常設展示1992年度【第4期展示】 1993年1月5日(火)~3月28日(日)
第1室:リアリズムの軌跡-明治大正の洋画
リアリズムという言葉は、描く対象を客観的にとらえ細部までも精密に再現した制作方法を意味するのだが、美術史のなかでその具体的な作品をたどると、リアリズムのもつ広範な内容を知ることができる。
日本画の伝統的技法からはなれ西洋画法を学んだ黎明期の洋画家が、西洋絵画にみられるそうした写実性にひかれていたことは、江戸中期の洋風画家、佐竹曙山(さたけ・しょざん)の画論『画法綱領』(1778年)や司馬江漢の『西洋面談』(1799年)からもうかがえる。幕府の絵図調役つまり政府の公認洋画家となった川上冬岸(かわかみ・とうがい)は、明治になると『西画指南』と題した洋画の技法書を翻訳するが、その私塾に学んだ画家に小山正太郎、川村清雄らがいる。小山はのちに不同舎となづけた画塾で鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう)や満谷国四郎(みつたに・くにしろう)を指導したが、その写実表現の基本は線によるデッサンであった。いっぽう幕末に特派員として来日した画家 チャールズ・ワーグマンに学んだ高橋由一、五姓田義松は静物画や風俗画で新たな写実表現を展開することになる。五姓田、川村は明治前期の洋画排斥の風潮のなかで洋画家の団体、明治美術会を結成、同会には浅井忠、小山らも名をつらねた。
1893年(明治26)、黒田清輝がフランスから帰国すると、写実表現に重点をおいた明治美術会系の油彩画は、黒田がもたらした外光表現、つまり印象派が実験したような戸外での油彩スケッチ、あまり細部にこだわることのない明るい画面の作品のなかで、しだいに旧弊なものとなっていく。明治美術会は1901年(明治34)解散するが、その若手画家たちによって結成されたのが太平洋画会であり、同会は満谷、中村不折(なかむら・ふせつ)の指導する太平洋美術学校をもっていた。中村彝や彫刻家の中原悌二郎はそこに学んでいる。
リアリズムは西洋美術の歴史のなかで、描写する対象を理想化しがちな古典主義やロマン主義に対立する主張として登場するが、細部にこだわろうとするその特性は、画面全体のもつ理想化や様式化にうまくとけこむ場合があり、19世紀末ヨーロッパ絵画にその典型をみることができる。ラファエル前派の象徴主義やヴィクトリア朝期のリアリズム絵画に影響をうけた青木繁は、日本近代の洋画家のなかでも特異な存在である。明治30年代に登場する雑誌『明星』に代表される総合芸術雑誌は、明治浪漫主義の多くの芸術家に海外文芸・美術の新思潮を啓蒙するが、1910年(明治43)創刊の『白樺』は大正期の画家たち、たとえば岸田劉生には北方ルネサンスの画家デューラーを、中村彝(なかむら・つね)にはルノワールやセザンヌを教えた。黒田の外光表現から出発した劉生は、後期印象派やフォーヴィスムをとなえるフュウザン会を高村光太郎らと結成したが、デューラーの写実表現を知ってからは、時代の流れからは遡行したかにみえる独自のリアリズムを創意。同志をつのって草土社の展覧会を開催している。中川一政は草土社にも所属していた。同時期にデューラーの影響をうけた画家に夭折した関根正二がいる。大正期の洋画は一方で、萬鉄五郎らにみられるモダニズムの傾向、新時代の前衛的手法を模索する方法が顕著だが、他方に、劉生にみられるリアリズム復古の可能性をひらいた。しかしそこには、もはや洋風画や明治期のリアリズムがもっていた西洋絵画への志向はみられず、むしろ日本独自の洋画を試みる姿勢がうかがえるのである。
(荒屋鋪透)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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高橋 由一 | (1828-1894) | 花魁 | 不詳 | 油彩・紙 | 寄託品 |
チャールズ・ワーグマン | (1832-1891) | 風景 | 不詳 | 油彩・キャンバス | 寄託品 |
