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常設展示1993年度【第3期展示】 1993年9月28日(火)〜12月26日(日)

第1室:大正・昭和初期の洋画

高村光太郎が『スバル』誌上に「緑の太陽」を発表したのも、雑誌『白樺』の創刊も、藤島武二の帰国も1910(明治43)年のことであった。明治40年代にはヨーロッパで学んだ画家・彫刻家などの帰国が相次ぎ、『白樺』はセザンヌ、マティスをはじめ、ヨーロッパの様々な美術を紹介し、また白樺主催の展覧会を開いてセザンヌ、ルノワール、ロダンなどの実物の作品を展示するなど、時代が大きく移り変わろうとしていた。高村光太郎の「緑の太陽」は画家の個性こそが最も重要なものであることを高らかに宣言した言葉であり、こうした事象は次の大正時代を予感させるものでもあった。

文展(文部省美術展覧会)は1919年に帝展、1937年には新文展に改組されている。この文展では、旭日風景を求めて国内はもとより朝鮮半島などを含む各地を訪ねて西洋に対抗できうる東洋的な主題と表現に独自の画風を確立した藤島武二、ルノワールの官能的な色彩を自己のものとして構築した中村彝らが活躍していた。しかし外光派的写実を中心とする平明な作品が主流となり、新しい傾向に理解を示さない文展の姿勢に対して不満を表明する作家も少なくなく、従来の作風を一科と、新派を二科として分けて審査すべきであるという二科設置運動が多くの作家の賛同を得ていた。実際に在野の団体を創設する段階になると藤島武二など多くが文展にとどまることにはなるが、文展に対抗して二科会をはじめ、院展洋画部、草土社などが誕生している。1912(大正元)年、岸田劉生や萬鐵五郎らがフュウザン会を結成し、フォーヴィズムや後期印象派に近い作風で、主観的表現を強く主張、翌年の2回展で解散している。1913(大正2)年に結成された二科会では、翌年の第2回展で安井曾太郎の滞欧作を特別陳列したり、夭折の画家・関根正二が彗星のごとく登場して自己の情熱を画面に投影した作品群を発表、第6回展で樗牛賞を受賞した小出楢重が単純化した日本的な対象把握をみせるなど、後期印象派、フォーヴィズム、キュービズムあるいは未来派といった前衛的な作家と作風を特徴としていた。1914(大正3)年に設立された院展洋画部においては村山槐多が苦悩に満ちた人生を強い形態と色彩を特徴とする作品を発表するなど、東洋的雰囲気が存在していた。なお、一斉に脱退した院展洋画部の同人は、1922年、岸田劉生ら草土社の作家に萬鐵五郎らを加えて春陽会を創立している。1915(大正4)年、岸田劉生を中心に結成された草土社(第1回展は「現代の美術社主催洋画展」)では、北欧ルネサンスに学んだ細密描写に内なる美を求めていた。

ともに1891(明治24)年生まれで、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に学んでいた恩地孝四郎と藤森静雄は、公刊以前に私輯6冊をつくった後、新しい版画の創造をめざして1914年、田中恭吉と木版同人誌『月映』を創刊、簡潔な木版表現に浪漫的で内面性の強い個性を発揮し、また、彫刻では、ロダンの芸術に深く共鳴する戸張弧雁、石井鶴三、中原悌二郎らが美術院展を舞台に活躍していた。

東京を壊滅的にした1923(大正12)年の関東大震災によって、大正独特の雰囲気は終焉を告げ、また新たな時代が始まることになる。「ダダとチシズムとの結婚」とか「陰惨なる運動」といった言葉が象徴するように、既存の美術の一切を否定する群小集団がめまぐるしく解散と結成を繰り返していたなかで、前田寛治、里見勝蔵、佐伯祐三ら5名は1930年協会を結成して、滞欧作180点を陳列するなど、西洋で学んだ新しい傾向を紹介、5年後の1930 (昭和5)年には福沢一郎、林武らを加えて独立美術協会を創設Lている。

