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常設展示1995年度【第1期展示】 1995年3月28日(火)〜6月25日(日)

第1室 明治・大正の洋画

 幕末から本格的に始まるわが国の洋画史は、西洋絵画の伝統を充分咀嚼しないまま西洋の新しい流れに追随してしまった消化不良的な一面がある。わずか百年あまりの短い洋画史のなかで明治大正期をおおまかに特徴づけてみると、明治時代のはじめから中期にかけては西洋絵画の伝統と技術習得の時代、明治の後期から大正にかけてはそれをもとにして自己の表現を一気に開花させた時代と見ることができる。一見筋が通っているのだが、美術には何らかのオリジナリティーが要求されるものだと考えた場合、やはり消化不良の感が拭えない。

 明治のはじめ、西洋の画法は明治政府の西欧化政策に合致するものとして歓待された。当時の画家はそうした時代の受け皿に恵まれながら写実主義という、いままで日本の伝統にはない客観的な対象の捉え方を積極的に移植しようと試みる。写実主義とはいっても、技術の習得がまず先決であったのは当然で、蕃書調所時代に「画は精神のなす業なり」と反論した高橋由一でさえもまずは技術の習得につとめなくてはならなかった。技術的には1876(明治9)年から1878(明治11)年、フォンタネージという西洋の伝統技術を備えた画家が来日したことによってひとつの段階は乗り越えたように思われる。ところが、彼は日本の風土病ともいえる脚気に苦しみ、西洋美術の伝統を充分に伝授できないまま早々に帰国を余儀なくされた。そこへこれまでの西欧化政策を反省する動きがあらわれ、1879(明治12)年わが国の伝統美術を見直すことが目的で竜池会が結成され、洋画排斥の追い討ちがあった。このこともあって、日本にいながら洋画を習得することにもどかしさを感じていた山本芳翠、五姓田義松、松岡寿らは渡欧し、洋画界は明治20年代の明治美術会結成とそれにつづく黒田清輝の帰国まで一旦流れは分断されてしまった。

 高階秀爾氏は著書『日本近代美術史論』の中で、洋画の一時代を築いた黒田清輝と作家森鴎外という才能と環境が非常に恵まれたふたりを取り上げ、「西欧の伝統的藝術理念の移植が、いずれの場合も結局は流産してしまった」という日本人の本質的な限界を導きだした。黒田清輝は1884(明治17)年法律を学ぶため私費でフランスヘ渡ったが、山本芳翠との出会いもあって画家に転身し、ラファアエル・コランに師事した。すでにフランスでは象徴主義やモネやルノワールといった作家たちが印象派とよばれる新しい表現方法を展開していたこの時代、あえてコランのもとで学んだ理由は、とりもなおさずコランという一作家から西洋絵画の伝統を感じたからであり、その点においても黒田の眼は他の留学していた画家達とは違っていた。裸体をモチーフにする場合でも、画家はその裸体を漠然と描くのではなく、裸体からひとつの思想を発信するものであって、「明確な構想」が無ければ成立しない西洋の厳格な伝統が日本の情趣的伝統とおおきく異なることを肌身で感じていた。黒田は帰国して3年後の1896(明治29)年、東京美術学校西洋画科の教授になったが、彼が企図した授業には石膏デッサンや人物素描などの基礎以外に構想画の制作を生徒に課した。「智識とか、愛とか云ふ様な無形的の画題を捉へて、充分の想像を筆端に走らす」ことが目的であるが、黒田の教育にも限界があった。西洋の理念を日本にいながら会得できる、そういった環境には当時としてほど遠いものであったし、彼自身が情趣的絵画Iこ流れていったことにも原因があった。

 日本の洋画界は明治の終わりから大正期にかけて自己の自由な発想、表現を開花させ、同時により日本的な洋画について真剣に模索した。だが、浅くて断続的な洋画の歴史のなかにあっては、一部の優れた作家を除けば、西洋近代美術の一断面だけを追いかけ、同時に日本の伝統美術の一断面のみをつまみ食いした作家がこの時期多くいたのも事実である。

