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常設展示1994年度【第2期展示】 1994年6月28日(火)〜9月25日(日)

第1室:大正・昭和前期の洋画

 今回第1室に展示されるのは、1913年の『朝鮮風景』(藤島武二)から1941年の『婦人像』(松本竣介)までのおよそ四十点あまり。太平洋戦争の敗戦までを区切りとして、ここで大正・昭和前期とよぶことにしたこの28年のあいだに、画家と彫刻家をとりまく社会はおおきくかわったし、だいいち、かれらのあいだで世代も交代している。ちなみに慶応生まれの藤島武二と大正生まれの松本竣介は45歳の年齢のひらきがあるのだ。

 もちろん変わるものがあれば必ず変わらなかったものがある。いまその変わらないもの、社会を通底して同一性をたもつ質を「近代」とよんでみると、すこしその姿がはっきりしてくる。そうすると、その「近代」がまがりなりにも成熟しはじめ、しかしその成熟のしかたそのものによってやがてその限界がいやおうなく顕になった時代こそ、この大正から敗戦にいたる昭和前期に他ならない、とわかってくるはずだ。

 ところで、この「近代」をめぐって展開されてきた議論は現在のいわゆるポスト・モダニズムにまで及んでいるけれど、そして、ボードレールがいったmoderne,modernité をかんがえずにこの「近代」をかたることはできないけれど、そこまでたちいらない。もっと端的に、たとえばパリの通信社の特派員だったロベール・ギランがシベリア鉄道を経由して、パリから遠路日本へやってきたときの驚きを例にしたほうがわかりやすい。ギランにとってモスクワはアジアのはじまりだった。さらに東へすすむにつれてヨーロッパはとおくなり、アジアの色はしだいに濃くなって、それは満洲で極点に達した。ところがもっと東の日本へついたギランをまっていたのは、「アジア」ではなく、正確な鉄道の時刻表と清潔な服や町並みが象徴する「ヨーロッパ」だった。日本という名のヨーロッパ。この「ヨーロッパ」がここでいう「近代」なのである。

 芸術もまた鉄道や洋服やレンガの家とともに「近代」になってやってきた。藤島がまだよく知らなかったモネは正宗得三郎に『ヴェトイユの春』をかかせ、梅原龍三郎はもちろんルノワールを学んだし、そのルノワールをとおってセザンヌにいったのは中村彝で、佐伯祐三や里見勝蔵はフォーヴィスムをとりいれた絵をえがいた。その他も同様で、20世紀のフランスを中心としたさまざまの流派のどれかを範として自己の画風をつくらない画家はいなかったくらい、ヨーロッパ/近代のちからは強く、この時代の画家のしごとの至るところにその爪跡をのこしている。

 抵抗はあってもこれは摸倣だった。しかしこの摸倣の敵は日本だけでなく、アメリカ、スウェーデン、チェコ、ハンガリーなどヨーロッパの周辺に順次及んだことを知るとき、それは、ヨーロッパの挑戦に対する応答という文脈のなかで、技術の転移をふくんだ一文明のもんだいであったことに気づく。ようするにセザンヌをピカソをマチスを師と仰いで、鳥海青児のいう「はるかなる亜流」となったのは日本の画家だけではなかった。ただそのなかでもっとも特異な位置にあったのが近代日本だったとはいえる。

 それで、この時代の画家のしごとを、ヨーロッパにどこまで近づけたかと単純にみないで、視点をずらし、たとえば日本とおなじ立場にあった国の芸術とくらべみれば、ヨーロッパを相対化できるし、そのとき、これまでの評価をくつがえす美術のみかたがみえてくるかもしれない。近代は近代でないものを不可欠とするまですすんでしまったからだ。脱亜入欧という芸術家の視線は視線として、それと同時に、その逆にはたらく遠くからのアジアの視線をかさねて、もういちどこの大正・昭和初期の洋画をとらえなおすとき、どんな光景がみえてくるだろうか。

