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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 三重県立美術館ではじめて担当した展覧会 > はじめて担当した展覧会(4) 三重の子どもたち展 下栄子 学芸室だより

学芸室だより リニューアル版

「はじめて担当した展覧会」

2005年10月(第4回)担当:下 栄子

県内の中学校からの異動で三重県立美術館に赴任したのは2002年の4月、初めて担当することになった展覧会は「三重の子どもたち展」でした。同展は、開館以来ほぼ毎年2~3月頃に開催されていたのですが、その年度は美術館が10月から工事に入るため、半年早い8月下旬から9月末までの会期となっていました。

展示の内容としては、県内の全小中学校、盲・聾・養護学校、幼稚園、保育所に呼びかけ、出品された作品を展示する《教育の現場から》と、地域(その年は熊野市)に出かけていって、子どもたちを対象とした数日間のワークショップを夏に行い、そこでの作品を再構成して展示する《生活の現場から》との二部構成でいくことが決まっていました。また、会期中には、「美術館わくわく探検ツアー」や「創作ひろば」などの、子ども向けのイベントを行うことも恒例となっていました。

美術科を担当していたとはいえ、そういったワークショップもツアー経験ももちろん無く、かろうじて、「子どもたち展」の展示や撤収作業に参加したことが2、3回あるだけの私が、9月までの半年間に、上記の取り組みのほとんどを同時進行で準備し、実施していくという、濃厚でスリリングな体験をする機会に恵まれたのです。でも、めちゃくちゃ不安な日々。当時、他の学芸の人たちは、開催目前の「高村光雲とその時代展」に向けて展示作業中で、相談などできるはずもありません。「焦らなくてもいいから」と言ってもらっても、見通しも経験も自信も無い私は、やっぱり不安で仕方が無かったです。

「三重の子どもたち展」は大がかりな取り組みで、毎年多くの人々の支えによって成立しています。ようやくスタートした最初の仕事は、参加や協力をお願いしたり、打合せをしたりするために、様々な分野の人に電話を掛けることでした。熊・・潤[クショップ関係では、前任の近藤さんをはじめ、造形作家の半谷学さん、熊野少年自然の家や熊野市教委の方々に、まず電話をしました。次に、スタッフとしての参加が可能かどうかで、以前から美術館の教育普及活動でつながりのあるという学生・先生・一般の方々にも電話です。一方、《教育の現場から》の学校関係では、企画運営委員やその年度の世話役となる地域代表委員の名簿作成のためだけでも、多くの新旧の委員さんに、ひたすら電話をしました。また、ポスターやチラシのデザインでお世話になる作家さん、印刷物関係の業者さんにも電話。「わくわく探検ツアー」への応援スタッフとしての参加を打診したり、スケジュール調整のために、何人かの学生さんにも電話。少なくとも7、80人位の方々に電話をしたのではないかと思います。もちろんその後、会議やワークショップ、展示作業等で、上記の人々を含む更に多くの人々と顔を合わせ、共に活動していくわけですが・・・きりがないので割愛します。

初めて担当した「子どもたち展」、思い起こせばハードだったのですが、喉元過ぎれば体質のため、忘れておりました。それよりも今年度の「子どもたち展」です。3年前のハードさが懐かしいくらいに、今年度の厳しい予算状況のもと、質の異なった課題が山積し、相変わらず「不慣れ」な日々です。

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