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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 1997 > 常設展示1997年度第4期(1997.12-1998.3)

常設展示1997年度【第4期】 1997年12月25日(木)~1998年3月29日(日)

第1-2室:絵のかたち-タブロー、屏風、掛軸……

 普段我々が目にする絵画の多くは額縁に入っている。あるいは掛軸ならば表装されている。たとえば何かの都合で絵についている額縁を外すことがあると、絵の印象が途端に変わり、どこか落ち着かない感じが生じてきたり、あるいは合わない額縁に入った絵画が異和感を起こさせたりすることがないだろうか。掛軸の場合も同様で、特に日本では表具に並々ならぬ神経が使われ、絵そのものに見合う扱いを受けてきたし、ふさわしい表装を得て初めて絵は本来の姿を発揮するともいえるぐらいであった。というのも、額縁や表装は、絵画とそれが置かれる空間とを媒介するものであると同時に、〈絵空事〉という言葉が文字どおり示しているように、〈絵〉の世界が現実に我々が生きている世界とは異なるということを示す境界線としても欠かせない働きをもっているからであろう。

 とりわけ今日では、絵画というと額縁に囲まれた独立した形式をもつ〈タブロー〉が想起されるが、もともと壁画であった西洋の絵画が建物から独立し、額縁をもつ〈タブロー〉が登場してきたのは初期ルネサンスの頃であった。それ以来額縁は、絵を絵の中の世界に限定すると同時に、その内側での自由な表現を可能にしてきた。それ以前の長い年月の間、西洋でも絵は建物の一部や書物の挿絵、工芸品の装飾の一部であり、その〈かたち〉、すなわち形式も、建物の壁に直接描かれた壁画、床面のモザイクなどの大画面から小画面のミニアチュール(細密画)まで多岐にわたっていた。また周知のとおり、日本の絵画にも、建具の襖や杉戸、調度品である屏風、掛軸、巻子等々様々な形式があり、見る側もまたそれらの形式に応じてそれぞれの絵画と接してきたのである。

 ここでは三重県立美術館が所蔵する近現代の絵画を、絵のかたち、すなわち画面形式に焦点をあてて紹介している。日本の近代は、油絵の技法とともにタブローという形式に日本の画家たちが取り組み始めた時代でもあり、その後次第にタブローが主流を占めていくが、屏風や掛軸、巻子など伝統的な形式も同時に生き残っていた。生活空間に置かれる屏風や掛軸は、タブローと同じく絵空事の世界を創り出すが、建物から独立したタプローとは異なり、常に建築空間と密接に関わってきた。そして近代に入っても、建築自体が決定的に変貌してしまうまで、しばらくの間廃れることはなく、伝統的な形式を伝承するにとどまらず、ときには画家の積極的な実験の場でもあった。

 20世紀の初頭にヨーロッパを訪れた日本画家の竹内栖鳳は、動物園でライオンを写生し、帰国後、金地にセピア色でライオンを描いた屏風を数点制作している。左隻にライオン、右隻に虎を描いた当館所蔵の屏風もそのひとつである。日本美術史に15世紀に登場してきた金地の屏風は、会所のしつらいに欠かせぬ調度品であり、屏風を配することによって一時的に特別の意味をもつ空間をそこに出現させることができた。光を反射して輝きを放つ金地は、画面の奥行をあまり感じさせず、描かれたものを前面に押し出すことによって臨場感に溢れた空間を創り出す。ここでは桃山時代に狩野派が唐獅子を濃彩で力強く金地に描いた先例などが想起されるが、大胆な筆遣いに細部の細やかな描写を交えて写実的に描かれた虎と獅子は、背景を最小限にし、金地にセピアで描いたのが効果的で、屏風形式を生かした迫力ある表現を生み出している。