(田中善明)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
アントニオ・フォンタネージ (1818-1882) 沼の落日 1876-1878 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
岩橋 教章 (1832-1883) 鴨の静物 1875 水彩・紙  
チャールズ・ワーグマン (1832-1891) 風景 不詳 油彩・キャンバス 寄託品
川村 清雄 (1852-1934) ヴェネツィア風景 1880頃 油彩・キャンバス 井村二郎氏寄贈
川村 清雄 (1852-1934) 梅と椿の静物 不詳 油彩・絹布 藤井一雄氏寄贈
五姓田 義松 (1855-1915) 狩猟図 1894 油彩・キャンバス 寄託品
浅井  忠 (1856-1907) 小丹波村 1893 油彩・キャンバス  
安藤 仲太郎 (1861-1912) 梅花静物 1889 油彩・板  
長原 孝太郎 (1864-1930) 入道雲下絵 不詳 油彩・キャンバス 長原担氏寄贈
黒田 清輝 (1866-1924) 雪景 1919 油彩・板  
久米 桂一郎 (1866-1934) 秋景下図 1895 油彩・キャンバス  
中村 不折 (1866-1943) 裸婦立像 1903頃 油彩・キャンバス  
藤島 武二 (1867-1943) 裸婦 1906頃 油彩・キャンバス  
藤島 武二 (1867-1943) 朝鮮風景 1913 油彩・キャンバス  
岡田 三郎助 (1869-1939) 岡部次郎像 1898 油彩・キャンバス  
小林 万吾 (1870-1947) 不詳 油彩・板 寺岡富士氏寄贈
鹿子木 孟郎 (1874-1941) 狐のショールをまとえる婦人 1902 油彩・キャンバス  
鹿子木 孟郎 (1874-1941) 教会 1917 油彩・キャンバス  
満谷 国四郎 (1874-1936) 裸婦 1900頃 油彩・キャンバス  
斎藤 豊作 (1880-1951) 風景 不詳 油彩・キャンバス  
青木  繁 (1882-1911) 自画像 1905 油彩・板  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 1915 油彩・キャンバス  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 木の間よりの風景 1918 油彩・キャンバス  
中村  彝 (1887-1924) 婦人像 1922頃 油彩・キャンバス  
中村  彝 (1887-1924) 髑髏のある静物 1923 油彩・板  
小出 楢重 (1887-1931) パリ・ソンムラールの宿 1922 油彩・板  
小出 楢重 (1887-1931) 裸女立像 1925 油彩・キャンバス  
清水 登之 (1887-1945) 風景 1921 油彩・キャンバス  
安井 曾太郎 (1888-1955) 裸婦 1910頃 油彩・キャンバス  
安井 曾太郎 (1888-1955) 女立像 1924 油彩・キャンバス 第三銀行寄贈
牧野 虎雄 (1890-1946) 梧桐 1923 油彩・キャンバス  
村山 槐多 (1896-1919) 自画像 1914-15頃 油彩・キャンバス  
鈴木 金平 (1896-1978) 1926 油彩・キャンバス  
萬 鐵五郎 (1885-1927) ほほづゑの人 1926頃 墨・紙  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 風景 1924頃 鉛筆・紙  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 茅ヶ崎風景 1924頃 コンテ・紙  
恩地 孝四郎 (1891-1955) 初期木版画 1914-15 木版・紙  
関根 正二 (1899-1919) 野娘 1917 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 合唱する男 1919 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 信州風景(山) 1917-18 木版・紙  
戸張 孤雁 (1882-1927) 虚無 1920 ブロンズ  
中原 悌二郎 (1888-1921) 石井鶴三氏像 1916 ブロンズ  
中原 悌二郎 (1888-1921) 若きカフカス人 1919 ブロンズ  
 

第2室 京都の日本画

 宇田荻邨は三重県松阪市に生まれ、地元で中村左洲について日本画の基礎を学んだ後、大正2年(1913)に京都に出て、四条派の菊池芳文の門に入った。翌年、芳文に勧められて京都市立絵画専門学校の別科に入学し、在学中に甲斐荘楠音、岡本神草らと蜜栗会を結成した。大正7年(1918)芳文が死去すると、養嗣子の菊池契月に師事。翌大正8年に「夜の一力」で第一回帝展に初入選した。このころの荻邨は楠音や神草に協調するような一連の夜を主題とした作品を多く描いている。「夜の一カ」「太夫」はその代表的な作例だが、大正15年(1926)になると伝統的なやまと絵の新解釈ともいうべき「淀の水車」を第7回帝展に出品し、画風を一変させる。今回出品している下絵をもとに描いた「渓間は、その延長線の上にある作品で、桃山時代の狩野派風障屏画を現代に転生させたものである。荻邨の作風は、第二次世界対戦後また一変し、祇園、鴨川、嵐山、嵯峨野、大原など京都の名所に材をとり、細やかな感覚で詩情豊かに描いた清爽な作品を残した。

