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常設展示1994年度【第3期展示】 1994年9月27日(火)〜12月25日(日)

第1室:明治・大正の洋画

江戸時代の末から明治のはじめにかけて、西洋画を志す絵描きは何より画材の調達に苦労した。油絵具の多くは荏(え)ノ油あるいは桐油に密陀僧(酸化鉛)を加え、日に晒したものを媒材にし、それに従来の顔料を練り上げて使用した。由一の没後に新聞連載された「画伯高橋由一翁伝」では、絵具の練り上げに漆箆(うるしべら)や西洋包丁を薄く研いだものを代用し、パレットには行燈皿を、キャンバスを張るには煎餅の焼き型を変形させ、筆は市中の筆舗刷師に注文してつくらせたが、毛並みは揃わない抜け毛の多い不自由なものであったとする。荏ノ油は番傘の防水などに使われていた油で、それ自体乾燥が非常に遅く、密陀僧以外にも乾燥を促進するため鷹の爪(唐辛子)なども加え、長時間煮る作業を要したから西洋画を志したものはこの手の込んだ作業に難渋した。こうしてつくられた絵具は盛り上げや効果的な筆跡を残すことが難し、川上冬崖(1828-1881)や島霞谷(1827-1870)ら、そして今回展示している高橋由一の《花魁》などの作品はどちらかというと粘りけのある停滞した筆さばきとなっている。

この時期にはこういった手作り油絵の他に従来からの泥絵(どろえ)、写真板の裏やガラスに油絵具などで彩色したガラス絵、そして、開港地横浜で五姓田芳柳が流行らせた横浜絵といったものがある。泥絵は当時看板などにも使用されていた廉価な顔料に膠を混ぜて描いた絵で、名所絵などが多く残っている。横浜絵は絹地に従来の絵具や水彩絵具を用い、西洋画っぽくぼかして陰影をつけたもので、外国人のみやげとして好まれた。これらは西洋画の迫真的な表現方法、たとえば遠近法や陰影法を従来の画材を使って取り入れた和洋折衷の典型で、一部の人間が描いたのではなく、民間のレベルにまで浸透していった。

油絵の技法発達史のみに話を戻すと、ワーグマンが日本の洋画草創期に与えた影響はやはり大きい。彼は新聞のイラストを描く今でいう挿絵画家か漫画家に近かったが、油絵も多く手がけ、当時油絵を真剣に学ぼうとした高橋由一や五姓田義松らにとっては救世主のような存在であった。ワーグマンの残した作品の一部には稚拙な印象を受けるものもある。だが、彼のもつ軽妙な筆遣いは日本画の運筆法を少なからず経験してきた日本の洋画家たちにとってはその感覚を容易に受け入れたと思われる。

西洋画法が明治前期に興隆したのは、国家の治術として重用されたことにもよる。1876年に政府は工部美術学校を設立し、イタリア人フォンタネージを画学教師として招いた。彼は西洋の絵画史、描画の心得と手順を生徒に徹底して教えた。教授した技法のうち特筆すべきことは、白絵具の媒材の製法に「四合入りの瓶に水八分入れ、酢一合に鶏卵の黄身二つ、細末アラビアゴム目方十三匁を入れ、はげしく振り、のちに用い」た、それまで西洋でも伝統の途切れてしまったテンペラ絵具の製法が説かれていることである。絵具に溶油を多く含ませ、それを幾層にも重ねてグラデーションや透明感をつくり出すグレーズも彼が教えた技法のひとつである。

フォンタネージが1878年病気のため辞任してからの洋画界は国粋主義の波が押し寄せ、沈黙の時代を迎えた。再び息を吹き返すには西洋で実地に学んだ次世代の黒田清輝を待たねばならなかった。

黒田以前の作品は「脂派」、それ以後は「紫派」と呼ばれているが、総じてこれら二つの時代の作品を見比べてみると、これらの名称は適切なようにも思われる。しかし、くすんで見える脂派の作品についても外光派以上に鮮やかな色彩が多用されているし、一方で、外光派以降の洋画は感覚的で質感表現を軽視しているといわれることもあるが、その中心であった黒田清輝の《雪景》についても油絵の粘りけのある性質をうまく利用した作品といえる。それに、大正期を代表する岸田劉生にしても今日までその魅力を保ち続けているのは、時代に逆行して北方ルネサンスの技法を真似た独特の質感をあみ出したからに他ならない。