 一方、表装が大きな意味をもつ掛軸も、屏風同様基本的に室内のしつらいの一部であり、床の間の出現以降、もっぱらそこに掛けられてきた。線遠近法とともに成立してきた西洋のタブロー形式に比べると、掛軸形式の画面は一般にかなり縦長であり、山水画の典型的な空間構成では、現実の奥行が画面上の上下関係に転換されている。その関係は何層にも積み重なることで、限られた画面のなかに奥へと広大な広がりをもつ空間を展開させる。あるいは木島櫻谷の「暮雨」や前田青邨の「」にみるように、はるか上からの傭瞰的構図のうちに空間の広がりを感じさせる場合には余白が生かされている。屏風が調度品として絵画空間の中に見る者を包み込む機能をもち、画中の世界を眼前に現出させるのに対し、掛軸の場合、画中の世界をむしろ別世界として見る者を彼方へと誘う。こうした掛軸においても、小林古径の作品にみるように、縦長の空間構成をめぐって近代の画家たちは様々に実験を試みている。

 掛軸や屏風、襖絵に親しんできた日本の画家がタブローという形式にいかに向かい合ったかは、萬鐵五郎須田國太郎鳥海青児前田寛治ら洋画家の作品のうちにまずはたどることができる。風景を例にとっても、従来の山水画とは全く別種の構造をもつ、西洋のタブロー形式の中で育まれてきた風景画を描くことが彼らの課題であった。

 戦後、抽象作品の登場とともに絵画作品は全体に大型化した。日本画においてもタブローが主流を占め始めると同時に、画面がますます大型化するなかで、建築空間から切り離された大画面に取り組むことが画家たちに課せられている。その一方で版画を中心とする小画面の作品は、現在も独自の領域を創り出している。小品と向かい合うとき、見る者と作品の距離はぐっと縮まる。自ずから、大きな展示空間で大型の作品と向かい合う時とは異なる関係が両者の間に成立するであろう。このほか、絵巻をはじめとする巻子形式、あるいは版画に多い連作形式は、一つの視野で完結する作品とは異なる鑑賞のしかたを見る側に与えてくれる。そこには時間的な要素が大きく関わってくる。絵巻物を順番に広げながら、移り変わる場面に眼を移していく経験はまた独特であろう。

 こうした画面形式と絵画空間の問題に意識的に取り組んだ現代作家に諏訪直樹がいる。諏訪の作品は、キャンバスにアクリル絵具で描かれているが、屏風形式を取っている。「八景残照」というタイトルをみるまでもなく、伝統的な山や雲の表現を想起させる形や金の用い方は、屏風形式の採用と呼応している。しかし諏訪は、伝統的な形式としての屏風を十分に咀嚼しつつも、単に屏風形式への回帰を行ったのではなかった。西洋のモダニズムの流れに身をおきながら、近年、絵画の終焉が主張され始めたとき、作家としての自分が置かれた位置を常に意識しつつ、絵画空間の問題と向き合う中から諏訪が積極的に選び取った形式が屏風であった。彼はまた掛軸の形式や扇面を画面に取り入れることも試みている。諏訪は惜しくも1990年に36歳で亡くなったが、その2年前から、画廊の壁を一周する形式をもつ「無限連鎖する絵画」を発表している。想起されるのはモネの睡蓮の壁画であろう。諏訪は自らモネの影響を受けたと語っているが、絵画の形式と真正面から向き合ったとき、モネも諏訪もタブローという閉じられた世界からの脱出を試みざるを得なかったのだろう。

 クロード・モネの「睡蓮」のシリーズは通常のタブローから出発している。池の水面にかなり接近し、睡蓮と水面だけを捉えた作品をモネは次々と描いた。画面は次第に大型化し、遂には周囲が睡蓮の壁画で取り囲まれた部屋(現在パリにあるオランジュリー美術館)が創られた。モネはこれ以前に日本の襖絵を見ていたともいわれる。絵画を絵画の世界に閉じこめている額縁から解放したとき、絵空事と現実の世界の境界線は曖昧になり、絵画の世界によって現実が包み込まれるという事態が発生する。モネの睡蓮は額縁を決定的に破ってしまった。モネが襖絵を実際に見たかどうかはともかく、恐らくモネは日本美術と、諏訪直樹はモネと出会うことで、タブローを超えた画面形式において、絵画の新たな可能性を探り得たのではなかっただろうか。

