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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 2004 > 常設展示2004年度第3期(2004.9-12)

美術館のコレクション 2004年度第3期展示

2004年9月29日(水)~12月26日(日)

第1室:20世紀後半の絵画

 第二次世界大戦後から現在までの絵画(平面作品)の歩みを大きくみれば、多様化と大型化と抽象化が目立っています。敗戦後まず自由な具象表現が復活すると同時に、それまで途絶えていた欧米からの新しい波が一気に流れこんで、それまで以上に多様な表現が現れてくるようになりました。そして高度な社会認識や深い内面性など、眼にみえないものも美術で表現しようとするとき、作品が抽象的になってゆくのはきわめて自然なことだといえるでしょう。

 作品が次第におおきくなっていくのも、この傾向と無関係ではなく、具象の器の親密さから溢れ出た世界には、よりおおきな入れ物がどうしても必要になってきたからです。別のことばでいうと、絵画はどうやら現実を写した小さな世界をつくることではなくなり、現実の世界の生活空間を装飾しようという意欲があらためて復活したとみることもできます。

 多様化は、一方では、世界全体の均一化を促しています。もはやヨーロッパもアジアも日本もないのです。

 

作者名 生没年 作品名 制作年 材料
麻生三郎 1913-2000 あるがまま 2 1985(昭和60)年 油彩・キャンバス
宇治山哲平 1910-1986 伊勢 1976(昭和51)年 油彩・キャンバス
小野木学 1924-1976 風景 1975(昭和50)年 油彩・キャンバス
香月泰男 1911-1974 芒原 1968(昭和43)年 油彩・キャンバス
金山康喜 1926-1959 静物 1951(昭和26)年頃 油彩・キャンバス
木村忠太 1917-1987 初夏 1975(昭和50)年 油彩・キャンバス
鳥海清児 1902-1972 彫刻(黒)をつくる 1953(昭和28)年 油彩・キャンバス
浅野弥衛 1914-1996 無題 1985(昭和60)年 鉛筆・紙
浅野弥衛 1914-1996 無題 1985(昭和60)年 鉛筆・紙
麻生三郎 1913-2000 荒川B 1954(昭和29)年 コンテ・紙
斎藤義重 1904-2001 作品 1963(昭和38)年 油彩・合板
難波田龍起 1905-1997 創生A 1961(昭和36)年 油彩・キャンバス
松本竣介 1912-1948 風景(三角屋根の家) 1948(昭和23)年頃 インク・紙
松本竣介 1912-1948 風景 1946(昭和21)年 インク、コンテ、鉛筆・紙
松本竣介 1912-1948 1947(昭和22)年 インク・紙
村井正誠 1905-1999 1973(昭和48)年 コンテ・紙
村井正誠 1905-1999 うしろ姿 1956(昭和31)年 油彩・キャンバス
森田元子 1903-1969 1960(昭和35)年 油彩・キャンバス
森芳雄 1908-1997 1952(昭和27)年 油彩・キャンバス
脇田和 1908- 鳥と横臥する裸婦(女) 1955(昭和30)年 油彩・キャンバス
河鐘賢 1935- 接合 84-2 1984年 油彩・キャンバス
小林研三 1924-2001 ヅク 1962(昭和37)年 油彩・カンヴァス
松本竣介 1912-1948 建物 1945(昭和20)年頃 油彩・紙
鈴木金平 1896-1978 荒川風景 1963(昭和38)年 油彩・キャンバス
 

第2室:横山操の『瀟湘八景』

 
 『瀟湘八景』は東洋美術の伝統的な画題として有名です。中国の宋代に誕生したこの画題は自然のもつ相を八つの風景に託して描くもので、中国だけでなく、朝鮮、日本など東アジアの各国でさまざまな形式をとって発達してきました。日本の場合、室町時代以降、多くの画家によって継承されてゆくなかで、本来はなかった四季の風景という発想が特徴として明かになってゆきます。江戸時代になると名所図絵的な大衆化にともなって、それぞれの土地の名を織り込んだ「八景」が生れたり、浮世絵の「見立て」として登場したりもしています。横山操がこの『瀟湘八景』に新しい息を吹き込もうとするまえに、すでに明治時代横山大観や寺崎廣業がそれを試みています。しかしその後長い伝統が途切れたかにみえた昭和30年代に入って、まったく思いがけず、この『瀟湘八景』が登場したのです。

 
作者名 生没年 作品名 制作年 材料
横山操 1920-1973 瀟湘八景  全8点 1963(昭和38)年 紙本墨画
  

第3室:イメージとテクスト 想像力の深淵

 

 目に見える物こそすべてだと、ただキャンバスの海に広がる色と形に耽溺するを潔しとする美学は、実はそう遠い過去からの遺産ではありません。西洋美術の歴史を紐解いてみれば、はじめにテクストありきのイメージの蓄積のほうが遙かに厚い層をなしているのです。「いかに」より「何を」描くかに価値基準を置くことを、西洋絵画を支配した「歴史画」の呪縛だと非難するのは容易いことです。しかし、この部屋に並ぶ作品を見渡す限り、それが過去の反復に堕しているとは片づけることはむしろ本質を見誤ることになりかねません。ゴヤは母国を襲った侵略の爪痕や無慈悲な飢饉の惨状を、時に残酷に、時に諧謔に姿を借りて刻みました。ルドンはデューラーの版画を多分に意識しながら、ヨハネ黙示録という難解きわまるテクストに19世紀に生きる芸術家としての解釈を施しました。またブレイクに至っては、信仰深きヨブを襲う災難の数々に自らを重ねながら、芸術家としての所信表明をなしたと言えるでしょう。ドーミエの筆になる古代の神々の姿に出会うとき、そこにはいつの世も変わらぬ人々の愚かさゆえの愛おしさが溢れていることに気づかれるに違いありません。

