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常設展示1999年度【第4期展示】2000年1月4日-2000年3月26日

第1室:昭和の洋画 II 抽象表現の諸相

作者名 生没年 作品名 制作年 材料
古賀春江 (1895-1933) 煙火 1927 油彩・キャンバス  
山口長男 (1902-1983) 1936 油彩・キャンバス  
吉原治良 (1905-1972) 作品 1937 油彩・キャンバス  
村井正誠 (1905-1999) 支那の町 No.1 1938 油彩・キャンバス  
村井正誠 (1905-1999) うしろ姿 1956 油彩・キャンバス  
桂ゆき (1913-1991) 作品 1958 油彩・キャンバス  
難波田龍起 (1905-1997) 創生 A 1961 油彩・キャンバス  
斎藤義重 (1904-  ) 作品 1963 油彩・合板  
斎藤義重 (1904-  ) 作品(プロペラ) 1967 油彩・合板  
杉全直 (1914-1994) コンポジション A 1961 油彩・キャンバス  
菅井汲 (1919-1996) 森の朝 1967 油彩・キャンバス  
田淵安一 (1921-  ) 一は全て 全ては一 1965 油彩、水彩、インク・キャンバス  
前田常作 (1926-  ) 空間の秘儀(出現 その5) 1965 油彩・キャンバス  
宇佐美圭司 (1940-  ) 銀河鉄道 1964 油彩・キャンバス  
阿部展也 (1913-1971) R-26 1970 アクリル・キャンバス  
小野木学 (1924-1976) 風景 1975 油彩・キャンバス  
元永定正 (1922-  ) 作品 1956 油性樹脂系絵具・キャンバス  
元永定正 (1922-  ) 作品 1966 アクリル・キャンバス  
吉原治良 (1905-1972) 作品(赤丸) 1967 油彩・キャンバス  
白髪一雄 (1924-  ) 黄龍 1965 油彩・キャンバス  
松谷武判 (1937-  ) OBLIQUE-3-86 1986 アクリル、鉛筆、ビニール接着剤・キャンバス、和紙  
浅野弥衛 (1914-1996) 作品 1960 油彩・キャンバス  
浅野弥衛 (1914-1996) 作品(黄・緑・紫・青・赤) 1964 油彩・キャンバス 小嶋千鶴子氏寄贈
浅野弥衛 (1914-1996) 作品(黄・紫) 1964 油彩・キャンバス 小嶋千鶴子氏寄贈
浅野弥衛 (1914-1996) 作品 1970 油彩・キャンバス  
浅野弥衛 (1914-1996) 作品 1975 油彩・キャンバス  
辻晉堂 (1910-1981) ポケット地平線 1965  
向井良吉 (1918- ) 風の中の壁 1962 ZAS合金  
豊福知徳 (1925- ) 構造 1963  
三木富雄 (1937-1978) c.1965 アルミニウム  

 わが国の絵画史に抽象表現が登場するのは、明治末から大正前期に当たる1910年代のことである。フォーヴィスム、キュビスム、未来派、表現主義など当時日本に紹介されつつあった様々な造形言語を貪欲なまでに取り入れた萬鐵五郎の作品、あるいは詩版画雑誌『月映』所収の恩地孝四郎の木版画などを、わが国抽象絵画の先駆的存在としてあげることができる。

 1920年代に入ると、ロシアから未来派の画家ブルリュック、パリモフ、構成主義の画家ブブノワらが来日して日本の作家たちに影響を与え、またベルリンでロシア構成主義から強い影響を受けた村山知義が帰国して活動を開始するなど、いわゆる新興美術運動の中で数多くのグループが結成されたが、その活動は長くは続かず、社会主義的性格を強めて昭和初期にはプロレタリア美術団体へと転換していった。

 1930年代後半には、山口長男、吉原治良ら二科会の前衛的傾向の作家たちの九室会、福沢一郎らシュルレアリスム的傾向の作家たちを中心にした美術文化協会、村井正誠ら抽象主義的作家たちが結集した自由美術家協会などが結成された。これらの団体に属した作家たちの作品は、日本の抽象絵画が新たな段階に入ったことを示しているが、戦時体制強化の中で三団体とも活動中止に追い込まれ、組織としてはわが国の抽象絵画は太平洋戦争によって断絶を余儀なくされることになる。

 しかし、作家個人のレベルでは、戦後の抽象表現が戦前戦中期の活動と無縁でありえないことはいうまでもない。たとえば、1930年代に中国の都市を撮影した航空写真からインスピレーションを得た抽象作品を発表していた村井正誠は、敗戦前2-3年の間に花や庭等をモチーフにした作品を描いた後、戦後は「動的な抽象絵画」を求めて、人間を主題に色面と線との関係によって動感豊かな作品を制作するに至った。その色面の使用法や画面構成は、こうした村井の戦後の作品が戦前の抽象作品なしには生まれ得なかったことを示している。