(森本孝)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
藤島 武二 (1867-1943) 朝鮮風景 1913 油彩・キャンバス  
藤島 武二 (1867-1943) 裸婦 1917頃 油彩・キャンバス  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 1915 油彩・キャンバス  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 木の間よりの風景 1918 油彩・キャンバス  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 庭の花 1919 油彩・キャンバス 寄託品
萬 鐵五郎 (1885-1927) 枯木の風景 1924 油彩・キャンバス  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 茅ケ崎風景 1924頃 コンテ・紙  
萬 鐵五郎 (1885-1927) ほほづゑの人 1926頃 鉛筆・紙  
中村  彝 (1887-1924) 婦人像 1922 油彩・キャンバス  
中村  彝 (1887-1924) 髑髏のある静物 1923 油彩・キャンバス  
中村  彝 (1887-1924) 自画像 1922頃 木炭・紙  
小出 楢重 (1887-1945) パリ・ソンムラールの宿 1922 油彩・キャンバス  
小出 楢重 (1887-1945) 裸女立像 1925 油彩・キャンバス  
清水 登之 (1887-1945) 風景 1921 油彩・キャンバス  
清水 登之 (1887-1945) チャプスイの店にて 1925 油彩・キャンバス  
安井曾太郎 (1888-1955) 女立像 1924 油彩・キャンバス 第三銀行寄贈
岸田 劉生 (1891-1929) 自画像 1917 クレヨン、コンテ・紙  
岸田 劉生 (1891-1929) 照子素描 1919 水彩、木炭・紙  
村山 槐多 (1896-1919) 信州風景(山) 1917 木炭・紙  
関根 正二 (1899-1919) 群像 1916 木炭・紙  
関根 正二 (1899-1919) 自画像 1918 インク・紙  
藤田 嗣治 (1886-1968) 猫のいる自画像 1927頃 油彩・キャンバス 東畑建築事務所寄贈
藤田 嗣治 (1886-1968) ラマと四人の人物 1933 水彩・紙 伊藤研一氏寄贈
里見 勝蔵 (1895-1930) 風景 1927 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 風景 1924頃 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 赤い帽子の少女 1928 油彩・キャンバス  
福沢 一郎 (1898-1992) 劇の一幕(コメヒ・フランセーズ) 1924 油彩・キャンバス  
佐伯 祐三 (1898-1928) サンタンヌ教会 1928 油彩・キャンバス  
三岸好太郎 (1903-1934) 二人の道化 1931頃 油彩・紙  
須田国太郎 (1891-1961) 信楽 1935 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
鳥海 青児 (1902-1972) 紀南風景 1936 油彩・キャンバス  
国吉 康雄 (1889-1953) ストッキングをつけて横たわる女 1930頃 鉛筆・紙  
野田 英夫 (1908-1939) 風景 1932 水彩・紙  
野田 英夫 (1908-1939) 人物 不詳 インク・紙  
恩地孝四郎 (1891-1955) 初期木版画 1914-15 木版・紙 1989年恩地邦郎摺
藤森 静雄 (1891-1943) けし1 1914 木版・紙  
藤森 静雄 (1891-1943) 失題A 1914 木版・紙  
藤森 静雄 (1891-1943) 失題B 1914 木版・紙  
戸張 孤雁 (1882-1927) トルソ 1914 ブロンズ  
戸張 孤雁 (1882-1927) 虚無 1920 ブロンズ  
石井 鶴三 (1887-1927) 中原氏像 1916 ブロンズ  
石井 鶴三 (1887-1927) 1938 ブロンズ  
中原悌二郎 (1888-1921) 石井鶴三氏像 1916 ブロンズ  
中原悌二郎 (1888-1921) 若きカフカス人 1919 ブロンズ  

第2室:近代の日本画・橋本平八の木彫

近代の日本画は江戸時代以前から培ってきた絵画様式を維持継承しつつ、その固有性に新来の西洋絵画の考え方や表現方法を取り入れて、それまでにない独自の日本画を形成したといえるだろう。近代の日本画は、おおきく東京画壇と京都画壇に分れる。京都画壇の特徴が円山応挙以来の伝統をゆるやかに改良して近代の美意識に擦りあわせていったのに対して、東京画壇のばあいは、新美術の追及がはるかに性急であった。

第2室では、横山大観をはじめ、その衣鉢を継ぐ再興日本美術院の画家小林古径、前田青邨、速水御舟、小川芋銭ら東京画壇で活動した画家、三重県出身で、同じく再興院展で活躍した橋本平八を取り上げている。