 確かに、それらは私たちの目には見えないかもしれません。しかし、想像力という底知れぬ闇にこそ浮かぶ何かがきっと存在すると信じることも、イメージの喚起する喜びの一つであるはずです。

作者名 生没年 作品名 制作年 材料
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第15図:ベヘモトとレヴィアタン 『ヨブ記』40:15、41:34 1825年 エッチング・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「征服者メネラオス」 1841 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「イカロスの墜落」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「ヘレネの略奪」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「ペネロペの夜」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「オデュッセウスとペネロペ」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「アレクサンドロスとディオゲネース」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「ハンニバルの進軍」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「僣主ディオニュシオス」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「ウルカヌスの網」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「アペルレスとカンパステ」 1842 リトグラフ・紙
ドーミエ、オノレ 1808-1879 『古代史』より「マルスとウェヌス」 1842 リトグラフ・紙
ムリーリョ、バルトロメ・エステバン 1617-1682 アレクサンドリアの聖カタリナ 1645-50年頃 油彩・キャンバス
作者不詳   聖ロクス(ロック) 17世紀 油彩・キャンバス
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第13図:つむじ風の中からヨブに答える神 『ヨブ紀』38:1 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第16図:サタンの墜落 『ヨブ記』36:17、42:1-7 1825年 エッチング・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録表紙 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(1)《-その右手に七つの星を持ち、口からは鋭いもろ刃のつるぎがつき出ていた。》 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(3)《・・・そして、それに乗っている者の名は「死」と言った、》 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(4)《御使、香炉を手に持って、》 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(5)《するとたいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。》 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(6)《・・・ひとりの女が太陽を着て、》 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(7)《また、もうひとりの御使が、天の聖所から出てきたが、彼もまた鋭いかまを持っていた。》 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(8)《またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを持って、天から降りてきた;》 1899年 リトグラフ・紙
ルドン、オディロン 1840-1916 ヨハネ黙示録(9)《・・・これを千年の間つなぎおき;》 1899年 リトグラフ・紙
ゴヤ・イ・ルシエンテス、フランシスコ・デ 1746-1828 戦争の惨禍(7)《何と勇敢な!》 1810-20年 エッチング、アクアティント、ドライポイント、ビュラン、バーニッシャー・紙
ゴヤ・イ・ルシエンテス、フランシスコ・デ 1746-1828 戦争の惨禍(30)《戦争の惨害》 1810-20年 エッチング、ドライポイント、ビュラン、バーニッシャー・紙
ゴヤ・イ・ルシエンテス、フランシスコ・デ 1746-1828 戦争の惨禍(41)《炎をくぐって逃げる》 1810-20年 エッチング、ビュラン・紙
ゴヤ・イ・ルシエンテス、フランシスコ・デ 1746-1828 戦争の惨禍(66)《奇妙な信心!》 1810-20年 エッチング、アクアティントまたはラヴィ、バーニッシャー・紙
ゴヤ・イ・ルシエンテス、フランシスコ・デ 1746-1828 戦争の惨禍(69)《虚無。それが物語るだろう》 1810-20年 エッチング、アクアティント、ラヴィ、ドライポイント、ビュラン・紙
ゴヤ・イ・ルシエンテス、フランシスコ・デ 1746-1828 戦争の惨禍(75)《ペテン師たちのお芝居》 1810-20年 エッチング、アクアティントまたはラヴィ、ドライポイント、ビュラン・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第1図: ヨブとその家族 『ヨブ記』1:1-3 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第3図: サタンによるヨブの息子たちと娘達の破滅  『ヨブ紀』1:18-19 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第5図: 主の御前から進んで行くサタン、とヨブの施し 『ヨブ記』2:3-7 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第6図: 腫物でヨブを撃つサタン  『ヨブ記』2:9-12 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第11図: ヨブの悪い夢  『ヨブ記』7:14 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第18図:ヨブの燔祭 『ヨブ記』42:8-10 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 「ヨブ記」より  第21図:繁栄を回復したヨブとその家族 『ヨブ記』42:12-13 1825年 エッチング・紙
ブレイク、ウィリアム 1757-1827 ヨブ記  表紙 1825年 エッチング・紙
 

ギャラリー、ロビー

作者名 生没年 作品名 制作年 材料
北川民次 1894-1989 瀬戸十景  全11点 1937(昭和12)年 リノカット・紙
澄川喜一 1931- そぎとそり 1975(昭和50)年
中原悌二郎 1888-1921 石井鶴三氏像 1916(大正5)年 ブロンズ
新妻實 1930-1998 眼の城 1988(昭和63)年 ポルトガル産黒御影石
マルコ、アンヘレス 1947- 高速道路(連作「通行」) 1987年 鉄、アスファルト、脂
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