このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

常設展示1995年度【第3期展示】 1995年9月26日(火)〜12月24日(日)

第1室 昭和前期の洋画

 <まちが見る夢>とはやまざきかずおの「うる星やつら4 ラム・ザ・フオーエバー」(1986)のテーマだったが、SFの多くの例を持ちだすまでもなく、プラトーンが「魂を持ちかつ理性をそなえる動物」と呼んだ宇宙、また星など、人間がその中で生きる巨大な場所を、一つの有機的な生命ないし意識と見なす考えは古くからあった。そしてプロスペローが語ったように、人間が「夢と同じ糸で織られている」とすれば、まちの夢とひとの夢はどこかしらさまざまな角度で糸を交わらせすれちがわせ、一様ならぬ模様をつむぎだすにちがいない。

 たとえば前田寛治の「風景」− 画面左手の家屋から、街角が描かれているとはすぐ察せられるだろう。ところが、モティーフどうしの位置関係がどうなっているのかは、ほとんど整理しがたい。右下のシルエットになった人物はごく小さく、人間の尺度をこえたまちの錯綜を印象づけることになる。建築物と人物の大きさを対比するのは16世紀以来の西欧建築画の常套手段として、ここでは、迷宮と化した<牢獄>を描いたピラネージ同様、回収の範囲をこえ成長してしまった都市に対する不安が無意識の内に現われたさまを読みとることもできるかもしれない。

 都市はもとより、個々の人間に比べはるかに巨大だろうし、神殿のごとき建築物は畏怖を与えることを一つの機能として有していたにせよ、それらが寄りどころのない不安の相を色濃くするのは、近代に近づいてからだろう。もちろん都市がもたらす気分は、時期・地域そして受け手であり作り手でもある各人しだいで、決してひとしなみにはならない。ただ、経済的・軍事的な要因とともに、外部の渾沌に対し城壁や結界によって保護された秩序の所在としてのかつての都市は、規模の拡大、交通・通信手段の発達にともない、物理的な境界をこえてさまざまな情報が移動し交差するネットワークへと重点を移していくことになる。

 村井正誠の「支那の町NO.1」では、さまざまな大きさと色の矩形が、微妙に交渉しあうことでその姿をゆらがせながら、集合したり重なりあったりしている。桃色と青紫、二つの大きな枠によって小さな四角たちがかりそめの秩序を作る一方、それらの浮遊を許容するのは無限定な白地のひろがりだ。この作品は、中国の町を撮影した航空写真に想をえたものという。そこに近代的な科学技術に対する関心なり、軍事的な意図に対する無頓着さなりを読みとれるにせよ、四角の枠どりを結界による秩序、白地のひろがりを実体のない場と仮に見なすなら、ここで変容する都市の二つの相が交差していることになる。

 他方、村井の作品において形を浮遊させるための抽象化は、石井茂雄の一連の作品では逆に、閉塞感をともなった格子として機能している。一切の個別性の発露を抑圧し、均一化しようとするこの姿もまた、近代的な都市の一相に他ならない。これはまた、太平洋戦争をへた荒廃を反映しているという点で、麻生三郎の作品と比較できる。情報の浮遊空間と格子の抑圧機能はおそらく、個々の実体性を不要とする点で、同じものの二つの顔なのだろう。

 関東大震災(1923)から日本帝国主義の勃興と太平洋戦争をへて、戦後の復興と安保体制の確立にいたる時期、東京をはじめとする・本の諸都市はさまざまな相での変貌をとげてきた。人間のさまざまな欲望を養分として、複合的な生きものと化した都市の入りくんだ路地裏や地下、表通りと袋小路、マンホールからの視線とビルの屋上からの視線の交点などによどむ無意識は、人間のそれと必ずしも一致せず、また快いともかぎらぬ夢をはぐくむことだろう。そしてそれが夢であるならば、さらに、上に記した紋切り型の都市論の反映からもずれた姿を現わすかもしれない。