(田中善明)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
チャールズ・ワーグマン (1832-1891) 風景 不詳 油彩・キャンバス 寄託品
岩崎  教章 (1835-1883) 鴨の静物 1875 水彩・紙  
山本  芳翠 (1850-1906)  碓氷にて 1892 油彩・板 寄託品
高橋  由一 (1828-1894) 花魁 不詳 油彩・紙 寄託品
五姓田義松 (1855-1915) 狩猟図 1894 油彩・キャンバス 寄託品
五姓田義松 (1855-1915) 婦人図 1894 絹・着彩 寄託品
安藤仲太郎 (1861-1912) 梅花静物 1889 油彩・板  
黒田  清輝 (1866-1924) 雪景 1919 油彩・板  
黒田  清輝 (1866-1924) 山荘 不詳 油彩・板 寄託品
浅井   忠 (1856-1907) 小丹波村 1893 油彩・キャンバス  
浅井   忠 (1856-1907) フランス郊外 不詳 油彩・板 寄託品
久米桂一郎 (1866-1934) 秋景下図 1895 油彩・キャンバス  
青木   繁 (1882-1911) 自画像 1905 油彩・紙  
青木   繁 (1882-1911) 芙蓉図 1905 油彩・板 寄託品
萬  鐵五郎 (1885-1927) 建物のある風景 1910 油彩・板  
萬  鐵五郎 (1885-1927) 庭の花 1918 油彩・キャンバス 寄託品
満谷国四郎 (1874-1936) 裸婦 1900頃 油彩・キャンバス  
鹿子木孟郎 (1874-1941) 狐のショールをまとえる婦人 1902 油彩・キャンバス  
鹿子木孟郎 (1874-1941) 京洛落葉 1904 油彩・キャンバス  
中村  不折 (1866-1943) 裸婦立像 1903頃 油彩・キャンバス  
藤島  武二 (1867-1943) 浜辺 1898 油彩・板  
藤島  武二 (1867-1943) レマン湖 1908 油彩・板 福原満州雄氏寄贈
藤島  武二 (1867-1943) 裸婦 1917頃 油彩・キャンバス  
安井曾太郎 (1888-1955) 裸婦 1910頃 油彩・キャンバス  
安井曾太郎 (1888-1955) 女立像 1924 油彩・キャンバス 第三銀行寄贈
斎藤  豊作 (1880-1951) 風景 不詳 油彩・キャンバス  
清水  登之 (1887-1945) 蹄鉄 1925 油彩・キャンバス  
小出  楢重 (1887-1931) パリ・ソンムラールの宿 1922 油彩・キャンバス  
小出  楢重 (1887-1931) 秋の風景 不詳 油彩・キャンバス 寄託品
岸田  劉生 (1891-1929) 麦二三寸 1920 油彩・キャンバス  
中村   彝 (1887-1924) 婦人像 1922 油彩・キャンバス  
中村   彝 (1887-1924) 髑髏のある静物 1923 油彩・板  
村山  槐多 (1896-1919) 自画像 1914-15 油彩・キャンバス  
佐伯  祐三 (1898-1928) サンタンヌ教会 1928 油彩・キャンバス  
牧野  虎雄 (1890-1946) 梧桐 1923 油彩・キャンバス  
前田  寛治 (1896-1930) 風景 1924頃 油彩・キャンバス  
ジョルジュ・ビゴー (1860-1927) 日本素描集 1886 エッチング・紙  
村山  槐多 (1896-1919) 人物 1917頃 水彩・紙 岡田文化財団寄贈
村山  槐多 (1896-1919) 信州風景(山) 1917 木炭・紙  
村山  槐多 (1896-1919) 人物のいる農村風景 1911-18 鉛筆・紙  
関根  正二 (1899-1919) 群像 1916 木炭・紙  
関根  正二 (1899-1919) 裸婦 不詳 水彩・鉛筆・紙 岡田文化財団寄贈
関根  正二 (1899-1919) スケッチブックから 1919頃   岡田文化財団寄贈
戸張  孤雁 (1882-1927) トルソ 1914 ブロンズ  
中原悌二郎 (1888-1921) 若きカフカス人 1919 ブロンズ  
石井  鶴三 (1887-1973) 中原氏像 1916 ブロンズ  

