインド神話に登場する荒ぶる神が改悛し、仏門に帰依した姿。これが“公式”の説明であることは云うまでもない。しかし、この説明だけでは何か物足りない。千三百年前、仏師は何をイメージし、阿修羅像を作ったのであろうか。謎は深まるばかりだ。

(朝日新聞・三重版2009年11月3日 カフェ日和第7回)

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