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学芸室だより リニューアル版

初めての展覧会

2005年9月(第3回)担当:東俊郎

1982年9月三重県立美術館開館記念は「サンパウロ美術館展」。もう20年以上前になるが、これがぼくの手がけた初めての展覧会になった。開館をめざして集められた学芸員はまだだれも展覧会をみずからの手で興行?したことはない、いわば素人ばかりの烏合の衆である。準備室での仕事が手探りである以上に、展覧会にかかわるさまざまな行程を、誰におしえてもらえるはずもなく、こんなものかなといった気分でこなしてゆくというか、勿論余裕などないから、押し寄せてくる仕事に呑み込まれないよう、ひたすら目の前にあるものを消化してゆくだけである。いまから思いだそうとしても、どんな時間をすごしたのか、ほとんど覚えていない。それだけ忙しかったのだろう。ただし、図録のこととなると、「出張校正」という強烈な思い出があるので、いくらか覚えていることはある。

パソコンやワープロなどという至極便利な道具が仕事につかえるなんて、まったくその気配さえなかったから、原稿はすべて手書きである。分担を割り当てられた西洋近代の画家の作品について、それまで日本で開かれた数回の展覧会の図録とか画集、できたらカタログ・レゾネを必死にさがして、なんとか作品解説らしきものをつくってゆく。もちろんその間に、冗談じゃない仕事量をこなし(こなされ?)さいごは契約書までつくってしまった。といえば、すごく大変そうにきこえるが、実は以前のサンパウロ展でかわした契約書の文句を適宜いれかえて、しかしそれは英語だったのでさらにポルトガル語に翻訳してもらっただけ。ようするに使いっぱしりが途中でいたずら書きしたみたいなものである。

ところで「出張校正」のことである。図録の校正を何度もやりとりしていると埒があかないので(ファックスもまだなかった)、カタログ会社がとってくれた宿舎で、執筆者が集まって一気に校正する。場所は東京の元後楽園球場のちかくの、どうも修学旅行専用の旅館らしきところである。字句をなおす。その直したものが又数時間でもどってくると、また直す、というくりかえし。それが夜の12時をすぎても終わらない。眠くなっても出てくるかぎりねむられない。ある時校正のプロという人がきたことがあった。彼らの生活は夜昼がまったく逆転しているらしく、深夜になってぼくらの集中力がきれてきそうなときに頭は冴え、まったくタフに、小さなミスも見落とさず仕事をこなしてゆく。聞いてみると校正だけで生活していて、お金にはなっても体力勝負だから年とったらできませんと呟き、さすが東京だとこんな職業もなりたつのかと妙に感心してしまった。

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