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常設展示1998年度【第4期展示】 1999年1月5日(火)〜3月22日(月)

第1室:戦争の前と敗戦の後の洋画

 1930年5月に鳥海青児はシベリア経由でヨーロッパへ旅立ったのだが、一年後の1931年5月おなじシベリア経由でフランスへむかったのは森芳雄である。鳥海は1933年に、そして森芳雄は1934年にそれぞれ帰国して、「ゴヤを発見した後、私はオランダで、レンブラントにゴヤに劣らぬ影響を受けた。」(鳥海)と語り、「西洋の芸術の深く広い伝統の姿を知るだけでもよかったのだと思う。ふだん使いなれている「立体感」という言葉にしても、その背後には膨大な実験の積み重ねと、無数の人間の喜びや悲しみや祈りを通して作り上げてきた造型の蓄積がこもっていたはずではなかったか。」(森)と感想をのこすことになった。

 かれらよりすこしおくれて1938年2月、海路でフランスをめざした麻生三郎にしても、痛感するしかなかったのは「作品」というよりもそれを生みだした風土と歴史のぶあつい堆積ということだったろう。麻生のことばでいうなら「ヨーロッパでは底に流れた思想が重大で、積み重ねられた塔であること、寺の一つの石が基礎」なのである。

 もちろん鳥海青児、森芳雄、麻生三郎だけのことではない。かれらがみたものは洋行したすべての画家がみたものである.そして大多数はその圧倒的な迫力のまえに我をわすれてしまうことになる。いったい須田國太郎が「何といっても我が洋画界はまだ輸入時代である。欧羅巴、ことに巴里の傾向はそのままに反映している。巴里で超現実派がなお活力を失わずとあれば、当分はこの派の模倣も優勢であろう。」と書いたのは1937年のことだった。しかしこの須田にしても、1904年、丸善京都店でみた雑誌ではじめてみたゴッホに強烈な印象をうけ、「これに比べると西洋から帰ってきて一躍大家になる日本人の画業というものからあまり感激をうけなくなり、摸倣でない仕事を、それが新しいものであることを念願し出した。」後、1919年、スペインのマドリッドはプラド美術館でヴェネチア派絵画を研究、以後泰西名画を多数模写して、1923年帰国したという過去をもつにはもっていたのである。

 須田の帰国におくれること十数年。鳥海と森と麻生が帰国した1930年代になって、やっと日本の洋画に「摸倣でない仕事」ができる準備が、これら画家たちによってととのったかにみえた。絵のなかの日本が現実になってきた。その意味で麻生が「いまたいへん重要なことは敗戦の前後のことである。この期間のことはいま明治を問題にするよりも大切なことが多くある。ここに日本の近代の起点があった。」とかいているのはとても興味ぶかい。明治ではなく昭和の十年代に「近代」をみる麻生は、しかしそのあとに次のようにもいわざるをえなかった。「一九四一年をさかいにその前と後と敗戦までの時間は忘れることが出来ない。靉光の絵を見ても一九四一年までを頂点として戦争においこまれているのが判るのだ」。

 伸びてゆこうとしたものを無惨に摘みとったもの。それを満洲事変から敗戦にいたるまでの戦争の日本であったということができる。1940年に自由美術家協会が「自由」を剥奪されて美術創作家協会と改称したことが、おこりつつある事態のすべてを象徴している。自由のかわりに画家に押しつけられたのは主題としての「戦争」と「日本」であることを苦々しい思いで、しかし表面は穏やかにかきつづったのは他でもなく須田であったのだが、ともかくそれまでの既成の運動が総崩れしてゆくなかで、1942年に麻生三郎、松本竣介、井上長三郎、鶴岡政男、靉光、寺田政明、大野五郎、糸園和三郎が新人画会を結成したことは、暗闇のなかの微光の感があるとしても、ありようは、美術という現象が社会からもういちど個人へかえって、その小世界をまもることにしか未来はなかったということである。ともあれ、麻生も鳥海も森も、そして須田もこのたたかいをくぐりぬけたのであるが、戦争がおわったあとでやってきたのは、はたしてかれらが想像していた未来だったのだろうか。すくなくとも敗戦直後の洋画界における抽象画の席巻は、かれらの夢の延長線上で育っていったものではなかった。