 また、村井だけでなく、吉原治良、山口長男ら戦前から抽象作品を発表していた画家たちも、戦中・戦後の混乱の中でそれぞれに模索を続け、決して単純ではない展開の軌跡を見せながら、1950年代以降独自のスタイルを確立することになる。

 そうした戦後の抽象絵画の形成に大きな影響を与えた要素として忘れることができないのが、1951年に東京で開催された「現代フランス美術展」や1956年の「世界・今日の美術展」などを通じて紹介された、アンフォルメル絵画(informel 不定形、無形体絵画)、抽象表現主義、空間派など同時代欧米の新しい抽象表現であった。

 なかでもフランスの美術批評家ミシェル・タピエが提唱し、パリ在住の今井俊満、堂本尚郎らも参加していたアンフォルメル絵画の運動は、1950年代半ば以降わが国の美術界を席捲し、抽象系の作家だけでなく、具象系の画家たちにも影響を与えることになった。

 吉原治良を中心とした具体美術協会(1954-1972)は、「具体美術は物質に生命を与え、・・・人間精神と物質とが対立したまま、握手している」と宣言して、「人まねをしないで、自分自身の方法を見つけ出し発見する」ことをめざした。この会に結集した元永定正、白髪一雄、松谷武判ら関西の作家たちは、キャンバス上の制作だけでなく、パフォーマンスや野外展示などにも自由な精神の働きを発揮し、タピエに注目されて海外にも紹介されて、戦後日本の抽象表現に大きな位置を占めることになった。

(毛利伊知郎)

 

第2室:近代の日本画

作者名 生没年 作品名 制作年 材料
横山大観 (1868-1958) 満ちくる朝潮 1952 紙本著色
小川芋銭 (1868-1938) 野渡新造船図 1930 紙本著色
小川芋銭 (1868-1938) 水郷十二橋 1933 紙本淡彩
菱田春草 (1874-1911) 薊に鳩図 1901 絹本著色
平福百穂 (1877-1933) 太公望図 1927 紙本墨画淡彩
小林古径 (1883-1957) 麦秋 1915 絹本著色
小林古径 (1883-1957) 旅路 1915頃 絹本著色
安田靫彦 (1884-1978) 天孫降臨画稿 制作年不詳 紙本墨画
前田青邨 (1885-1977) 1914-16頃 絹本著色
前田青邨 (1885-1977) 西遊記下絵 1927頃 紙本墨画
萬鐵五郎 (1885-1927) 山水図 1922 紙本墨画
岸田劉生 (1891-1929) 冬瓜茄子之図 1926 絹本著色
速水御舟 (1894-1935) 花の傍下絵 1932 紙本著色
速水御舟 (1894-1935) 制作年不詳 紙本著色
斎藤清 (1907-1997) 秘苑(2) 1970 紙本墨画著色
斎藤清 (1907-1997) 景福宮 1970 紙本墨画著色
斎藤清 (1907-1997) 妓生・京城 1970 紙本墨画著色
工藤甲人 (1915-) 曠野の鴉 1962 紙本著色

 1999年9月4日から11月7日までの間、三重県立美術館において『20世紀日本美術再見III 1930年代』という展覧会を開催した。1930年代の日本美術の動向を、日本画、洋画はもとより工芸、デザイン、建築、写真などから再見することを目的としたその展覧会の「都市と田園」と題した第4室に、幸いにも速水御舟筆《花の傍》(歌舞伎座所蔵)を展示することができた。《花の傍》は、縞模様や幾何学的模様を多用することによって個々のモティーフの前後関係を明確にした空間構成、あるいはモガと呼ばれた女性や同時代の風俗をとりいれている点などから1930年代を代表する日本画のひとつといっていいすぎではない。現在、第2室では、この《花の傍》の下絵を展示している。

 当館は、宇田荻邨や伊藤小坡など、近代日本画家の下絵類を多く所蔵しており、画家が他人に見せることを目的に描いたものでないとはいえ、制作過程をしるための貴重な資料であるとして、下絵の重要性をしばしば指摘している。御舟の《花の傍》下絵も例外ではなく、本画制作に至るまでの御舟の考察のあとを知ることの出来る重要な資料であり、御舟がのこした日記とあわせて考えると、《花の傍》の理解に一歩近づくことができる。

 御舟が下絵をはじめとする画稿類をどのように捉えていたかを知る興味深いエピソードがある。それは、1931年、小茂田青樹が没した際に、彼の画室の整理を任された御舟が、必要な画稿類以外はすべて燃やし、また、同年の12月には御舟自身の画稿の多くを処分したというものである。既に指摘されているように、このエピソードは、御舟が必要のない画稿類を手元にのこす必要を感じていなかったことを示している。そして、にもかかわらず《花の傍》の下絵や習作が数多くのこされているという事実は、御舟がこれらの画稿を必要と認め、意図的にのこしたのだと考えることはできないだろうか。