第2室:近代の日本画と橋本平八の木彫

伊勢出身の彫刻家橋本平八は、二十代の半ばから1935年(昭和10)に39歳でなくなるまで十数年間を木彫家として活動し、「裸形少年像」(1927年、東京藝術大学所蔵)、「石に就いて」(1928年、個人蔵・当館寄託)、「花園に遊ぶ天女」(1930年、東京藝術大学所蔵)、「或る日の少女」(1934年、東京藝術大学所蔵)などの代表作を残した。

平八の仕事については、没後の1937年(昭和12)に日本美術院から『橋本平八作品集』が、また1942年(昭和17)には彼の手記・日記から構成された『純粋彫刻論』が実弟の詩人北園克衛によって編集出版され、遺作展も開催されて、彼の木彫は一部の人々には早くから注目されていた。

1897年(明治30)、現在の伊勢市朝熊町に生まれた平八が芸術を意識するようになったのは、17歳の頃からであったようだ。19歳の時、伊勢の彫刻家三宅正直から彫刻の技術を学び、23歳で上京した平八は、彫刻家佐藤朝山の内弟子となり、本格的な彫刻家の道を歩き始め、その後、前掲のような作品を日本美術院の展覧会に発表するようになる。

今回出品されている平八作品の中で、最も注目すべき作品は、「石に就いて」であろう。この作品は、拳大の自然石を形はそのままに拡大して木彫に仕上げたものである。

当時の彫刻は、ほとんどが人体や動物など具象的なモチーフをあつかうものであったから、この「石に就いて」は、当時の彫刻作品の中でも異彩を放っている。

また、平八作品の中でも、この種の作品は他にほとんど類例がない。類作としては、自然石の中に牛の姿を見立てた1934年(昭和9)作の「牛」(東京藝術大学所蔵)があるが、この作品は着想の源である「石」そのものを木彫に移した「石に就いて」とは、若干性格を異にしている。

平八は、「石に就いて」を自身の代表作の一つとしてあげ、「数年来の研究の発表であって仙を表現するもの」と記し、さらに「自分はこの作品に依つて遂に絶望を感じたのである」と続けている。

では、作者が述べる「仙」とは何か。平八は、「仙とは動なり。動とは静の終りなり。即ち静中動なり」と記しており、仙とは、静かなるものに見いだしうる動き−生命感のようなものと読むことができる。もし、そうであるならば、平八は天然の石の中に、自然界に存在するものの根源にある生命を認め、それを彫刻として表現しようとしたということができる。

しかし、この作品に関して今一つ不可解なのは、原石に記された「南無阿弥陀仏」という墨書である。平八が、仏教や老荘思想、あるいは神秘思想に関心を抱いていたことは、手記などから容易に見て取れるが、この「南無阿弥陀仏」の墨書は、何を意味するのだろうか。

平八の言葉には理解し難いところが多いが、この作品の背景には彼独自の仏教的な世界観があるのかもしれない。憶測にすぎないけれども、石塊の中に平八は、宇宙を司る仏が内在する一つの小宇宙を見たのかもしれない。この石は乎八にとっては単なる石ではなかった。全能の仏が潜む聖なる石−それゆえに、平八は石の形そのままに、凹凸やしわの一つ一つまでも丹念に木彫したのではなかろうか。

(毛利伊知郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
川端  玉章 (1842-1913) 富士山図 不詳 絹本着色 寺岡富士氏寄贈
川合  玉堂 (1873-1957) 秋景 不詳 絹本着色 寺岡富士氏寄贈
荒井  寛方 (1878-1945) 美人図 不詳 絹本着色 寺岡富士氏寄贈
小川  芋銭 (1868-1938) 野渡新造船図 1930 紙本着色  
小川  芋銭 (1868-1938) 水郷一二橋 1933 紙本淡彩  
平福  百穂 (1877-1957) 太公望図 1927 紙本墨画淡彩  
小林  古径 (1883-1957) 旅路 1915頃 絹本着色  
小林  古径 (1883-1957) 麦秋 1915頃 絹本着色  
安田  靫彦 (1884-1978) 小倉の山 1930 絹本着色  
安田  靫彦 (1884-1978) 点孫降臨画稿 不詳 紙本墨画  
前田  青邨 (1885-1977) 西遊記下絵 1927 紙本墨画  
中村  岳陵 (1890-1969) 都会女性職譜 1933 紙本着色  
速水  御舟 (1894-1935) 花の傍(下絵) 1932 紙本淡彩  
速水  御舟 (1894-1935) 不詳 紙本淡彩  
萬  鐵五郎 (1885-1927) 山水図 1922 紙本墨画  
岸田  劉生 (1891-1929) 冬爪茄子之図 1926 絹本着色  
橋本  平八 (1897-1929) 1922 ブロンズ  
橋本  平八 (1897-1929) 1922  
橋本  平八 (1897-1929) 馬鳴尊者 1925  
橋本  平八 (1897-1929) 成女身 1926 寄託品
橋本  平八 (1897-1929) 弁財天 1927  
橋本  平八 (1897-1929) 石に就いて 1928 寄託品
橋本  平八 (1897-1929) 老子 1932  
橋本  平八 (1897-1929) 弱法師 1934  
橋本  平八 (1897-1929) 俳聖一茶 1935  