(東 俊郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
藤島  武二 (1867-1943) 朝鮮風景 1913 油彩・キャンヴァス  
鹿子木孟郎 (1874-1941) 大和吉野川の渓流 1933 油彩・キャンヴァス  
斎藤  豊作 (1880-1951) 風景 不詳 油彩・キャンヴァス  
山本   鼎 (1882-1946) 外房しけのあと 1942 油彩・キャンヴァス  
正宗 得三郎 (1883-1962) ヴェトイユの春 1914 油彩・キャンヴァス  
萬  鐵五郎 (1885-1927) 枯木の風景 1924 油彩・キャンヴァス  
清水  登之 (1887-1945) チャプスイ店にて 1921 油彩・キャンヴァス  
小出  楢重 (1887-1931) パリ・ソンムラールの宿 1922 油彩・板  
中村   彝 (1887-1924) 髑髏のある静物 1923 油彩・板  
小出  楢重 (1887-1931) 裸婦立像 1925 油彩・キャンヴァス  
梅原 龍三郎 (1888-1986) 山荘夏日 1933 油彩・キャンヴァス  
岸田  劉生 (1891-1929) 麦二三寸 1920 油彩・キャンヴァス  
須田 国太郎 (1891-1961) 信楽 1935 油彩・キャンヴァス 岡田文化財団寄贈
中川  一政 (1893-1991) 目黒風景 1923 油彩・キャンヴァス  
木村  荘八 (1893-1958) 戯画ダンスホール 1930 油彩・キャンヴァス 中谷泰氏寄贈
北川  民次 (1894-1989) 海への道 1942 油彩・キャンヴァス  
里見  勝蔵 (1895-1981) 裸婦 1927 油彩・キャンヴァス  
村山  槐多 (1896-1919) 自画像 1914-15頃 油彩・キャンヴァス  
前田  寛治 (1896-1930) 赤い帽子の少女 1928 油彩・キャンヴァス  
前田  寛治 (1896-1930) 裸婦 1927 油彩・キャンヴァス  
佐分   真 (1898-1936) 緑蔭 1927 油彩・キャンヴァス  
佐伯  祐三 (1898-1928) サンタンヌ教会 1928 油彩・キャンヴァス  
荻須  高徳 (1901-1986) 街角(グルネル) 1929-30 油彩・キャンヴァス 東畑謙三氏寄贈
向井  潤吉 (1901-   ) 衣を脱ぐ女 1933 油彩・キャンヴァス 向井潤吉氏寄贈
浜辺  萬吉 (1902-   ) 卓上静物 1930 油彩・キャンヴァス 浜辺萬吉氏寄贈
三岸 好太郎 (1903-1934) 二人の道化 1931 油彩・紙  
海老原喜之助 (1904-1970) 森と群鳥 1932 油彩・キャンヴァス  
村井 正誠 (1905-   ) 支那の町NO.1 1983 油彩・キャンヴァス  
山口   薫 (1907-1968) シュミーズの女 1931 油彩・キャンヴァス  
中谷   泰 (1909-1993) 横向きの肖像 1939 油彩・キャンヴァス 中谷泰氏寄贈
寺田  政明 (1912-1989) 漁婦 1941 油彩・キャンヴァス  
中村   彝 (1887-1924) 自画像 1922頃 木炭・紙  
国吉  康雄 (1889-1953) ストッキングをつけて横たわる女 1930頃 鉛筆・紙  
村山  槐多 (1896-1919) 両手を開いた裸婦立像 1915頃 鉛筆・紙 岡田文化財団寄贈
村山  槐多 (1896-1919) 左向きの女の顔 1915 水彩・紙 岡田文化財団寄贈
関根  正二 (1899-1919) 野娘 1917 インク・紙 岡田文化財団寄贈
関根  正二 (1899-1919) 裸婦 不詳 鉛筆・紙 岡田文化財団寄贈
佐分   真 (1898-1936) 風景 不詳 墨・紙  
原    精一 (1908-1986) 桐生風景 1925 木炭・紙 原理一郎氏寄贈
今西  中通 (1908-1947) 男二人 1941 水彩・紙  
松本  竣介 (1912-1948) 婦人像 1941 水彩・紙  
萬  鐵五郎 (1885-1927) 風景 1924頃 鉛筆・紙  
石井  鶴三 (1887-1973) 中原氏像 1916 ブロンズ  
中原 悌二郎 (1888-1921) 石井鶴三氏像 1916 ブロンズ  
戸張  孤雁 (1882-1927) 虚無 1920 ブロンズ  

第2室:京都の日本画

 日本画家は、画を描くにあたり、基本的な構想が練り終わると、まず実際の画面を描くまえに構図を決めたり配色を考えたりするために、実際に描く紙(あるいは絹など)とは別の紙を使っておおまかに図柄を描いていくのが普通である。こうした、完成作品にいたるまでに描かれる画を下絵という。下絵にはいろいろな段階があり、写生から、構想を構図化するために小さな画面におおまかに図様を描く初期段階の下絵、完成作品の縮小モデルともいえる小下絵、絵絹や紙をその上に当てて構図を透写する最終段階のもの、すなわち大下絵まで何種類もある。