(土田真紀)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
竹内 栖鳳 (1864-1942) 虎・獅子図 1901 紙本墨画淡彩  
横山 大観 (1868-1958) 満ちくる朝潮 1952 紙本著色  
横山  操 (1920-1973) 瀟湘八景 1963 紙本墨画  
元永 定正 (1922-   ) 作品 1966 アクリル・キャンバス  
白髪 一雄 (1924-   ) 黄龍 1965 油彩・キャンバス  
麻生 三郎 (1913-   ) あるがまま2 1985 油彩・キャンバス 作者寄贈
河  鍾賢 (1935-   ) 接合91-24 1991 油彩・キャンバス  
磯部 行久 (1936-   ) WORK63-28 1963 ミックストメディア  
諏訪 直樹 (1954-1990) PSー8717「八景残照Ⅰ」 1987 アクリル・キャンバス  
諏訪 直樹 (1954-1990) PSー8718「八景残照Ⅱ」 1987 アクリル・キャンバス  
諏訪 直樹 (1954-1990) PS-9002 1990 アクリル・キャンバス  
恩地孝四郎 (1891-1955) 初期木版画 1914-15 木版・紙 1989年再刷
藤森 静雄 (1891-1943) けし1 1914 木版・紙  
藤森 静雄 (1891-1943) 失題A 1914 木版・紙  
藤森 静雄 (1891-1943) 失題B 1914 木版・紙  
谷中 安規 (1897-1946) 虎ねむる 1933 木版・紙  
谷中 安規 (1897-1946) 瞑想氏 1933 木版・紙  
福井良之助 (1923-1986) ひまわりとあじさいと魚 1961 シルクスクリーン・紙  
福井良之助 (1923-1986) ぜんまい 1964 シルクスクリーン・紙  
駒井 哲郎 (1920-1976) 束の間の幻影 1951 エッチング、アクアチント・紙  
駒井 哲郎 (1920-1976) コミックⅢ 1958 エッチング、カラーアクアチント・紙  
浜口 陽三 (1909-   ) 突堤 1965 カラーメゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909-   ) 14のさくらんぼ 1965 カラーメゾチント・紙  
長谷川 潔 (1891-1980) 版画集ポートレート 1963 銅版・紙  
斎藤 寿一 (1931-1992) Nami 不詳 銅版・紙 斎藤聆子氏寄贈
斎藤 寿一 (1931-1992) Nami 不詳 銅版・紙 斎藤聆子氏寄贈
斎藤 寿一 (1931-1992) Taki 不詳 銅版・紙 斎藤聆子氏寄贈
麻生 三郎 (1913-   ) 夕日 1943 油彩・板  
麻生 三郎 (1913-   ) 紫陽花 1944 油彩・キャンバス  
歌川 広重 (1797-1885) 隷書東海道五十三次 1847-51頃 木版・紙 東海銀行寄贈
中村 岳陵 (1890-1969) 都会女性職譜 1933 紙本著色  
北川 民次 (1894-1989) 瀬戸十景 1937 リノカット・紙  
ワシリー・カンディンスキー (1866-1944) 小さな世界 1922 木版、リトグラフ、ドライポイント・紙  
アリスティード・マイヨール (1861-1944) 『ダフニスとクロエ』挿絵本 1937 木版・紙  
前田 青邨 (1885-1977) 西遊記下絵 1927頃 紙本墨画  
M.C.エッシャー (1898-1972) メタモルフォーシスⅡ 1939-40 木版・紙  
菱田 春草 (1874-1911) 薊に鳩図 1901 絹本著色  
小林 古径 (1883-1957) 旅路 1915頃 絹本著色  
小林 古径 (1883-1957) 麦秋 1915頃 絹本著色  
前田 青邨 (1885-1977) 不詳 絹本著色  
安田 靫彦 (1884-1978) 小倉の山 1930頃 絹本著色  
菊池 芳文 (1862-1918) 白菊図 不詳 紙本金地著色 寺岡富士氏寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 林泉 1935頃 絹本著色  
木島 櫻谷 (1877-1938) 暮雨 不詳 紙本墨画 寺岡富士氏寄贈
入江 波光 (1887-1938) 五月の海 1935 紙本淡彩  
堂本 印象 (1891-1975) 薫風晴■(そう) 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
小川 芋銭 (1868-1938) 水郷十二橋 1933 紙本淡彩  
萬 鐵五郎 (1885-1827) 山水図 1922 紙本墨画  
アントニオ・フォンタネージ (1818-1882) 沼の落日 1876-78頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
川村 清雄 (1852-1934) 梅と椿の静物 不詳 油彩・絹布 藤井一雄氏寄贈
川村 清雄 (1852-1934) ヴェネツィア風景 1880頃 油彩・紙 井村二朗氏寄贈
和田 英作 (1874-1959) 富士 1909 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
萬 鐵五郎 (1885-1827) 木の間よりの風景 1918頃 油彩・キャンバス  
須田国太郎 (1891-1961) 信楽 1935 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
鳥海 青児 (1902-1972) 紀南風景 1936 油彩・キャンバス  
香月 泰男 (1911-1974) 芒原 1968 油彩・キャンバス  
中谷  泰 (1909-1993) 陶土 1958 油彩・キャンバス  
小出 楢重 (1887-1931) パリ・ソンムラールの宿 1922 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 風景 1924頃 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 赤い帽子の少女 1928 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 裸婦 1928 油彩・キャンバス  
佐伯 祐三 (1898-1928) サンタンヌ教会 1928 油彩・キャンバス  
藤田 嗣治 (1886-1968) 猫のいる自画像 1927頃 油彩・キャンバス 東畑建築事務所寄贈
古賀 春江 (1895-1933) 煙火 1927 油彩・キャンバス 預り品
M.C.エッシャー (1898-1972) 秩序とカオス 1950 リトグラフ・紙  
青木  繁 (1882-1911) 芙蓉図 1905 油彩・板 寄託品
新井 謹也 (1884-1966) 呉須絵皿 東大門師走の市 1941 磁器  
八木 一夫 (1918-1979) みんなさかさま 1968 陶器  
辻   晉堂 (1910-1981) ポケット地平線 1965  
 