(東俊郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
須田国太郎 (1891-1961) 信楽 1935 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
鳥海 青児 (1902-1972) 紀南風景 1936 油彩・キャンバス  
鳥海 青児 (1902-1972) 彫刻(黒)をつくる 1953 油彩・キャンバス  
吉原 治良 (1905-1972) 作品 1937 油彩・キャンバス  
浜田 知明 (1917-   ) 1951 エッチング、アクアチント・アルシュ紙  
浜田 知明 (1917-   ) 1952 エッチング、アクアチント・アルシュ紙  
森  芳雄 (1908-1997) 大根など 1942 油彩・キャンバス  
森  芳雄 (1908-1997) 1952 油彩・キャンバス  
森  芳雄 (1908-1997) 街角(カイロにて) 1963 油彩・キャンバス  
松本 竣介 (1912-1948) 建物 c.1945 油彩・板  
松本 竣介 (1912-1948) 家族 1937 鉛筆、コンテ・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 1946 インク・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 1947 ペン、インク・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 風景(三角屋根の家) c.1948 墨・紙  
金山 康喜 (1926-1959) 静物 1953 油彩・キャンバス  
麻生 三郎 (1913-   ) 母子のいる風景 1954 油彩・キャンバス  
麻生 三郎 (1913-   ) 荒川B 1954 コンテ・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 大崎駅付近 1959 ペン、黒インク・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 目B 1967 水彩、パステル・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 肘をついた人 1971 油彩・キャンバス 寄託品
麻生 三郎 (1913-   ) 1979 鉛筆・紙  
鶴岡 政男 (1907-1979) 黒い行列 1952 油彩・キャンバス  
石井 茂雄 (1933-1962) 暴力シリーズ−戒厳状態U 1956 油彩・キャンバス  
元永 定正 (1922-   ) 作品 1956 油彩・キャンバス  
難波田龍起 (1905-   ) 創生A 1961 油彩・キャンバス  
香月 泰男 (1911-1974) 芒原 1968 油彩・キャンバス  
阿部 展也 (1913-1971) R-26 1970 アクリル・キャンバス  
菅井  汲 (1919-1996) 森の朝 1967 油彩・キャンバス  
小野木 学 (1924-1976) 風景 1975 油彩・キャンバス  
宇治山哲平 (1910-1986) 伊勢 1976 油彩・キャンバス  
松谷 武判 (1937-   ) OBLIQUE-3-86 1986 アクリル絵具、鉛筆、ビニール接着剤・キャンバス、和紙  
 

第2室:近代の日本画

 日本美術史研究の第一人者源豊宗氏は、その著書『日本美術の流れ』(1976思索社)中で、西洋美術・中国美術・日本美術の特性をそれぞれ「ヴィーナス」「龍」「秋草」に喩えて論じている。ここでその内容を詳細に紹介する余裕はないが、客観的写実的であり、なおかつ理想的な官能美を指向していた西洋の美術を「ヴィーナス」、世俗を超越したものを重んずる中国の美術を威厳ある「龍」、そして情緒的・情趣的な日本の美術を「秋草」になぞらえているということができる。うつろいゆく時間を強く感じさせる秋という季節は、日本人が過ぎゆくものに対していだく哀感を象徴する。同時に秋草のもつ繊細な曲線美は日本人の好む造形であるといえるだろう。

 たしかに、日本美術の流れをふりかえると−現存する作品にかぎっても−秋草が描かれた例は枚挙にいとまがない。たとえば平安時代後期に描かれた日本絵画史上もっとも重要な絵巻のひとつである《源氏物語絵巻》の〈御法〉(五島美術館所蔵)、〈宿木三〉〈東屋二〉(ともに徳川黎明会所蔵)にも秋草は描かれている。各段の秋草は、思いを託して歌に詠まれたり、あるいは登場人物の心情を反映したりと単なる画面の点景以上の重要な役割を担う。また秋草が描かれるのは絵画に限ったことではなく、料紙装飾にもしばしば用いられている。さらに雄大・豪壮といったイメージのある桃山時代においてさえ、秋草をモティーフとする高台寺蒔絵が流行する。そして、俵屋宗達(?−1640頃)、尾形光琳(1658−1716)、酒井抱一(1761−1828)とつづくいわゆる琳派の系譜も忘れることはできない。特に抱一の《夏秋草図屏風》(東京国立博物館所蔵)は、抱一そして琳派の代表作であるだけでなく、代表的な秋草図として差し支えないだろう。