山本 芳翠 | (1850-1906) | 風景 | 不詳 | 油彩・板 | 寄託品 |
川村 清雄 | (1852-1934) | ヴェネツィア風景 | 1880(明治13)頃 | 油彩・紙 | 井村二郎氏寄贈 |
川村 清雄 | (1852-1934) | 梅と椿の静物 | 不詳 | 油彩・絹布 | フジヰ画廊寄贈 |
浅井 忠 | (1856-1907) | 小丹波村 | 1893(明治26) | 油彩・キャンバス | |
浅井 忠 | (1856-1907) | フランス郊外(郊野) | 不詳 | 油彩・板 | 寄託品 |
安藤 仲太郎 | (1861-1912) | 梅花静物 | 1889(明治22) | 油彩・板 | |
長原 孝太郎 | (1864-1930) | 入道雲下絵 | 不詳 | 油彩・キャンバス | 長原担氏寄贈 |
長原 孝太郎 | (1864-1930) | 裸婦 | 不詳 | 油彩・キャンバス | 長原担氏寄贈 |
黒田 清輝 | (1866-1924) | 雪景 | 1919(大正8) | 油彩・キャンバス | |
黒田 清輝 | (1866-1924) | 夏の海 | 不詳 | 油彩・板 | 寺岡富士氏寄贈 |
黒田 清輝 | (1866-1924) | 山荘 | 不詳 | 油彩・板 | 寄託品 |
中村 不折 | (1866-1943) | 裸婦立像 | 1903(明治36)頃 | 油彩・キャンバス | |
藤島 武二 | (1867-1943) | 裸婦 | 1906(明治39) | 油彩・キャンバス | |
藤島 武二 | (1867-1943) | 朝鮮風景 | 1913(大正2) | 油彩・キャンバス | |
岡田 三郎助 | (1869-1939) | 岡部次郎像 | 1898(明治31) | 油彩・キャンバス | |
小林 万吾 | (1870-1947) | 林 | 不詳 | 油彩・板 | 寺岡富士氏寄贈 |
中沢 弘光 | (1874-1959) | 母の像 | 不詳 | 油彩・キャンバス | 福原満洲雄氏寄贈 |
和田 英作 | (1874-1959) | 富士 | 1909(明治42) | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
鹿子木 孟郎 | (1874-1941) | 京洛落葉 | 1904(明治37) | 油彩・キャンバス | |
満谷 国四郎 | (1874-1936) | 二階(習作) | 1910(明治43) | 油彩・キャンバス | 寺岡富士氏寄贈 |
満谷 国四郎 | (1874-1936) | 雪景 | 1923(大正12) | 油彩・キャンバス | 寄託品 |
斎藤 豊作 | (1880-1951) | 風景 | 不詳 | 油彩・キャンバス | |
青木 繁 | (1882-1911) | 自画像 | 1905(明治38) | 油彩・板 | |
青木 繁 | (1882-1911) | 芙蓉図 | 1905(明治38) | 油彩・板 | 寄託品 |
坂本 繁二郎 | (1882-1969) | 仏国ヴァンヌ風景 | 1923(大正12) | 油彩・キャンバス | 寄託品 |
正宗 得三郎 | (1883-1962) | ヴェトイユの春 | 1914(大正3) | 油彩・キャンバス | |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | 木の間よりの風景 | 1918(大正7) | 油彩・キャンバス | |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | 庭の花 | 1919(大正8) | 油彩・キャンバス | 寄託品 |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | 枯木の風景 | 1924(大正13) | 油彩・キャンバス | |
萬 鐵五郎 | (1885-1927) | 山 | 1915(大正4) | 油彩・キャンバス | |