第3室:象徴主義と19世紀西洋の美術

19世紀フランスの詩人シャルル・ボードレールは、後に多くの芸術家に影響を与えた次のような言葉を残している。「ある種の超自然的な魂の状態においては、どんなありふれた光景であれ、眼前の光景の中に、人生の深みがそっくり現われる。これが象徴となる」。

1859年冬、精神病院から退院したばかりの版画家シャルル・メリヨンがボードレールを訪れた。メリヨンは自作について語り、アメリカの作家エドガー・A.ポーの推理小説との関連を主張して帰る(気谷誠「もうひとつの異常な物語−ボードレールとメリヨン」『版画とボードレール』展1994年 町田市立国際版画美術館)。美術批評「1859年のサロン」の中で、ボードレールはメリヨンの版画を絶賛し、巨大都市パリにある自然な荘厳さをこれ程の詩情をもって表現した例は少ない、と述べている。

やはりボードレールやポーに影響を受けた画家にオディロン・ルドンがいる。ルドンは印象派と同世代ながら、彼らとは全く異質な芸術を創造した。印象派が目の前に広がる光景を、作為や主観から出来るだけ離れて、光と色彩で再現しようと試みていた時、ルドンは白黒の石版画に自身の脳裏をよぎる神秘的な幻影を描いた。いわゆるルドンの「黒の時代」である。石版画集《ヨハネ黙示録》は20年におよぶ黒の時代の最後を飾る作品。すでにルドンは59歳になっていた。以前の版画に見られるグロテスクな怪物はもはや消え去り、ドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーの版画から影響を受けた流麗な線描を用いて、黙示録のテキストを象徴主義的な図像で表現している。その静謐なイメージからは、黒の時代固有の無意識な深層心理よりも、むしろ「ある種の信仰告白めいた性格」(中谷伸生『オディロン・ルドン《聖ヨハネ黙示録》』三重県立美術館1984年)を感じることが出来る。

若きルドンに版画を数えた画家がロドルフ・ブレスダンである。ブレスダンはボードレールと親交をもち、作家シャンフルーリの小説『海賊船:邪魔な犬』にボヘミアンとして描かれた。富裕なサマリアの商人が追剥ぎに襲われた男に同情した語をキリストが語る、聖書の物語《善きサマリア人》はブレスダンの代表作。熱帯を想わせる植物群の中央で物語が展開するが、密林に潜む小動物を探しているうちに、絵を観る者を不思議な幻想空間へと誘う細密画である。

詩人ボードレールは18世紀北欧の神秘家スウェーデンボリの言葉である「照応(コレスポンダンス)」を好んだが、描く対象との照応、つまり具体的な光景の背後にある事物の秘密を表現した画家がエドヴァルト・ムンクである。パリに留学したムンクは1889年、郷里ノルウェーから父親の訃報を受け、精神的危機を迎えるが(『ムンクとフランス』展パリ、オルセー美術館1991年)、パリ近郊の村サン=クルーでそれを克服する。作品《月夜》(版画集《マイアー・グレーフェ・ポートフォリオ》の1点《月光》は同じモティーフ)は、月明かりのさす室内でひとり窓辺で頬杖をつく人物のいる油彩画。窓格子が床に「十字架」の影を落しているが、この作品はサン=クルーで描かれたものである。