 ところで今回第2室に多く展示している花鳥画という画題は、近代にかぎらず日本美術においておおいにに好まれた画題である。はじめは、鎌倉時代に中国宋元画の影響をうけて禅僧による水墨花鳥画が描かれ、つづいて室町時代には彩色花鳥画が、桃山時代には金碧障壁画にも花鳥画が描かれるようになった。時代がくだって江戸時代も中頃になると徐々に写実的傾向が生まれてくる。一方で、花や鳥それ自体が、元来愛でる対象でもあり、美的側面が重要視されることから、先に述べた装飾性を重視する琳派でも多くの花鳥画が手がけられる。そして、美しさが重視されるという花鳥画の性格を考えると、琳派の影響が近代の花鳥画において小さくなかったことが容易に想像できるのである。

 そして、ときに「装飾芸術の一派」とまで評される琳派のすぐれた装飾性は、中村岳陵の《都会女性職譜》にもみることができる。《都会女性職譜》は、鎌倉時代以降描かれつづけた「職人尽絵」に着想を得、男性社会に進出しはじめた女性にエールをおくる意味もこめて制作された作品である。〈看護婦〉〈レビュー・ガール〉〈エレベーター・ガール〉〈デパートの店員〉〈奇術師〉〈チンドン屋〉〈女給〉など昭和初期の風俗を描いた作品にみる大胆な構図、曲線を多用することによって生まれる装飾性、にじみを効果的に利用するたらしこみの技法などに琳派の影響をみることができる。岳陵作品に琳派の影がみられる一因に、岳陵が初期にまなんだ野沢堤雨が江戸琳派の流れに位置する画家であることがあげられよう。

 さらに、染色家山出守二の単純化されたモティーフで創り出す装飾的な作品も琳派と通じるものがある。山出は、大正5年(1916)度会郡南勢町に生まれている。京都に出て友禅下絵の修行をした後、小合友之助、稲垣稔次郎の作品に心をうたれ染色作家の道を志す。京都の高級呉服商雁金屋に生れ育った光琳との共通点を、京都という土地、そして本格的に作家になる以前に下絵類と深く接する機会があったという点にみることができるだろうか。

 岳陵や山出にかぎらず、琳派を語ることなく、日本の近現代の美術の流れを考えることは難しい、といってもけっしていいすぎではないだろう。

(佐藤美貴)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
菊池 芳文 (1862-1918) 白鷺図   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
菊池 芳文 (1862-1918) 牡丹図   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
菊池 芳文 (1862-1918) 白菊図   紙本金地著色 寺岡富士氏寄贈
谷口 香喬 (1864-1915) 早春図   紙本墨画淡彩 寺岡富士氏寄贈
竹内 栖鳳 (1864-1942) 雨霽図   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
横山 大観 (1868-1958) 満ちくる朝潮 1952 絹本著色  
山元 春挙 (1871-1933) 寒牡丹図   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
菱田 春草 (1874-1911) 薊に鳩図 1901 絹本著色  
小室 翠雲 (1874-1945) 雪裏梅花図   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
中村 岳陵 (1890-1969) 都会女性職譜 1933 紙本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 春の池 1931 紙本淡彩  
山出 守二 (1916-   ) 鵜の島 1980 染色  
山出 守二 (1916-   ) 凍池 1982 染色  
 

第3室:笑うドーミエ

ここに絵姿お目にかけるこの人

ぬきんでて微妙な芸術をもって

 

われとわが身を笑う術(すべ)おしえる

 

この人は、読者よ、賢者なのだ

 

               *阿部良雄『ボードレール全集T』筑摩書房1987

 

 これは、ボードレールがドーミエに捧げた詩の一節で、彼の名が〈笑い〉と賢者の歴史に記されたことを告げている。

 賢者の〈笑い〉は、どうやら西洋の思想の大切な部分となっていて、それは〈笑い〉の本質と関係しているらしい。

 〈笑い〉は、ときに嘲笑へと転じ、既成の価値を転倒させてしまう。聖なるもの、正統とされているもの、真理とされているものが疑われるのである。〈笑い〉は潜在的に反勢力なのだ。

 だから、神の真理を絶対とするキリスト教世界では〈笑い〉は否定されてきた。「キリストは笑わなかった」というのが一般的な教義となっている。

 しかし、その一方で〈笑い〉の有用性を説く立場もある。たとえば、アリストテレスの『詩学』第二部は喜劇をとりあげ、〈笑い〉はほんとうの真理への到達を可能にする人間の理性として肯定されている。