(石崎勝基)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
歌川 広重 (1797-1885) 東海道五十三次(丸清版) 1847-51 木版画・紙 (株)東海銀行寄贈
シャルル・メリヨン (1821-1868) 塔・医学校通り 1861 エッチング、ドライポイント・紙  
ウージェーヌ・アジェ (1857-1927) 居酒屋の雌鹿の看板、
ジェフロワ=サン=イレーヌ街35番地
不詳 写真 (株)ツァイト・フォトサロン寄贈
ジョルジュ・ビゴー (1860-1927) 日本素描集 1886 エッチング・紙  
小出 楢重 (1887-1931) パリ・ソンムラールの宿 1922 油彩・キャンヴァス  
清水 登之 (1887-1945) 風景 1921 油彩・キャンヴァス  
木村 荘八 (1893-1958) 戯画ダンスホール 1930 油彩・キャンヴァス 中谷泰氏寄贈
中川 一政 (1893-   ) 目黒風景 1923 油彩・キャンヴァス  
北川 民次 (1894-1989) 瀬戸十景 1937 リノカット・紙  
前田 寛治 (1896-1930) 風景 c.1924 油彩・キャンヴァス  
谷中 安規 (1897-1946) 虎ねむる 1933 木版画・紙  
谷中 安規 (1897-1946) 瞑想氏 1933 木版画・紙  
佐伯 祐三 (1898-1928) サン・タンヌ教会 1928 油彩・キャンヴァス  
荻須 高徳 (1901-1986) 街角(グルネル) 1929-30 油彩・キャンヴァス 東畑謙三寄贈
吉原 治良 (1905-1972) 作品 1937 油彩・キャンヴァス  
村井 正誠 (1905-   ) 支那の町NO.1 1938 油彩・キャンヴァス  
鶴岡 政男 (1907-1979) 黒い行列 1952 油彩・キャンヴァス  
原  精一 (1908-1986) 街景 不詳 水彩・鉛筆・紙 原理一郎氏寄贈
原  精一 (1908-1986) 街景 不詳 水彩・鉛筆・紙 原理一郎氏寄贈
原  精一 (1908-1986) 街景 不詳 水彩・鉛筆・紙 原理一郎氏寄贈
中谷  泰 (1909-1993) 都会風景 1932 油彩・キャンヴァス  
辻  晉堂 (1910-1981) ポケット地平線 1965  
瑛 九 (1911-1960) 人物 c.1935 インク・紙  
瑛 九 (1911-1960) 作品 c.1935 インク・紙  
松本 俊介 (1912-1948) 建物 c.1945 油彩・板  
松本 俊介 (1912-1948) 1946 インク・紙  
松本 俊介 (1912-1948) 風景 1946 墨・紙  
松本 俊介 (1912-1948) 風景 c.1948 墨・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 母子のいる風景 1954 油彩・キャンヴァス  
麻生 三郎 (1913-   ) 荒川B 1954 コンテ・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 大崎駅付近 1959 ペン、黒インク・紙  
飯田 善國 (1923-   ) クロマトポイエマ 1972 シルクスクリーン・紙  
池田 龍雄 (1928-   ) 1953 水彩、インク・紙  
池田 龍雄 (1928-   ) 「メソプロトロン」禽獣記 1958 インク、コンテ・紙  
保田 春彦 (1930-   ) 都市1、2・試作(1、2) 1985 鉄・赤錆  
石井 茂雄 (1933-1962) 不詳(崩壊する都市、壁) 1958 エッチング、アクアティント・紙  
石井 茂雄 (1933-1962) 不詳(からみあう線)c. c.1958 エッチング、アクアティント・紙  
石井 茂雄 (1933-1962) 不詳(浮遊する首、人体)c. c.1958 エッチング、アクアティント・紙  
 