 こうした下絵類は、近世以前にも画を制作するのに必須の階梯としてもちろん作られたが、それ自体が鑑賞の対象とされることはなかった。それに対して近代にはいると、画家の思考や作風の展開の過程を発展史的に捉える近代的な見方から、完成作品と同等かそれに近い鑑賞価値が認められるようになった。

 ところで三重県立美術館には、県下松阪市の生まれで、大正から昭和にかけて京都画壇で重きをなした日本画家宇田荻邨の下絵・写生類およそ300点(写生帖は一冊一点と数える)が収蔵されている。

 それは、古画の模写、風景や動植物の写生から小下絵、大下絵にいたる幅広い範囲のものであり、年代のひろがりをみると、日本画家としての専門教育を受ける以前の手習い帖のようなものから大成のちに至るまでの画業のほとんどを包括しており、公表された完成作品=本画からは想像もつかない隠された努力や試行錯誤の過程をとどめているものもあり、荻邨の絵画制作の実際を知るうえできわめて貴重な証拠物といえる。

 今回そのなかで、制作過程の最終段階につくられる大下絵が数点展示されている。 たとえば、「淀の水車(下絵)」もそうした、完成作品に取りかかる直前につくられた、大下絵のひとつである。 完成作品(本画と一般に呼ばれる)としての「淀の水車」は、絹本に著色が加えられた二曲一隻の屏風で、第7回帝展で帝国美術院賞を得た荻邨の前期を代表する作品といわれる。現在東京の大倉集古館に収められているが、「夜の一力」(1919年)、「太夫」(1920年)、「木陰」(1922年)など、大正時代特有の怪奇的官能的な作風を払拭した荻邨が、新しく行きついた装飾美の世界をこの作品は示している。その大下絵をみると、この段階に至っても満足のできる構図がなかなか決められなかったらしく、本画でほぼ収まるべき位置に収まった感のある白鷺をめぐってまだ逡巡した様子が見て取れる。このように下絵は、完成作品に到達するまでの作者の思考過程をたどることができるという意味で、本画に劣らない価値をもつ。

 また大下絵のなかには本画のイメージを予測しながら彩色を施したものも少なくない。これは、すでになんらかの理由で亡失したり行方知れずになったりしているために観賞の機会を失っている本画について、その完成時の姿を想像する貴重な材料として、大下絵をみることができるということを示している。たとえば、「夏の花園」(下絵)はそのひとつで、重く頭を垂れる花々に施された色調の毒々しさ、葉や茎の周囲の隈取りの陰鬱さは、「夜の一力」と同じ年に完成されたと推定される本画が、当時の荻邨の美意識を反映したものであることを十二分に想像させてくれる。

(山口泰弘)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
宇田 荻邨 (1896-1980) 夜の一力(下絵) 1919 淡彩・紙 岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 太夫(下絵) 1920 淡彩・紙 岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 淀の水車(下絵) 1926 淡彩・紙 岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園の雨 1953 絹本著色 岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 夏の花園(下絵) 不詳 淡彩・紙 岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 祇園新橋 1919 絹本著色 川合東皐氏寄贈
伊藤 小坡 (1877-1968) 元禄頃美人教示之図 1951 絹本著色  
伊藤 小坡 (1877-1968) ふたば 1918 絹本著色  
伊藤 小坡 (1877-1968) ふたば(下絵) 1918 紙本墨画 伊藤正子氏寄贈
菊地 芳文 (1862-1918) 慈鳥(鴉) 不詳 紙本墨画 寺岡富士氏寄贈
竹内 栖鳳 (1864-1918) 雨霽図 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
谷口 香喬 (1864-1942) 水鶏之図 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
山元 春挙 (1871-1933) 鯉(江畔即興図) 不詳 紙本淡彩 寺岡富士氏寄贈
木島 櫻谷 (1877-1938) 暮雨 不詳 紙本墨画 寺岡富士氏寄贈
冨田 渓仙 (1879-1936) 梨郷晩春 不詳 絹本淡彩 寺岡富士氏寄贈
西山 翠嶂 (1879-1958) 猫児(眠) 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
川村 曼舟 (1880-1942) 軟風 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
入江 波光 (1887-1948) 五月の海 1935 紙本淡彩  
堂本 印象 (1891-1975) 薫風晴■(そう) 不詳 絹本著色 寺岡富士氏寄贈
新井 謹也 (1884-1966) 呉須絵花瓶 1929頃 陶器  