第3室:ドーミエと19世紀の版画芸術

 「ドガはパレットを手にしたドーミエだ。ドーミエとおなじく深く真実のパリ生活の観察者だ」とかたったオディロン・ルドン(1840-1916)は、フランスのボルドーに生まれ、パリで歿した。ローマにかわってパリが西洋美術の中心となって、フランス的な美が世界を制覇したと信じられた、そんな時代をルドンは生きた。それにもかかわらず、同時代のフランスのどんな画家たちの系譜にもルドンはあてはまらない。分類を拒否する誇りたかい一個の例外であるが、そのせいで、ルドンの仕事は不幸にもながく無視されつづけた。やっと認めるひとたちが現れはじめたときも、それは美術界に時めく画家や目利きと自負する手あいでなくて、むしろ文学者たちだったのは、また別の不幸のもとになった。かれらはルドンの絵に、みずからの世界と同類の一種象徴的な神秘思想しかみなかったからである。たしかにルドンはこんなことをいってはいる。

宇宙は我々が絶えず読んでいる本だ。唯一の泉であり、方法だ。

 これはまったくマラルメ的なことば、というよりマラルメそのものである。けれど画家ルドンをかたろうとするなら、たとえばこんなことばをもっとだいじにしたい。かれはいう。

私の作品から神秘的なものの暗示を受けたとして書かれた文章や言葉

 

は、私を驚かせました。私のことではないという驚きです。

 ルドンがいいたいのは、はじめから神秘を狙ったのではないということだが、神秘とは無縁だといってはいない。微妙な二重性があって、それこそルドンがルドンとなる場所、この創造の現場では、たとえば「わたしはルドン氏のことはわかりません」「わたしはいつも自分の作品に驚かされます」というルドンのことばをそのまま延長してゆけば、「わたしのえがいた絵にあらわれる神秘感に、わたしは驚いてしまいます」といっていることになるのが自然だ。おのずから顕現する神秘というかんがえかた。ルドンをみるたびに、自分の作品におどろくルドンの姿を思いだすだけで、もっとよくその作品がわかってくる。