第2室 近代の日本画+橋本平八の木彫

 木彫家が素材にこだわるのは当然のこととしても、素材の木に対する姿勢について、概して2つのタイプに分けることができる。それは、自己の創意をどこまでも追求する、いわば自然を征服する木彫家と、木に備わる様々な要素を自己の造形に組み込むという、自然を生かすタイプの木彫家である。木には仙が宿ることを記していることから、橋本平八は後者に属する木彫家であるといえる。しかも、その姿勢を貫徹しようとした彫刻家であることから異端の彫刻家とさえ述べられることが多いのである。

 仙について、「仙とは動なり。動とは静の終りなり。即ち静中動なり」(「純粋彫刻論」PllO、以下頁のみ)、「山は静止して動かざるが性格なり。この山も深くわけ入りて人跡未踏の境に入れば精神自ら清浄に山も動ずるかと覚え樹木燃ゆるが如く心を引かるるものなり。仙があるが故か。」(PllO)、「古木に木仙あり。木仙は古木の木骨に潜む。」(P208)といった記述が見られる。第14回再興美術院展に出品した「裸形少年像」(1927年)で体得したものをさらに発展させ、数年にわたって研究を重ねてきた仙を表現したものが「石に就て」(第15回再興美術院展、1928年)であると述べ、「彫刻の芸術的価値は、その天然の模倣でないことは勿論であるが、それと全く撰を異にし而も天然自然の実在性を確保する性質のもの即ち同じ石にも石であり乍ら、石を解脱して石を超越した生命を持つ石、そんな石が不可思議な魅力でもつて、芸術的観念に働きかけてくる。さうした石が石のうちに存在する。石の石らしさを超越した石。(略)左様な石が稀にあるのだから妙である。その石の不可思議と同じ感興を、他の人物なり動物なり、或は人物の部分例へば指なり、顔貌なりにも是が有るわけで、通例自分は彫刻的神秘的等の言葉でもつて感受するのであるが、仙とか神とかも左様な形式から導入することもある様だ。」(P238)と、「石に就て」について述べている。橋本平八は、彫刻の種類として「地水火風空草木花鳥獣人物魚貝幻覚等人界神界等無際限」(P85)をあげ、石のなかにも彫刻的なものがあるなど、自然界には様々な彫刻的なものが存在することを主張し、自らそうした石を求め、原石よりかなり拡大しながら木によって忠実に再現したのが「石に就て」であり、その制作によって得たものが「花園に遊ぶ天女」(第17回再興美術院展、1930年)、「幼児表情」(第18回再興美術院展、1931年)につながっているのである。

 仙が何であるのか、彼の言葉から読み解くしかないが、仙が自然界の様々なところに宿り、しかも誰も心でも明らかに受け止められるものではないことは理解できる。まず、感じ取る精神が問題になるのであり、清浄無垢、すなわち心を無にして、しかも矛盾するようであるが対象に対して執拗に見つめていくことが必要なのであり、仙を感じ取るためには何よりそれなりの修行を重ねなければならないということなのであろう。

 「幼児表情」を出品し終った時点で橋本平八は円空仏に出会って、自己の制作の方向に確信を得ている。「紺碧の如き清浄無垢とそれを作出する心智の明澄さその技能の洗練さ。刀法の微妙なる即ち鈍のサバキの快適さである。実に驚くばかりなる自由奔放喩へ様なきものである。実に素晴らしい刀跡である。その風致結構に於てもこの人にしてこの形式を採ることは自然であってその心境も察し得るのである」(P141)と円空を評価しているが、この言葉こそ彼の制作の核心を述べたものと考えることもできる。

 1897(明治30)年、現在の三重県伊勢市朝熊町に生まれた平八は、佐藤朝山に師事し再興美術院展を舞台に活躍を始めたが、1935(昭和10)年、脳溢血で倒れ、今後が期待されていた38歳の若さで没したのが何より残念なことである。