 要するに、神の絶対か、人間の理性か、真理をどこに求めるかによって〈笑い〉の正当性は長く論じられてきたのである。そういえば,ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(河島英昭訳 東京創元社1990)は、〈笑い〉の是非をめぐる壮大なミステリーである。物語の大いなる鍵となった『詩学』第二部などの笑いを是認する書物は、それらを秘蔵する修道院の図書館の炎上というかたちでこの世から失われる。〈笑い〉は永遠に否定されるのである。

 19世紀になると、ジャーナリズムの発展にともなって 〈笑い〉は諷刺として歴史の表舞台に登場する。そして、ドーミエは、バルザックらと同様、その使い手としてあらわれた。

 ドーミエが諷刺版画家として活躍したのは、おもに『カリカチュール』と『ル・シャリヴァリ』の二紙。『カリカチュール』での政治諷刺が「血なまぐさい道化ぶり」と評価され、彼の知名度は高まった。それでも、彼の諷刺の真骨頂は『ル・シャリヴァリ』に掲載された風俗諷刺にあるとされる。そこでは人間に対する温かなまなざしが諷刺の毒を和らげ、〈笑い〉はむしろ、真理を照らす鏡の役割をはたしている。《古代史》は、1841年12月から翌々年の1月にかけて同紙に発表されたシリーズで合計で50点になる。古代ギリシャ・ローマの神話や歴史が人間喜劇さながらにパロディ化された。神や英雄は、卑俗な男女として描き出され、喜怒哀楽をあらわにした庶民的な感情表現、誇張されたジェスチャーは、どこそこの誰それを思い出させる。

 古典古代の崇高美をひきずりおろしたドーミエの〈笑い〉は、その模倣にはしる新古典主義の皮相さを映し出し、われわれの真理は、今、ここに、と示したのである。「あらゆる動物のなかで人間だけが笑う能力がある」というアリストテレスの言葉は、こうして19世紀によみがえった。

 冒頭の詩人の賛辞に対するドーミエの反応は「詩人が脳髄に変調をきたしたのではあるまいか」だったという。

(桑名麻理)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
オノレ・ドーミエ (1808-1879) 古代史 1841-43 リトグラフ・紙  
ジェームズ・ティソ (1836-1902) 1878 エッチング、ドライポイント・紙  
アレクサンドル・スタンラン (1859-1923) 『ジル・ブラス』紙挿絵 1891-94 写真凸版・紙  
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) マイアー・グレーフェ・ポートフェリオ 1895刊    
窓辺の少女 1894 ドライポイント、ルーレット・紙  
アッシュ博士の肖像 1895 ドライポイント・紙  
クリスティアニア・ボヘームT 1895 エッチング、ドライポイント・紙  
その翌朝 1895 ドライポイント、アクアチント・紙  
差し向い 1895 エッチング、アクアチント・紙  
アンリ・トゥルーズ=トレック (1864-1901) ムーラン=ルージュのイギリス人 1892 リトグラフ・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ベアトリーチェ 1897 リトグラフ・紙  
ウージェーヌ・アジェ (1857-1927) 居酒屋の雌鹿の看板

 

ジェフロワ=サン=

 

イレーヌ街35番地
制作年不詳 写真 (株)ツァイト・フォト寄贈
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た若い女 c.1876 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
エドガー・ドガ (1834-1917) 裸婦半身像 c.1891 コンテ、赤チョーク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
 

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
磯崎  新 (1931-   ) モンロー・チェアー 1974 棒・天然セダー皮・ラッカー  
元永 定正 (1922-   ) タピストリーNo.9 1977 毛織物  
元永 定正 (1922-   ) タピストリーNo.20 1977 毛織物  
加納 光於 (1933-   ) 版画集 稲妻捕り 1977 リトグラフ・紙  
宮田 脩平 (1933-   ) ピラミッド 1981  
宮田 脩平 (1933-   ) おとぎの国 1981  
宮田 脩平 (1933-   ) 円柱・角柱 1981  
若林  奮 (1936-   ) 大気中の緑色に属するもののためのデッサン 1982 鉛筆・紙  
瀧川 嘉子 (1937-   ) 境−No.6−1986 1986 板ガラス  
斎木  勲 (1952-   ) 1986 磁器  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
飯田 善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木、着色麻ロープ  
多田 美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ、ステンレススティール  
江口  週 (1932-   ) ふたたび翔べるか? 柱上の鳥 1988  
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985  
番浦  有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原  秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
松本   薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
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