日本では風俗画は、平安末の四天王寺扇面古写経の下図のようなきわめて古い例にまで遡るまでもなく、桃山江戸初期以来の連綿とした伝統がある。中村岳陵の「都会女性職譜」は、こうした伝統の中から登場した、近代の風俗画である。1933年(昭和8)の製作。

ここには看護婦、レビューガール、エレベーターガール、女店員、奇術師、チンドンや、女給といった昭和初期のモダンガールたちが、主人公として取り上げられている。

このシリーズを構想したとき岳陵は、はじめ20種くらいでひとつのシリーズを構成することを考えていたが、いったん着手しはじめると思うように進まず、結局はこの7枚のみを展覧会に出すことになったと語っている。すべてが完成していたら、近代に転生した「職人尽絵」とも呼べる独自の地位を得ていたことだろう。やまと絵系の画家として出発した岳陵は、かねてから古典を熱心に研究していたが、その成果のひとつとして、昭和初期の東京という近代都市の喧騒と結びついて生まれたものである。

風景を斜めに俯瞰したり、人物を思い切って身体の部分で遮断したり、というようにシンメトリーを崩した安定を欠く構図を特色としているが、そこに浮世絵の影響が認められる。白壁に映った影法帥(「女給」)も江戸の浮世絵師得意のモチーフである。

なお「女給」は、風紀上の理由から、当局より展示の撤回を求められたといういわくつきの作品で、当時の社会を別の面から反映している。

橋本平八は、1897年(明治30)、現在の伊勢市朝熊町に生まれ、23歳の時に上京して佐藤朝山に師事し、1922年(大正11)からは再興院展に出品して、彫刻家としての生涯を歩みはじめた。1926年(大正15)、郷里に帰った平八は、39歳で早世するまでに、エジプト彫刻や平安鎌倉時代の鉈彫像(鑿痕をそのまま残して彩色や漆箔などの仕上げを施さない木彫仏)、さらには江戸時代の円空仏などをひろく研究し、その成果を基礎としてある種精神性の内在する、特徴ある木彫を残した。

「猫]「弁財天」など主題性の明快な作に混じって「石に就いて」という不可解な作品が展示されている。これは、拾ってきた石を、一見摸刻したにすぎないようにみえるが、「彫刻の驚異或は彫刻の芸術的価値はその平然の模倣でないことは勿論であるがそれと全く撰を異にし而も平然自然の実在性を確保する性質のもの即ち同じ石にも石であり乍ら石を解脱して石を超越した生命を持つ石そんな石が不可思議な魅力でもつて芸術的観念に働きかけてくる。」(『純粋彫刻論』)と語るように、平八にとっては、自身の芸術観と深く結びついていた。「石に就いて」の制作は、平八自身の言葉によると「石の仙を木に移す」行為そのものであったが、石に宿る「仙」が「気息」「霊魂」と同義だとすると、それを木に移す行為は、平八の霊的存在に対する信仰=アニミズムを表わしており、平八が円空から学んだものが、単に鑿の技法に終わらなかったことを意味している。

(山口泰弘)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
横山 大観 (1828-1958) 満ちくる朝潮 1952 絹本著色  
小川 芋銭 (1868-1938) 野渡新造船図 1930 絹本著色  
小川 芋銭 (1868-1938) 水郷十二橋 1933 紙本淡彩  
平福 百穂 (1877-1933) 太公望図 1927 紙本墨画淡彩  
小林 古径 (1883-1957) 旅路 1915頃 絹本著色  
小林 古径 (1883-1957) 麦秋 1915頃 絹本著色  
前田 青邨 (1885-1977) 不詳 絹本著色  
前田 青邨 (1885-1977) 西遊記下絵 1927頃 紙本墨画  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 山水図 1922 紙本墨画  
中村 岳陵 (1890-1969) 都会女性職譜(7点)
  看護婦
  レビューガール
  エレベーターガール
  女店員
  奇術師
  チンドンや
  女給
1933 紙本著色  
速水 御舟 (1894-1935) 花の傍下絵 1932 紙本著色  
速水 御舟 (1894-1935) 不詳 紙本著色  
工藤 甲人 (1915-   ) 曠野の鴉 1962 紙本著色  
斎藤  清 (1907-   ) 秘苑(2) 1970 紙本墨画著色 作者寄贈
斎藤  清 (1907-   ) 妓生・京城 1970 紙本墨画著色 作者寄贈
斎藤  清 (1907-   ) 景福宮 1970 紙本墨画著色 作者寄贈
橋本 平八 (1897-1935) 1922  
橋本 平八 (1897-1935) 猫A 1922 ブロンズ 1991年鋳造
橋本 平八 (1897-1935) 馬鳴尊者 1925  
橋本 平八 (1897-1935) 弁財天 1927  
橋本 平八 (1897-1935) 老子 1932  
橋本 平八 (1897-1935) 石に就いて 1928 寄託品

