このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

お題:「三重県立美術館ではじめて担当した展覧会」

バックナンバー その1 (生田ゆき) 2005.7

2000年5月30日(火)→7月16日(日)

ホノルル美術館展

詳しくは →【ホノルル美術館展  ヨーロッパ,アメリカ近代絵画の100年

私が三重県立美術館に採用されたのは2000年3月2日のことでした。

そして初めて担当した展覧会が5月30日にオープンです。

さすがにとまどいました。

印刷物を作ったり、作品の運搬の手はずを整えたり、展示作業を指揮したり、すべきことは山積してます。

おまけに「新人採用」でしたので、手取り足取りびっちりと「研修」のスケジュールが組まれており、

時間的にも精神的にも余裕のない日々を過ごしていました。

 

ホノルル美術館展チラシ(表)

ホノルル美術館展チラシ(表)

今振り返れば斬新な横型チラシ

 

ホノルル美術館展チラシ(裏)

ホノルル美術館展チラシ(裏)

まさに盛りだくさんの展示内容

 

そんな私の状況を象徴するのが、そのころの私の口癖のように言っていた言葉、

「大丈夫です!」。

何かを尋ねられたり、確認されると、すぐさま「大丈夫です!」と即答していた(そうです)。

本人には自覚がなく、ある時、毛利から指摘され、

「ああ、よっぽど私、大丈夫じゃないんだな」と認識した次第です。

 

とはいうものの、容赦なく月日は流れていき、

無情にも三重県立美術館式「愛のスパルタ教育」は実践され、

時に周りを恨みながらも、日々立ちはだかる仕事と格闘していったのでした。

その結果、あれよあれよという間に、否応なく業務を覚えていくことになり、

いつの間にか「もう一人で大丈夫だよね!」という、共通了解が館内に芽生えていたのでした。

恐るべし。

 

ホノルル美術館展ワークシート

ホノルル美術館展ワークシート(JAAM研究会作成)

目一杯ホノルル気分を出しています

 

ホノルル美術館展看板

ホノルル美術館展看板

この頃は看板はまだ手書きだった

 

肝心の展覧会の評判ですが、ホノルルという場所への馴染み深さと、モネやゴッホ、ゴーギャンといった作品の親しみやすさが相まって、

24,296人という、当時としては1997年以降最高の入館者を記録でき、大成功のうちに幕を閉じました。

とりあえず一安心といったとことでしょうか。

 

そして、忘れたくても忘れられない、でもなかったことにしたい事件がありました。

この展覧会を美術館といっしょに主催して頂いた朝日新聞社さんの広報紙面に、担ぎ出されたのでした。

忘れもしません。ある時出先から美術館に戻ると、毛利から「朝日新聞の人が取材に来るから」と軽く言い渡されました。

その時は単に展覧会取材だと思っていたら、

どんどん話は転がって、

「インタビュー取材」さらには写真まで載ると言うではありませんか!!。

教訓:多くを説明されないときは裏に何かある

 

ホノルル美術館展広報紙面

ホノルル美術館展広報紙面

左上にいるのが生田

ちょっと緊張気味(でも若い)

 

ホノルル美術館展カタログ

ホノルル美術館展カタログ

ちなみに巻頭論文の翻訳もしています

 

などと、言いつつ

目先のスケジュールを消化するのに精一杯の毎日が、飛ぶように過ぎて、今日に至ったといっても過言ではありません。

言い古されたことですが、どんなことでも、誰にとっても「はじめて」は一度きり。だからこそ思いも格別(なはず)。

さてさて、来月からは、学芸課の他のメンバーの「苦笑いの思い出」が続きます。

ご期待下さい。

 
ページのトップへ戻る