 ところで、三重県立美術館は荻邨の下絵・写生類を300点ほど所蔵しているが、それらは、範囲としては美術学校入学以前の習画帖から古画の模写、風景や動植物の写生にいたり、また年代としては荻邨が日本画家として歩みをはじめてから晩年までの大部分を包括しており、公表された完成作品すなわち本画に至る試行の過程をとどめているものもあり、荻邨の絵画制作の実際を知るうえできわめて貴重な資料を提供してくれる。今回の展示には、数点の本画のほか、こうした下絵類も展示している。

 日本画では、制作過程で、実際の画面を描くまえに、構図を決めたり配色考えたりするために、別の紙を使って構想を練るのが普通である。これを下絵という。下絵は、構想を構図化するために小さな画面におおまかに図様を描く初期段階のものから、絵絹や紙を上に当てて構図を透写する最終段階のものまである。この最終段階のものは、当然、完成作品と同じ大きさで描かれる。今回展示されている大型の下絵は、この最終段階に作られる下絵で、大下絵とよばれているが、すでに本画のイメージを予測しながら彩色を施したり、モティーフの微妙な位置関係を修正するためにパッチを当てたりしている様子が見て取れる。またなかには、本画がすでに亡失しているような作品もある。たとえば、「山村」という作品は大正14年(1925)の第6回帝展に出品して特選を得た作品だが、その作品自体は行方をとどめておらず、わずかに残された小さな写真と今回出品されている大下絵がそれを偲ぶ貴重な手がかりになっているのである。

 1922年(大正11)に発表された「木陰」は、本画と大下絵、いくつかのスケッチが当館に所蔵されており、制作の過程をうかがい知る資料となっている。スケッチは一冊のスケッチ帖の数葉に鉛筆もしくは鉛筆で輪郭を描いた上に水彩のぼかしでおおよその彩色を加えて描かれている。そのなかには「木陰」の主要モティーフである裸婦のスケッチ、木立のスケッチなど部分スケッチのほか、本画にきわめて近い構図の構想図もある。この構想図では、裸婦を川中に立つ姿と岸辺に腰掛けた姿と二様に描かれており、立ち姿に決定する前の構想の揺れをみせる。また、画面の右端には鉛筆で「水浴」と書かれており、当初荻邨が想定していた主題が完成時と異なっていたことを示している。最終段階の下絵である大下絵を本画と比較すると、三人の裸婦の細かなポーズにいくらかの手直しの跡がみられ、またこの画の陰鬱な気分を左右する木立の揺れをいかに表現するかにこだわる荻邨の姿がうかぶ。スケッチから大下絵に至るまでには全体の構想を定める小下絵や部分スケッチなどいくつかの段階を経なければならず、本来そうした下絵類も措かれたはずで、そうしたものを系統的にみることによって、「水浴」が、どのような荻邨の思考の過程を経て「木陰」に変容していったのかがわかるに違いない。

 「祇園の雨」(昭和28年・1953)は、戦後の代表作といわれる作品だが、以前から吉井勇の歌との関連が指摘されている。実際、祇園白川を取材した写生帖には吉井の歌が書き留められているし、写生帖にはほかにも歌や俳句が書き留められていることがある。さ・轤ノ綿密な下絵の調査は、荻邨の発想や作品の主題をなお一層明らかなものにしてくれる可能性もある。

(山口泰弘)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園新橋 1919 絹本著色 川合東皐氏寄贈
宇田 荻邨 木陰 1922 絹本著色  
宇田 荻邨 春の池 1931 絹本著色  
宇田 荻邨 林泉 1935頃 絹本著色  
宇田 荻邨 祇園の雨 1953 絹本著色 (財)岡田文化財産寄贈
宇田 荻邨 夜の一力(下絵) 1919 紙本墨画淡彩 (財)岡田文化財産寄贈
宇田 荻邨 太夫(下絵) 1920 紙本墨画淡彩 (財)岡田文化財産寄贈
宇田 荻邨 木陰(下絵) 1922 紙本墨画淡彩 (財)岡田文化財産寄贈
宇田 荻邨 山村(下絵) 1925 紙本墨画淡彩 (財)岡田文化財産寄贈
宇田 荻邨 スケッチブック     (財)岡田文化財産寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) ふたば 1918 絹本著色  
伊藤 小坡 制作の前(下絵)   紙本墨画淡彩 伊藤正子氏寄贈
竹内 栖鳳 (1864-1942) 雨霽図   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
菊池 芳文 (1862-1918) 稚竹図   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
木島 櫻谷 (1877-1938) 暮雨   紙本墨画 寺岡富士氏寄贈
冨田 渓仙 (1879-1936) 梨郷晩春   絹本淡彩 小西仁吉氏寄贈
入江 波光 (1887-1948) 五月の海 1935 紙本淡彩  
堂本 印象 (1891-1975) 薫風晴(そう)   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
 