第3室:ドイツ表現主義と20世紀のヨーロッパ美術

20世紀の初頭からドイツを中心に展開した表現主義の芸術運動は、美術から建築、音楽、文学、演劇にわたり、美術に限っても、一言でくくれない広がりをもっている。しかし、その母胎は、ドレスデンとミュンヘンで生まれた2つの美術家グループであった。1905年にドレスデンで結成された<ブリュッケ(橋)>は、キルヒナー、ヘッケル、シュミット=ロットルフらを創立メンバーとし、ペヒシュタインとミュラーが途中から加わっている(ノルデも一時期会員であった)。彼らは寝食を共にしながら制作するという、生活共同体の形をとりながら、徐々に表現主義独自の作品群を生み出していったが、その過程で、当時ドレスデンに次々と紹介された、ファン・ゴッホやゴーギャン、マティス、そしてムンクの作品が大きな影響力を及ぼしたと考えられる。作品はそれぞれの個性を反映して多彩であるが、反アカデミズムという共通理念に加え、印象主義に対しても共に反旗を翻した。風景、人物、都市といった従来のモティーフを扱いつつも、感覚を通して受け取った外界の印象以上に、自己の内面から表出されてくるものに重きを置いたのである。様式上は、コントラストの強い色彩の使用や単純化された形態の捉え方に共通点が見出されるであろう。展示作品のなかでは、キルヒナーの毒を含んだ力強い木版画、ペヒシュタインのダイナミツクな線による単純化された画面、強い陰影を施された面で捉えられたミュラーの自画像、ハンブルクの港の風景のなかに内面が色濃く映し出されたノルデの幻想的なエッチングなどに、<ブリュッケ>グループの多彩さが見て取れるであろう。

一方、年刊誌の名にちなんで<青い騎士>と呼ばれるミュンヘンのグループの中心はカンディンスキーであった。彼が1912年に発表した『芸術における精神的なもの』に代表されるように、彼らもまた個々の人間の「内的必然性」に基づいた芸術の精神性を重視したが、<ブリュッケ>とは異なり、その過程で急速に抽象表現への傾斜を強めていった。しかし1914年の第1次世界大戦の勃発によって、グループの活動は短命に終わらざるをえなかった。中心メンバーであったマルクとマッケは戦死、カンディンスキーも革命前夜の祖国ロシアに戻ることになる。版画集「小さな世界」は、彼が再びロシアを離れ、ドイツのワイマールに設立された美術学校バウハウスの教授として招かれて後の作品であるが、当時のバウハウスの実験精神のなかで、彼の抽象表現は、ミュンヘン時代以来の精神性に基づきつつ、整理され、洗練されたものとなっている。

これら2つのグループの共通点として注目すべきは、彼らによるプリミティヴな美術の発見、および彼ら自身の作品に現れたプリミティヴィズムである。これに関しては、とりわけゴーギヤンを通じての影響が大であると思われるが、同時に、彼ら独自の視点による、ドイツの古木版画への注目や、各地の博物館におけるアフリカやオセアニアの民族芸術などの発見があった。その反響は、油彩画にももちろん見て取れるが、何よりも版画、とりわけ木版画に深く刻み込まれた。なかでも優れた木版画を数多く遺したキルヒナーは、匿名を使って自作について語った文章のなかで、「この芸術家が版画の仕事にかり立てられるのは、おそらく一部には、素描の一回限りの不安定なフォルムを堅固でかつ決定的なものへ刻印しようとする意欲があるからであろう。」と述べている。刻み込まれたイメージの有する確固とした力強さに加え、ものの確かな手ごたえ、プリミティヴな持ち味を備えた木版画ほど、ドイツ表現主義にふさわしい技法はなかったのではなかろうか。