 ところでフランス美術のこの孤児は他の作家をいったいどんな眼でみていたか。レオナルドとレンブラントとデューラーと、そしてドラクロワは無条件にかれの天上の星だった。きわめて点が辛いのはルーベンスとアングルとマネとロダンに対してである。ルーベンスは「書割の天才である」し、アングルには「現実感がなく、真の意味の生の熱が欠けている」。一見エネルギーにみちたロダンの作品の「もがき、よじれ、ヒステリックな存在は、魂のない死の電気で踊って」いるだけで、ミケランジェロに比すべくもない。藝術の源は「世界の中心にある魂だけ」だという、かれのかたい信念をこれら作家と共有できないからだろう。そのおなじ理由から印象派の画家への好意はあきらかだが、なにかものたらない不満をかくさない。みえるものしか描かないという姿勢はなにをもたらしたか。「そびえ立つ大木もなく、空はひくく、雲は夢をのせるには重すぎる」。自然はもっと深くて広大であっていいし、天使はみえるかもしれないし、人生の表現は印象派がすてた「明暗のなかでこそ種々相をあらわす」というのがルドンの変わらぬ信条なのである。明暗-そして黒。ルドンはなんどもくりかえす、「黒は最も本質的な色だ。」

(東 俊郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 戦争の惨禍 1810-20

 

(1863刊)
エッチング、アクアチント・紙  
ウィリアム・ブレーク (1757-1827) 『ヨブ記』挿絵 1825 エングレーヴィング・紙  
オノレ・ドーミエ (1808-1979) 古代史 1841-43 リトグラフ・紙  
アレクサンドル・スタンラン (1859-1923) 『ジル・プラス』紙挿絵 1891-94 写真凸版・紙  
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック (1864-1901) ムーラン=ルージュのイギリス人 1892 リトグラフ・紙  
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) マイアー=グレーフェ・ポートフェリオ 1895刊    
病める少女 1894 ドライポイント、ルーレット紙  
月光 1895 ドライポイント、アクアチント・紙  
クリスティアニア・ボヘームⅠ 1895 エッチング、ドライポイント・紙  
その翌朝 1895 ドライポイント、アクアチント・紙  
アッシュ博士の肖像 1895 ドライポイント・紙  
差し向い 1895 エッチング、アクアチント・紙  
二人:孤独な人たち 1895 ドライポイント・紙  
窓辺の少女 1894 ドライポイント、ルーレット・紙  
ヤン・トーロップ (1858-1928) 種蒔く人 1895 リトグラフ・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ベアトリーチェ 1897 リトグラフ・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ヨハネ黙示録 1899 リトグラフ・紙  
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た若い女 1876頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
エドガー・ドガ (1834-1917) 裸婦半身像 1891頃 コンテ、赤チョーク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
 

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
田中 一光 (1930-   ) 山水 1974 シルクスクリーン・紙 竹沢智冶氏寄贈
M.モランディーニ (1940-   ) シルクスクリーンA-E 1991 シルクスクリーン・紙  
飯田 善國 (1923-   ) クロマトポイエマ 1972 シルクスクリーン・紙  
瀧川 嘉子 (1937-   ) 境-No.6-1986 1986 板ガラス  
清水九兵衞 (1922-   ) 作品A 1968 真鍮  
湯原 和夫 (1930-   ) 開かれた形 1975 真鍮・塗装  
保田 春彦 (1930-   ) 都市1・試作(1) 1985  
保田 春彦 (1930-   ) 都市2・試作(2) 1985  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
飯田 善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・着色麻ロープ  
多田 美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ、ステンレススティール  
江口  週 (1932-   ) 漂流と原形 1981  
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
番浦  有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
松本   薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原  秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
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