第3室:シャガールと20世紀の西洋美術

 ロシアの片田舎でうまれた画家であるにもかかわらず、シャガールほど日本で知名度の高い画家はいないだろう。誰でも一度は複製や本物の絵を目にしているし、たぶん、多くの人はわが家に絵を飾ることになると、ピカソやミロよりもシャガールを選ぶことだろう。彼の絵の中では花が咲き乱れ、等身大のロバやにわとりがしばしば登場してひとびとと同化し、恋人たちが愛を語り合う。そして、織りなすまばゆいばかりの色彩は、宙に浮く生きものなどに滲みだして、より一層の深みを増し、同時にわたしたちの心を開放してくれる。マチスは、自分の絵を見るひとびとにやすらぎを与えたいと言ったが、シャガールの絵の中にもそういったやすらぎがすくなからずある。

 しかしながらシャガールの絵にはやすらぎを超えた別の何かが見え隠れする。よく見ると、まるで不安を覆い隠すがごとく、彼の作品はどれも彼が繰り返し取り上げている花や人物で画面を所狭しと埋め尽くすのである。彼自身ゴーギャンを敬愛し、また、23歳でパリに来て、フォーヴィスムなどを経験したにもかかわらず画面の一部を大胆な色面で残すということをしない。それに、シャガールの絵は計画的に描きあげたものではない。彼の内なる必然性が筆を運ばせ、結果として顔が逆さまになったり、胴体と頭が分裂してしまったり、空に魚が泳いでしまうのである。天使もしばしば描かれるが、羽がなくてもシャガールの絵ではかまわず人を飛ばすことができるのである。理性というヴェールに覆われることなく広がるこれらの直情的な世界は一見華やかなように見えて実は悲劇的な現実逃避の行為とも見て取れないだろうか。

 彼がよく絵にした「サーカス」は、日常生活からはなれた非日常的な空間であり、空中ブランコや動物の曲芸、場内を駆けまわる道化など、テントの中の小宇宙を埋め尽くす。シャガールにとってサーカスは無理なく自分の内なる空間を直接表現できる格好の材料であったし、これらの非日常的な空間は日常空間に等しい意味合いをもっていた。また、各地を転々と巡業するサーカスの運命はシャガールがユダヤ人であることでより彼に共感を与えている。道化やアクロバットは悲劇を感じさせる存在であり、ある種の宗教画の人物でもあった。今回展示されている「サーカス」の版画はもとを辿ればシャガール40歳のとき、画商ヴォラールが挿画を依頼したことに端を発している。そのときシャガールは19点のグワッシュを制作しているが、彼らは二人とも「聖書」の挿画のほうに関心を示し、ヴォラールの急死もあって出版は実現しなかった。その後、サーカスを題材とした油絵やリトグラフ(石版画)は数点描かれているが、80歳のとき、出版者テリアードの説得によってようやく38点にのぼる一連のリトグラフが完成した。

 先ほど述べたように、シャガールはユダヤ人であった。そして、この事実が彼を苦悩させた。司修著『戦争と美術』(岩波書店刊)にはイスラエル博物館で行われた「ホロコーストの犠牲になったユダヤ人画家たち」展カタログのために執筆したシャガールの献辞が掲載されている。ここではシャガールがナチスのユダヤ人狩から逃れたために、他の亡くなったユダヤ人作家にたいする苦悩の跡がうかがえる。「わたしは彼ら全員を知っていたか?/わたしは彼らのアトリエにいたか?/わたしは彼らの芸術作品を近々と、あるいは離れて、見たか?/そして今、わたしはわたし自身を離れ、/わたし自身の実体を離れて、/彼らの知られざる墓へおもむく。/彼らは私を呼ぶ。彼らはわたしを、/自分たちの墓穴へ引きずり込む…/わたしは、無辜(むこ)の罪を犯した者だ。/彼らはわたしに問う。『おまえはどこにいたのだ?』/…わたしは逃げていました…/彼らはあの死の浴室へ連れて行かれ/自分たちの汗を味わった。(後略・麻生九美訳)」