1886年最後の印象派展が開催されたが、それから間もなく19世紀に支配的だった機械論的実証主義はベルグソンやフロイトといった思想家によって乗越えられ、目に見えない意識や深層心理に鋭いメスが当てられていく。そうした動向を予言するように象徴主義が全盛となり、事実、最後の『第8回印象派展』に出品した作家のひとりポール・ゴーギャンは、批評家アルベール・オーリエによって象徴主義者と命名されたのである。

(荒屋鋪 透)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメー・エウテバン・ムリーリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ c.1645-50 油彩・キャンバス  
スルバラン派の画家   聖ロクス 17世紀 油彩・キャンバス 有川一三氏寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンヴァス  
オディロン・ルドン (1840-1916) ヨハネ黙示録 1899 リトグラフ・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) プチ・ポン 1850 エッチング、ドライポイント・紙
シャルル・メリヨン (1821-1868) ノートルダムの給水塔 1852 エッチング、ドライポイント・紙
シャルル・メリヨン (1821-1868) 塔・医学校通り 1861 エッチング、ドライポイント・紙
ロドルフ・ブレスダン (1822-1885) 善きサマリア人 1861 リトグラフ・紙  
ロドルフ・ブレスダン (1822-1885) 鹿のいる聖母子 1871-78 リトグラフ・紙  
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) マイアー・グレーフェ・ポートフェリオ 1895 エッチング、ドライポイント・紙
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) キリスト磔刑 1939頃 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) 受難 1939 カラーオーフォルト・紙
ヤン・トーロップ (1894-1928) 種蒔く人 1895 リトグラフ・紙  
J.Bヨンキント (1819-1891) オランダ風景銅版画集 1862 エッチング・紙  
トゥルーズ=ロートレック (1864-1901) ムーラン=ルージュのイギリス人 1892 リトグラフ・紙  
パブロ・ピカソ (1881-1973) ふたつの裸体 1909 ドライポイント・紙  
パブロ・ピカソ (1881-1973) 女の顔 不詳 陶版画 寄託品
オーギュスト・ロダン (1840-1917) 化粧する女 不詳 ブロンズ 寄託品
アントワーヌ・ブールデル (1861-1929) ベートーヴェン 不詳 ブロンズ 寄託品
アリスティード・マイヨール (1861-1944) 歩むマリー 不詳 ブロンズ 寄託品

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
池田 満寿夫 (1934-   ) 愛の瞬間 1966 銅版・紙  
池田 満寿夫 (1934-   ) 青い椅子 1966 銅版・紙  
池田 満寿夫 (1934-   ) 私は眠り続ける(A) 1969 銅版・紙   
宇治山 哲平 (1910-1986) オリジナル版画集 1972 シルクスクリーン、木版・紙  
菅井   汲 (1919-   ) 無題 1958-60 リトグラフ・紙  
元永  定正 (1922-   ) ほへと 1986 リトグラフ・紙  
M.モランディーニ (1940-   ) シルクスクリーンA-E 1991 シルクスクリーン・紙  
イサム・ノグチ (1904-   ) スレート 1945 ブロンズ  
柳原  義達 (1910-   ) バルザックのモデルたりし男 1957 ブロンズ  
佐藤  忠良 (1912-   ) 賢島の娘 1973 ブロンズ  
向井  良吉 (1918-   ) パッキングのオベリスク 1989 アルミニウム  
清水 九兵衞 (1922-   ) FIGURE-B 1986 アルミニウム  
飯田  善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・着色麻ロープ  
多田  美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ・ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 開かれた形 1975 真鍮  
湯原  和夫 (1930-   ) 意味の自由区No.2-88 1988 コールテン鋼・鉄・亜鉛メッキ  
江口   週 (1932-   ) 漂流と原形 1981 木(樟)  
江口   週 (1932-   ) ふたたび翔べるか?柱上の鳥 1988 木(樟)  
保田  春彦 (1930-   ) 都市1.2 試作[1,2] 1985 鉄、赤錆  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991(平成3) ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982(昭和57) 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982(昭和57) 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985(昭和55)  
番浦  有爾 (1935-   ) 1990(平成2) ブロンズ  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982(昭和57) ステンレススティール  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988(昭和63) FRP、ステンレススティール、ウレタン彩色
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986(昭和61) アルミニウム  
松本   薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992(平成4) ステンレススティール  
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