(森本 孝)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
竹内 栖鳳 (1864-1942) 虎・獅子図 1901 紙本墨画淡彩  
小川 芋銭 (1868-1938) 野渡新造船図 1930 紙本着色  
小川 芋銭 (1868-1938) 水郷十二橋 1933 紙本淡彩  
川合 玉堂 (1890-1969) 秋景 不詳 絹本着色 寺岡富士氏寄贈
中村 岳陵 (1890-1969) 都会女性職譜 1933 紙本着色  
速水 御舟 (1894-1935) 花の傍下絵 1932 紙本着色  
速水 御舟 (1894-1935) 不詳 紙本着色  
橋本 平八 (1897-1935) 1922  
橋本 平八 (1897-1935) 馬鳴尊者 1925  
橋本 平八 (1897-1935) 成女身 1927 寄託品
橋本 平八 (1897-1935) 弁財天 1927  
橋本 平八 (1897-1935) 石に蹴いて 1928 寄託品
橋本 平八 (1897-1935) 老子 1932  
橋本 平八 (1897-1935) 弱法師 1934  
橋本 平八 (1897-1935) 俳聖一茶 1935  
 

第3室 ゴヤとスペイン絵画

 ヒューマニズムの名のもとに1970年代のアメリカでベトナム戦争に対する抵抗は可能だったし、1995年のフランスで自国の核実験への抗議を国内外で表明することもできる。しかしヒューマニズムが権利でも権力でもなかった19世紀初頭、ゴヤの時代のスペインはそんなアメリカでもフランスでも、また「天安門事件」の中国でさえなく、あえていえばサラエボの悲劇をいまなおくりひろげる旧ユーゴスラビアの複雑怪奇な政治状況に似ていた。

 フランス革命の「自由・平等・博愛」を表の旗印にしてナポレオンの軍隊がスペインになだれこんだのは1808年のこと。カルロス4世の宮廷における首席画家フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスはこのときすでに62歳になっていた。戦いの経緯はじつに複雑にからまっているが、この過酷な王政から「解放」されて喜ぶまえに、外国人の支配をのぞまぬスペインの民衆の魂が、これを独立を犯す「侵入」とみたところにじつは悲劇のもとがあった。王はいらないがフランス人はもっといらない。そこで血で血をあらう戦いのはてに、スペイン国民評議会が「あらゆる国民はフランス兵を攻撃し、身ぐるみ剥いでかまわぬ」と叱咤する一方、占領軍のほうも「武器を携行するいかなる者も即刻縛り首にすべし」という命令を出すに至る世紀の蛮行のすべてをゴヤは目撃することになった。

 1814年、フェルナンド7世が帰還した王政復古後ゴヤが描いた2点の油彩「1808年5月2日」と「1808年5月3日、モンクロアの銃殺」はこの経験からうまれたゴヤ晩年の代表作である。しかしこの作品でのゴヤはあくまでスペインの国内に向けたナショナリズムの視点にとどまっているとすれば、敵と味方、善と悪という単純な二分法をこえて、ほんとうはあまりみたくない、ふれたくない、どんな人間の奥にもひそんでその時をまつ暴力の原理を、ほら、これがわれわれの正体だといわんばかりにえぐってみせたのは、版画集「戦争の惨禍」のほうである。これはゴヤの一種の日記であり、物語風に前後おのずから呼応するそれをずっと追ってゆけば、本来仇も恨みもない人間と人間にかくも残酷な殺しあいをさせるこの力はいったい何か、というゴヤの嘆声がきこえてくる仕掛になっている。けれどゴヤは人殺しはよくないといたづらに鸚鵡返しをくりかえさない。かれはヒューマニストではないのだ。人間という皮袋につめこまれた汚物をかきまわすように観察し、きたないものをきたないままに記述するモラリストなのである。ところで「戦争の惨禍」のことは須田國太郎がその著「ゴヤ」のなかでこんな風に簡潔にかたった。

