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学芸室だより リニューアル版

お題:学芸員の仕事紹介F クーリエ(Courier)

2006年10 月(第7 回) 担当:生田ゆき


クーリエとは、英語でCourierと書きますが、「クーリエ」という発音は英語ではありません
(英語だと「クァリエァー」の様な感じになりますでしょうか)。

もともとの語源は、郵便がまだ発達していない時代に、王様の親書を携えて、諸国を旅したメッセンジャーを指していました。
それが今では、美術品の移動に際して、随行し、作業を監督する役目について用いられています。

この言葉、少々古くて特殊な言葉のようで、英語を理解する、美術関係者じゃない人に使うと
「どうしてそんな言葉を知っているんだ?」と驚かれることもしばしばです。

私がクーリエとして、作品に同行した経験はこれまで5回です。

@2000年9月 ニューヨーク、グッゲンハイム美術館、鹿子木孟郎《津の停車場》返却
A2001年2月 ヴェネツィア、パラッツォ・グラッシ、ルドン《アレゴリー》貸し出し
B2002年6月 ヴェネツィア、パラッツォ・グラッシ、ルドン《アレゴリー》返却
C2004年9月 ヴェネツィア、パラッツォ・グラッシ、ダリ《パッラーディオのタリア柱廊》貸し出し
D2005年6月 フィラデルフィア、フィラデルフィア美術館、ダリ《パッラーディオのタリア柱廊》返却

です。

このうち、@とDについてはHill Windにも書きましたので、ご参照下さい。

 

「クーリエ」という仕事(HILL WIND 4 2004年) 

 

ダリ生誕100周年をむかえて(HILL WIND 9 2005年)  

このリストをご覧になると、「海外出張ばかり。うらやましい」ということになりますが、
問題はそう単純ではありません。
クーリエの役目が奪い合い状態になるかといえば、それは反対で、
その時々の仕事の状況であるとか、あるいは貸し出し作品の性格などを考慮して、きわめて冷静に決められているのです。

なぜ、こんなビックチャンスを皆が掴もうとしないのか、
それはクーリエという仕事が、思っているよりも、肉体的、精神的にハードであるからでしょう。

まず、クーリエの極意として、私の経験から導き出せるのは、

  • どこでも寝られる(いつまでも起きておける)。
  • 何でも食べられる(多少の空腹に耐えられる)。
  • 人見知りしない(一人の時間を苦無く過ごせる)。

これにつきます。

もちろん、学芸員としての知識や技術のようなものも、持ち合わせていなければいけないのは当然ですが、
現場ではそんなものなどふっ飛ぶような、アクシデントが盛りだくさんです。
いかに動じることなく、冷静に判断するか、実はこれこそがクーリエに求められていることなのです。

例えば

@では、
・主催者の手配ミスでホテルの宿泊数が1日少ない。

・帰りは、貨物便(詳しくはHill Windを)。まさに、「聞いてないよぉ!」状態。
(ちなみに貨物便は通常の空港ではなく、特別な空港を利用します。
また機内には、フライト・アテンダントの方も、音楽も映画もありません。
食事は自分でオーブンを使ってその都度温めます)

Aでは、
・出発時関西国際空港に到着するや、搭乗機の出発が3時間遅れていることが判明。

・ミラノのマルペンサ
空港の税関で典型的なイタリアン達に囲まれて待機3時間(このとき、夜の10時)。

・その後、爆走するトラックでヴェネツィアへ、のはずが、本土のメストレの安ホテルで仮眠。(このとき真夜中2時)。

・翌朝9時30分に集合。ようやくヴェネツィアへ。(時差ぼけと睡眠不足で何が何だか分からない)

さらに、
Bでは、ボストン、ロンドン、エディンバラ、ロシアなどからのクーリエと一緒くた。
十把一絡げに扱いたいのが見え見えで、ミラノ郊外のホテルに朝5時集合
(私の飛行機の出発はお昼の12時過ぎ。待ち時間が膨大にかかる)

Cではさすがに慣れて、わさわさやってくるイタリアンにも動ぜず、軽く握手もこなせるようになりました。
なんとAでお会いした人にまた再会することができ、「覚えてるよぉ」と本当か嘘か分からない挨拶をされておりました。

とにかく、いついかなる時も、作品が一番で、自分の身は二の次です。
たとえ眠たかろうと、お腹が空こうと、作品の安全を優先しなければ行けません。
時には、真夜中の空港の駐車場でぽつねんと税関の書類が出てくるのを何時間も待たなければいけなかったり、
5時間近くぶっ通しでアメリカの高速道路を突っ走る(軽く180キロは出ている)トラックに同乗しなければ行けません。

しかし、最大の問題は、クーリエとして行くとき、それはいつも一人である、ということでしょう。
外国に降り立つのも一人。仕事をこなす場でも一人。帰り道も一人。
寂しい、とかそんなことを考える暇など毛頭無く、むしろ「どうする?どうすればいい?」という判断を自分一人で瞬時に下さないと行けません。
また、目的地(開催美術館)にたどり着くまで、誰も迎えに来てくれません。自分の安全と仕事の確実さを守るのは自分、なのです。

これがクーリエです。

「ああ、こんなに過酷な仕事は辛そうだな」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
確かに、そういう場面も多くあります。
しかし、クーリエとして行ったとき、世界に名だたる美術館の学芸員と、作品をはさんでまさに「対等に」話が出来たとき、学芸員冥利に尽きると行って良いでしょう。
ヨーロッパであろうが、アメリカであろうが、日本であろうが、作品を管理する者としては同じ資格なのです。
そして、遠く離れた異国の地で、見ず知らずの人や作品に囲まれている作品が、いままで自分の館では出せなかった輝きを発しているのを目にしたとき、「よかったねぇ」と思わず声をかけたくなるのです。(生田ゆき)

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