 現在、確認されている《花の傍》の下絵と習作は9点。1932年1月19日に親類の吉田花子がモデルとして訪れてから、8月8日に御舟が本画に着手するまでの制作過程をこれらの下絵は伝えてくれる*。もっともはやくに手がけられたと思われる素描では、モデルは編み物ではなく、読書をしているが、椅子やテーブルを配するという点については本画と大きな違いはない。そのすぐ後に手がけたと思われる素描では、すでに編み物をする女性に変更され、構図も本画にかなり近いものとなっている。それから後、鳥かごを配することを試みたり、義兄が飼っていたという洋犬が加えられたりと推敲が重ねられている様子がうかがえる。そして、御舟は、本画にとりかかった後も2度改作を試み3度目に院展出品作を仕上げている。当館所蔵の《花の傍》下絵は、2回の習作を経た後、院展出品作の直前に手がけられたものであると考えられている。2度目の習作とこの下絵との相違点には、椅子のディテールと模様、花瓶の形態と模様をあげることができる。顔と手の背景となるこの二つのモティーフには相当苦心したらしく、最終的に縦縞の布をはった椅子と、テーブルクロスの縞模様に平行す・驩。縞模様の花瓶 に落ち着くまでに変更がくりかえされている。このように、洗練されたモダンガールを描く《花の傍》は、モデルのクールな表情とは裏腹に、御舟が研究に研究を重ね、悩みに悩んだ末に完成させた作品なのである。

 この時期、御舟が人体の表現に興味をもっていたことは、前年にも話題作《女二題》を手がけていることや、1930年の渡欧後、人体のデッサンの研究会をつくっていることからも明らかである。御舟が、《花の傍》の下絵を複数のこしたのは、のちの人物画制作に役立てたいという意欲があったからなのかもしれない。しかし、御舟は《花の傍》制作の3年後、腸チフスのため40歳の若さで他界する。御舟没後、院展における進歩的作品が激減したといわれたほど御舟は革新の人であった。《花の傍》は、このチャレンジ精神旺盛な御舟の作画態度をよくあらわした作品であり、御舟の画歴においても重要な位置を占める作品であると位置づけることができよう。

(佐藤美貴)

*《花の傍》については、倉本妙子「「花の傍」をめぐって」(『速水御舟』学習研究社 1992年)に詳しい。

 

第3室:20世紀の版画芸術

作者名 生没年 作品名 制作年 材料
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 戦争の惨禍 c.1810-20 エッチング、アクアチント・紙  
オノレ・ドーミエ (1808-1879) 古代史 1841-43 リトグラフ・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) プチ・ポン 1850 エッチング、ドライポイント・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) ノートル=ダムの給水塔 1852 エッチング、ドライポイント・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) ノートル=ダム橋のアーチ 1853 エッチング、ドライポイント・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) 塔・医学校通り 1861 エッチング、ドライポイント・紙  
J.B.ヨンキント (1819-1891) オランダ風景銅版画集 1862 エッチング・紙  
J.B.ヨンキント (1819-1891) オンフルールの木の桟橋 1865 エッチング・紙  
カミーユ・ピサロ (1830-1903) 農夫モロン親爺 1879 エッチング・紙  
カミーユ・ピサロ (1830-1903) 鋤で耕す農婦 1890 エッチング・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1825-1885) 死の喜劇 1854 リトグラフ・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1825-1885) 鹿のいる聖母子 1885 リトグラフ・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1825-1885) 善きサマリア人 1861 リトグラフ・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) 聖ヨハネ黙示録 1899 リトグラフ・紙  
エドガー・ドガ (1834-1917) 裸婦半身像 c.1891 コンテ、赤チョーク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック (1864-1901) ムーラン=ルージュのイギリス人 1892 リトグラフ・紙  
バルトロメ・エステバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ c.1645-50 油彩・キャンバス  
スルバラン派の画家   聖ロクス 17世紀 油彩・キャンバス 有川一三氏寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 旅団長アルベルト・フォラステール c.1804 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た若い女 c.1876 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
パブロ・ピカソ (1881-1973) ジプシーの女 1900 パステル、油彩・板 三重県企業庁寄託