 仏軍の西班牙(スペイン)侵入によつて至るところで起つたゲリラの印象は、ある憤激を交へてここに一連の版 画となつて現はれたのであつた。これは五月二日の変 や五月三日の銃殺が示したやうに、馬徳里(マドリッド) 人の犠牲者のみでも一八一一年の九月から翌年の八月までに二万人を算した。この戦といふよりはむしろ処 刑といふべき悲惨事を、この小さな版画につぶさにかいたのである。殺戮、略奪、等の血なまぐさの連続で、全く断末魔のうめきを伝へるものである。これ程、人に迫る 藝術はない。

 ゴヤはこの作品を1810年頃からつくりはじめた(22番「これどころではない」には1810年の年記がある)。1820年友人のセアン・ベルムーデスが極秘で出版したが発禁となり、正式にはゴヤの死後35年たった1863年、サン・フェルナンド美術学校から出版された。

(東 俊郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エステバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1645-50 油彩・キャンヴァス  
スルバラン派の画家   聖ロクス 17世紀 油彩・キャンヴァス 有川一三氏寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 戦争の惨禍 c.1810-20 銅版画・紙  
パブロ・ピカソ (1881-1973) 女の顔 不詳 陶板画 寄託品
ジョアン・ミロ (1893-1985) 岩壁の軌跡 1967 アクアティント、エッチング・紙  
ジョアン・ミロ (1893-1985) 女と鳥 1968 油彩・キャンヴァス 岡田文化財団寄贈
リン・チャドウィック (1914-   ) 三角 V 1961 ブロンズ  
アントニ・タピエス (1923-   ) ひび割れた黒と白い十字 1976 ミクストメディア・木  
エドゥアルド・チリーダ (1924-   ) ビカイナ] Y 1988 エッチング・紙  
エドゥアルド・チリーダ (1924-   ) エルツ 1988 エッチング・紙  
ホセ・ルイス・アレクサンコ (1942-   ) ソル・ダイヴァー 1990 油彩他・キャンヴァス  
アルフォンソ・アルバセテ (1950-   ) 幻影 1 1990 油彩・キャンヴァス  
 

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
イサム・ノグチ (1904-1988) スレート 1945 ブロンズ  
浅野 弥衛 (1914-   ) 作品 1986 木、オイルスティック  
向井 良吉 (1918-   ) 発掘した言葉 1958 ブロンズ 作者寄贈
清水 九兵衛 (1922-   ) FIGURE-B 1986 アルミニウム  
清水 九兵衛 (1922-   ) 過程U 1990 黒鉛、インク・紙  
清水 九兵衛 (1922-   ) 過程W 1992 黒鉛、インク・紙 作者寄贈
飯田 善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・着色麻ロープ  
多田 美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ、ステンレススティール  
関   敏 (1930-   ) 1989 黒御影石  
湯原 和夫 (1930-   ) 意味の自由区No.2-1988 1988 コールテン銅・鉄・亜鉛メッキ  
江口  週 (1932-   ) ふたたび飛べるか?−柱上の鳥 1988  
若林  奮 (1936-   ) 中に犬 2 1968  
若林  奮 (1936-   ) ノート鮭の尾鰭 1978 エッチング、ドライポイント・紙  
若林  奮 (1936-   ) 大気中の緑色に属するもののためのデッサン 1982 鉛筆・紙  
三木 富雄 (1937-1978) c.1965 アルミニウム  
小清水 漸 (1944-   ) 作用台 水鏡 1981 シナ合板、ウレタン塗装 岡田文化財団寄贈
鈴木 頼子 (1963-   ) MEDITATE 1993 銅版画・紙  
中山 美香 (1970-   ) 景 MN−2 1992 銅版画・紙  
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-   ) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田 美波 (1924-   ) 作品 91 1991 ステンレススティール  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄、ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上 武吉 (1930-   ) my sky hole 82 1982 鉄、ステンレススティール  
井上 武吉 (1930-   ) my sky hole 85-6 1985  
番浦 有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
田畑  進 (1944-   ) NOKOSARETA―KATACHI 1982 ステンレススティール、黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール、ウレタン彩色  
梶 滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原 秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
松本  薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
ページのトップへ戻る