第3室 19世紀ヨーロッパの版画芸術

 18世紀末に、版画の世界に、銅版画と木版画に加えてリトグラフ(石版画)が登場する。もっともそれは、当時の多くの版画同様、芸術の表現手段としてではなく、手間のかからない新しい印刷技術の一つとしてこの世に生まれてきた。リトグラフの発明者として、今日最も名が知られているのはアロイス・ゼネフェルダーである。当時ミュンヘンで脚本を書いていたゼネフェルダーは、全くの偶然からリトグラフの基本原理となる化学的性質を発見したと自ら著書のなかで語っている。彼はこの発見を自作の脚本や楽譜を印刷する目的に生かそうと研究を重ね、1799年には独占使用権を得て早速楽譜の印刷業に乗りだした。新しい技術が生まれる際にしばしば起こるように、リトグラフの場合も、当時ほとんど同時に各地で類似の研究が行われており、いったん誕生したこの新技術は、産業革命を背景に、ますます大量に迅速に情報伝達を行うことを必要としていた社会の中で、様々な分野へと急速に広がり、とりわけ視覚的イメージの伝達にカを発揮することになった。

 その一つが新聞、雑誌である。フランスで最初の漫画週刊誌「ラ・シルエット」は1829年に創刊された。ここで諷刺画家としてデビューし、週刊誌「ラ・カリカテュール」と日刊紙「ル・シャリヴァリ」を舞台に数多くの諷刺画を世に送り続けたのがドーミエである。リトグラフでは、木版画や銅版画とちがい、石版石の上に画家が直接描いた線が、そのまま紙の上に刷り上がり、画家のオリジナルな筆致を生かすことができる。ペンに加えてクレヨンが描画に用いられるようになると、線の表情や光と影の表現にも可能性はさらに広がった。ドーミエは、諷刺画という目的の非常に明確なジャンルで、簡略化しながら対象の特徴を的確に捉える確かな素描力と生きた線を駆使し、ゴヤを除いて、リトグラフが表現手段としてもつ潜在能力を存分に引き出し得た最初の画家となった。彼が描く心憎いほど的確なイメージは、素描と同質の生き生きとした線によって生命を吹き込まれ、諷刺画に不可欠の新鮮なリアリティーを感じさせる。「古代史」のシリーズにおいて、ドーミエの線は、常に理想の世界の住人であった古典古代の人物たちを、あたかも同時代人であるかのように生き生きと現実感をもって描き出し、諷刺性を際だたせている。と同時に、彼の優れた素描力は人物を堂々とした量感をもって捉え、光と影に実に多様な表情を与えることも忘れていない。

 ドーミエの切り開いた可能性は、世紀末のスタンランに至るまで受け継がれ、ドーミエの後継者として、彼は「ジル・プラス」紙の表紙を中心に、諷刺性と社会性にみちたイメージを大衆に向けて発し続けた。一方世紀末には、広告の需要の増大を背景にリトグラフによるポスター芸術が花開く。これを支えたのは、リトグラフで大型の版画制作が可能になり、またカラーリトグラフの発明によって多色の絵画的表現が可能になるという、2つの技術革新であった。ミュシャの平面的に処理されたポスターは、世紀末のポスターのグラフィックな表現の一典型である。しかし造形的にはるかに優れているのは、同じグラフィックな手法を取りながら、線の微妙な動きや色面の繊細な表情に、リトグラフでこそ可能な、画家の手と刷り上がった作品との直接的な結びつきを生かしきったロートレックである。リトグラフのこの可能性は、ルドンの「ペアトリーチェ」でも極限に近い形で実現されている。