 マラルメが「緋のように高貴な黒」とたたえたルドンの石版画(リトグラフ)の黒を、駒井哲郎はもう少しちがった言い方で説明する。「素材に対する認識の生々しさがルドンの幻想と精神を黒という高貴な色によって紙の上に定着したのであろう」。始終、インクや腐食、印刷に頭を悩ましていた駒井が、「素材に対する認識の生々しさ」という表現をえらんだのは、版画家にとっての素材が同行の士でもあり、力尽くで手なずけなければならない敵でもあったからだろう。駒井が腐食銅版画(エッチング)を使命と感じていたように、ルドンは、石版画が自分の才能をよく伝えてくれる素材であることを知っていた。とはいえ、ルドンもまた素材との複雑な関係を次のように記している。「鉛筆、木炭、パステル、油絵具、版画の黒、大理石、青銅、土、木、こういうものが彼の同伴者、共働者として、彼の語る物語に参加する。材料はそれ自体の秘密を持ち、精神がある。それによって神託が語られるのだ。画家が夢を語る時、彼を地面に結びつけているこういう隠れた糸の働きがあること、眼覚めた明晰な精神の働きとともに、反対のものが働いていることを忘れてはならない」。

 ところで、19世紀にいたるまで、版画における画家の創意と素材とがこれほどまでに真剣に語られたことはほとんどなかった。というのも、版画は絵画の複製が主たる目的であり、忠実な再現、職人的な熟巧こそが必要とされていたのである。版画に独創性をもとめたのは19世紀以降の傾向で、ロマン主義、バルビゾン派、レアリスム、そして印象主義と、世紀を通じて多くの画家たちがこれらのいわゆる創作版画を手がけ、石版や腐食銅版を愛用した。

 石版画は石、油、水の化学反応を利用した平版である。石(石灰石)の上に油性のインクで描き、そこに水を含ませると、描かれた油性の部分は水をはじき、そうでないところは水が保たれる。そこに刷り用の油性のインクをのせると、描かれた油性の部分は刷り用のインクが付着し版ができあがる。つまり画家は、着想をそのまま自由に石の上にデッサンすればよかった。一方、腐食銅版画は銅版を腐食させて溝をつくる凹版である。銅版をグランド(耐酸性の防腐剤)でコーティングし、その皮膜をニードルで剥がして希硝酸に浸す。すると、グランドの剥がれたところだけが腐食されて溝となり、そこにインクを詰めて版をつくる。ニードルを引っ掻いてグランドを剥がす作業はさほど力のいるものでなく、これもまた画家のみずみずしいデッサンが活かされた。

 これら二種類の版画に共通する特徴は、着想の自由な表現とそれをたすける素材の化学変化である。しかし、表現の自由とはうらはらに、この素材の化学変化こそが「素材自体の秘密と精神」、「画家を地面に結びつけている隠れた糸」であり、画家を悩ませ、そして魅了した。この煩雑な行程は、たいていの場合専門の職人に任せられたが、ルドンのように、「普通に行われる石版の仕事の方法からはずれた」自分なりの試し刷りをおこなうものもいた。しかし、「不安な熱情をもって、探求心と注意力を傾けた分析の結果」に対する印刷工の無理解に「腸が煮えくりかえる思いでこらえた」という。メリヨンは、そうしたやっかいを避けるために全行程を一人でこなし、自分の目の届かないところでの複製をおそれるあまり、刷り終わった版を傷つけ、反古にするという徹底ぶりだった。

 白と黒、紙とインクという素材との葛藤が創作に深く関わっているという点で版画に魅せられた文章家も多く、ヴァレリーのように版画と文章術が、その手段と創作上の精神においていかに近似しているかに熱弁を奮ったものもいる。いやむしろ、版画がそこでもうひとつ、物質の化学変化を経ることが、錬金術への遠い憧れとともに、神秘性を放つ。「しかもその物質は、仕事をする彼の手の下に直ちに存在するのである。それは意志であり、板岩であり、木であり、銅であり、亜鉛であり……。紙さえが、その肌理や繊維によって、夢みる手を唆して繊細さを競わせる。」とはバシュラールの言葉である。

(桑名麻理)

 

ギャラリー、ロビー

アンヘレス・マルコ(1947- )/高速道路(連作『通行』)/1987/鉄、脂
ラモーン・デ・ソト(1942- )/通行の階段/1997/銅
ラモーン・デ・ソト(1942- )/沈黙の建築W/1997/銅
飯田 善國(1923- )/クロマトポイエマ/1972/シルクスクリーン・紙
湯原和夫(1930- )/無題/1971/真鍮、クローム鍍金
湯原和夫(1930- )/無題/1971/鉄、ステンレス
オシップ・ザッキン(1890-1967)/ヴィーナスの誕生/1930/ブロンズ/岡三証券寄贈
飯田善國(1923- )/Xのコンストラクション/1987/木、着色麻ロープ
多田美波(1924- )/曙/1982/テラコッタ、ステンレススティール 江口週(1932- )/ふたたび翔べるか?柱上の鳥/1988/木

(会期中、一部展示替えを行う場合があります)

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