 彼の絵に見られる現実的でありながらも非現実的な逃避的空間は戦争という経験によって一層増幅したのではないだろうか。

(田中善明)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エステバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ c.1645-50 油彩・キャンバス  
スルバラン派の画家 (1617-1682) 聖ロクス 17世紀 油彩・キャンバス 有川一三氏寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
ジョルジュ・ルオー (1871-1985) キリスト磔刑 c.1939 油彩、紙・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
ラウル・デュフィ (1877-1953) 黒い貨物船と虹 1949頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
パブロ・ピカソ (1881-1973) ロマの女 1900 パステル、油彩・紙 三重県企業庁寄託
ジョルジュ・ブラック (1882-1963) 葉・色彩・光 1953 リトグラフ・紙  
モーリス・ユトリロ (1883-1955) 風景 不詳 油彩・キャンバス 寄託品
マルク・シャガール (1887-1985) 1956-62 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
マルク・シャガール (1887-1985) 版画集 サーカス 1967 リトグラフ・紙 (財)岡田文化財団寄贈
マルク・シャガール (1887-1985) 1908 鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 扇を持つ女 1908-25 鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 男と女 1908-25 インク・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 働く男 1908-25 鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 荷車を引くロバ 1914 鉛筆・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 水浴 1925-26 インク・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 水夫と女 1925 インク・紙  
ジョアン・ミロ (1893-1985) 女と鳥 1968 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
ベン・ニコルソン (1894-1982) パロスの木 1968 エッチング、アクアチント・紙  
M.C.エッシャー (1898-1972) 物見の塔 1958 リトグラフ・紙  
エドゥワルド・チリーダ (1924-   ) エルツ 1988 エッチング・紙  
G.T=カルメル (1942-   ) 四季・秋よりW 1989 アクリル・紙  
ロバート・カミング (1943-   ) 測定メディア 1985 水彩・紙  
オーギュスト・ロダン (1840-1917) 化粧する女 不詳 ブロンズ 寄託品
アリスティード・マイヨール (1861-1944) 歩むマリー 不詳 ブロンズ 寄託品

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
池田  龍雄 (1928-   ) 1953 水彩、インク・紙  
池田  龍雄 (1928-   ) 「目撃者」化物の系譜 1955 水彩、インク、コンテ・紙  
池田  龍雄 (1928-   ) 「ぬえ」禽獣記 1957 インク、コンテ・紙  
池田  龍雄 (1928-   ) 「夜の女王」禽獣記 1957 水彩、インク、コンテ・紙  
池田  龍雄 (1928-   ) 「メソブロトロン」禽獣記 1958 インク、コンテ・紙  
池田  龍雄 (1928-   ) 百仮面D 1962 水彩、インク、コンテ・紙  
木下  富雄 (1923-   ) FACE(丸と角) 1982 木版画・紙 木下富雄氏寄贈
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1981 鉛筆(フロッタージュ)・紙  
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1981 鉛筆(フロッタージュ)・紙  
ルイーズ・ネヴェルスン (1899-1988) 無題 1980年代 木、鏡  
斎藤  義重 (1904-   ) 作品(プロペラ) 1967 油彩・合板  
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1886 木、オイルスティック  
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1886 木、オイルスティック  
澄川  喜一 (1931-   ) そぎとそり 1975  
堀内  正和 (1911-   ) うらおもてのない帯 1963 ブロンズ  
イサム・ノグチ (1904-   ) スレート 1945 ブロンズ  
江口   週 (1932-   ) 漂流と原形 1981 木(樟)  
石井  鶴三 (1938-1973) 1938 ブロンズ  
飯田  善國 (1923-   ) SONZAI 1967 真鍮  
保田  春彦 (1930-   ) 都市1.2 試作[1,2] 1985 鉄、赤錆  
多田  美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ・ステンレススティール  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
清水 九兵衞 (1922-   ) FIGURE-B 1986 アルミニウム  
飯田  善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・着色麻ロープ  
江口   週 (1932-   ) ふたたび翔べるか?柱上の鳥 1988 木(樟)  

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991(平成3) ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982(昭和57) 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982(昭和57) 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985(昭和55)    
番浦  有爾 (1935-   ) 1990(平成2) ブロンズ  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982(昭和57) ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988(昭和63) FRP、ステンレススティール、ウレタン塗装  
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986(昭和61) アルミニウム  
松本   薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992(平成4) ステンレススティール  
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