 ロートレックと同じく、ルドンやその師であるブレスダンにとっても、もはやリトグラフ誕生の契機となった、大量で迅速な情報伝達は全く無関係の世界であった。彼らはただリトグラフに潜む可能性を、自己の世界の表現のために生かしただけである。新聞や雑誌を活躍の場としたドーミエの場合も、その真価は実は当初の目的を超えたところにあるといえるだろう。リトグラフの一世紀の歴史が語るものは、新しい技術を生み出す一つの時代の切実な要請と、時代を超えてそれが発揮する真価との間には、かくも隔たりがあるということではなかろうか。

(土田真紀)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エスレバン・ムリリョ (1917-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1645-50頃 油彩・キャ・塔oス  
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た若い女 1876頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) キリスト磔刑 1939頃 油彩・紙、キャンバス (財)岡田文化財団
☆     
ウィリアム・ブレーク (1757-1827) ヨブ記 1825 エッチング・紙  
オノレ・ドーミエ (1808-1879) 古代史 1841-43 リトグラフ・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) プチ・ポン 1850 エッチング、ドライポイント・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) ノートルダムの給水塔 1852 エッチング、ドライポイント・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1822-1885) 善きサマリア人 1861 リトグラフ・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1822-1885) 鹿のいる聖母子 1885 リトグラフ・紙  
アレクサンドル・スタンラン (1859-1923) ジル・ブラス紙挿絵 1891-94 写真凸版・紙  
ポール・バリュリオ (1860-1917)        
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック (1864-1901) ムーラン=ルージュのイギリス人 1892 リトグラフ・紙  
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) マイアー・グレーフェ・ポートフォリオ 1894-95 エッチング、ドライポイント・紙  
ヤン・トーロップ (1858-1928) 種蒔く人 1895 リトグラフ・紙  
アルフォンス・ミュシャ (1860-1939) <ジョブ>のポスター 1898 リトグラフ・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ベアトリーチェ 1897 リトグラフ・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ヨハネ黙示録 1899 リトグラフ・紙  
 

ギャ・宴梶[、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
甲谷   武 (1945-   ) 白の構造 83 1983 ラッカー・プラスチック  
黒滝   淳 (1936-   ) 無題(W) 1987 インク、フィルム・紙  
戸田  正寿 (1949-   ) 三月のライオン 1984 シルクスクリーン・紙  
山口  啓介 (1962-   ) 草上の昼食 1988 銅板、木版・紙  
ロン・テイエン・シー (1946-   ) ここはどこですか? 1989 エッチング、アクアチント・紙  
ムンクフジ・ツルテルミン (1953-   ) モンゴル歴史(1240-1990) 1989 シルクスクリーン・紙  
H.A.カルナラトネ (1929-   ) 三日月 1989 リトグラフ・紙  
ダヴォルン・コー=ウドムヴィト (1956-   ) 儀式のシンボルNo.18 1989 木版、シルクスクリーン、金箔、ひも・紙  
ブルース・ノーマン (1941-   ) 人間的な交わり、人間的な排出 1981 リトグラフ・紙  
ジェームズ・ローゼンクイスト (1933-   ) 水漏れする首 1981 アクアチント・紙  
飯田  善國 (1923-   ) SONZAI 1967 真鍮  
清水  九兵衛 (1922-   ) 作品A 1968 真鍮  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1971 テツ、ステンレススティール  
向井  良吉 (1918-   ) レクイエム 1987 白銅  
吉村  寿夫 (1948-   ) 気焔 1984 アルミヒドロ合金  
小清水  漸 (1944-   ) 作業台水鏡 1981 シナ合板、ウレタン塗装 (財)岡田文化財団寄贈
舟越  保武 (1912-   ) OHNO嬢 1982 ブロンズ  
柳原  義達 (1910-   ) 黒人の女 1956 ブロンズ  
柳原  義達 (1910-   ) バルザックのモデルたりし男 1957 ブロンズ  
江口   週 (1930-   ) 漂流と原形 1981  
江口   週 (1930-   ) ふたたび飛べるか−柱上の鳥 1988  
飯田  義國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・着色麻ロープ  
清水  九兵衛 (1922-   ) FIGURE-B 1986 アルミニウム  
多田  美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ・ステンレススティール  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
番浦 有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田 美波 (1924-   ) 作品 91 1991 ステンレススティール  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上 武吉 (1930-   ) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上 武吉 (1930-   ) my sky hole 85-6 1985  
松本  薫 (1952-   ) Cycle − 90° 1992 ステンレススティール  
田畑  進 (1944-   ) NOKOSARETA―KATACHI 1982 ステンレススティール  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶   滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原 秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
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