(土田真紀)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エステバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1645-50 油彩・キャンバス  
スルバラン派の画家   聖ロクス 17世紀 油彩・キャンバス 有川一三氏寄贈
オディロン・ルドン (1881-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1899頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) マイアー・グレーフェ・ポートフェリオ 1895 エッチング・ドライポイント・紙
エミール・ノルデ (1867-1956) 肖像(アダ・ノルデ) 1906 エッチング・紙  
エミール・ノルデ (1867-1956) 自画像 1907 リトグラフ・紙  
エミール・ノルデ (1867-1956) ハンブルク港 1910 エッチング、アクアチント・紙
エミール・ノルデ (1867-1956) 引き舟 1910 エッチング・紙  
オットー・ミュラー (1874-1930) 自画像 1921-22 リトグラフ・紙  
E.Lキルヒナー (1880-1938) 三婦人 1907 木版・紙  
E.Lキルヒナー (1880-1938) フェルトマインの燈台 1912頃 鉛筆・紙  
E.Lキルヒナー (1880-1938) ダヴォス近郊の小屋 不詳 クレヨン・紙  
マックス・ペヒシュタイン (1881-1955) 船員 1919 水彩、コンテ・紙  
ワシリー・カンディンスキー (1866-1944) 版画集『小さな世界』 1922 木版・ドライポイント・紙  
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) 受難(パッション) 1939 カラーオーフェルト・紙  
モーリス・ド・ヴラマンク (1876-1958) 風景 不詳 油彩・キャンバス 寄託品
モーリス・ド・ヴラマンク (1876-1958) 『無告の民』挿絵本 1927 リトグラフ、エッチング・紙
モーリス・ド・ヴラマンク (1876-1958) 『辺境伯』挿絵本 1955 木版・紙  
ラウル・デュフィ (1877-1953) 黒い貨物船と虹 1949頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
パブロ・ピカソ (1881-1973) 女の顔 不詳 陶版画 寄託品
ジョルジュ・ブラック (1882-1963) 葉・色彩・光 1953 リトグラフ・紙  
オシップ・ザッキン (1890-1967) 雲への挨拶 1956 水彩・紙 第三銀行寄贈
ジョアン・ミロ (1893-1985) 女と鳥 1968 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
ジョアン・ミロ (1893-1985) アルバム 1948 リトグラフ・紙  
アントワーヌ・ブールデル (1861-1929) ベートーヴェン 1925頃 ブロンズ 寄託品
リン・チャドウィック (1914-   ) 三角 V 1961 ブロンズ  

ギャラリー・ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
元永  定正 (1922-   ) ふたつしずく 1987 アクリル・キャンバス  
脇田   和 (1908-   ) 1965 リトグラフ・紙 作者寄贈
脇田   和 (1908-   ) 1970 シルクスクリーン・紙 作者寄贈
木下  富雄 (1923-   ) 空(習作) 1976 木版・紙 作者寄贈
菅井   汲 (1919-   ) 版画集『愛人たち』 1988 リトグラフ・紙  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題85-1 1985 鉛筆、朱墨、アクリル・紙  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題87-1 1987 アクリル、墨汁、しゅろ縄・紙  
河   東哲 (1942-   ) 福岡からの手紙 1989 エッチング・紙  
馬場   章 (1951-   ) VIEW(MOON) 1989 エッチング・紙  
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1986 木・オイルスティック  
浅野  弥衛 (1914-   ) 作品 1986 木・オイルスティック  
豊福  知徳 (1925-   ) 構造 1963  
保田  春彦 (1930-   ) 都市1.2・試作(1、2) 1985 鉄・赤錆  
向井  良吉 (1918-   ) 風の中の壁 1962 ZAS合金  
イサム・ノグチ (1904-1988) スレート 1945  
瀧川  嘉子 (1937-   ) 境−No.6-1986 1986 板ガラス  
磯崎   新 (1931-   ) モンローチェア 1974 樺・セダー皮・ラッカー  
柳原  義達 (1910-   ) バルザックのモデルたりし男 1957 ブロンズ  
江口   週 (1932-   ) 漂流と原形 1981  
江口   週 (1932-   ) ふたたび翔べるか−柱上の鳥 1988  
飯田  善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・着色麻ロープ  
清水九兵衞 (1922-   ) FIGURE-B 1986 アルミニウム  
多田  美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ・ステンレススティール  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
番浦  有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985  
松本  薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA―KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
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