清水 登之 | (1887-1945) | チャプスイ店にて | 1921(大正10) | 油彩・キャンバス | |
小出 楢重 | (1887-1931) | 裸婦立像 | 1925(大正14) | 油彩・キャンバス | |
小出 楢重 | (1887-1931) | 秋の風景 | 1920(大正9) | 油彩・キャンバス | 寄託品 |
中村 彝 | (1887-1924) | 婦人像 | 1922(大正11)頃 | 油彩・キャンバス | |
中村 彝 | (1887-1924) | 静物 | 1924(大正13)頃 | 油彩・板 | 寄託品 |
中村 彝 | (1887-1924) | 髑髏のある静物 | 1923(大正12) | 油彩・板 | |
安井 曾太郎 | (1888-1955) | 女立像 | 1924(大正13) | 油彩・キャンバス | 第三銀行寄贈 |
岸田 劉生 | (1891-1929) | 麦二三寸 | 1920(大正9) | 油彩・キャンバス | |
中川 一政 | (1893-1991) | 目黒風景 | 1923(大正12) | 油彩・キャンバス | |
福沢 一郎 | (1898-1992) | 劇の一幕(コメディフランセーズ) | 1924(大正13) | 油彩・キャンバス | |
佐伯 祐三 | (1898-1928) | 新橋風景 | 1926(大正15) | 油彩・キャンバス | 寄託品 |
五姓田 芳柳 | (1827-1893) | 婦人図 | 不詳 | 水彩・絹 | 寄託品 |
ジョルジュ・ルゴー | (1860-1927) | 日本素描集(クロッキ・ジャポネ) | 1886(明治19) | エッチング・紙 | |
岸田 劉生 | (1891-1929) | 照子素描 | 1919(大正8) | 水彩・紙 | |
村山 槐多 | (1896-1919) | 信州風景 | 1917(大正6) | 木炭・紙 | |
村山 槐多 | (1896-1919) | 人物のいる農村風景 | 1911-18(大正1-7)頃 | 鉛筆・紙 | |
関根 正二 | (1899-1919) | 自画像 | 1918(大正7) | インク・紙 | |
関根 正二 | (1899-1919) | 群像 | 1916(大正5) | 木炭・紙 | |
靉 光 | (1907-1946) | とげ抜き | 1925(大正14) | 木炭・紙 | |
荻原 守衛 | (1879-1910) | 坑夫 | 1907(明治40) | ブロンズ | 寄託品 |
戸張 孤雁 | (1882-1927) | トル | 1914(大正3) | ブロンズ | |
戸張 孤雁 | (1882-1927) | 虚無 | 1920(大正9) | ブロンズ | |
石井 鶴三 | (1887-1973) | 中原氏像 | 1916(大正5) | ブロンズ | |
中原 悌二郎 | (1888-1921) | 若きカフカス人 | 1919(大正8) | ブロンズ | |
中原 悌二郎 | (1888-1921) | 石井鶴三氏 | 1916(大正5) | ブロンズ |
第2室:京洛の画家・荻邨と京都の日本画
川喜田半泥子の陶芸
西洋から移入された油彩画が洋風画、その後洋画といわれるようになった項、以前から国内に存在していた狩野派、土佐派、円山四条派などの絵画は、まとめて日本画と呼ばれるようになった。
明治から大正、昭和戦前の日本画は、東京と京都を中心として展開していたといえるだろう。政治・経済、そしてあらゆるものが東京に集中していくなかで、東京に対して対抗意識の強い京都は、長期間培ってきた優雅な独自の文化を基礎としながら歴史的文化的な遺産を核として、独自の文化を形成することに奔走していた。
京都の日本画は、江戸時代までの絵画様式を維持しながら、西洋絵画に深く流れる個性を重視する思考と表現様式を獲得することに腐心していた。応挙・呉春に始まる円山四条派が中心的役割を演じることになるが、洋画を一方で意識しつつ、日本画に存在する固有の伝統的な様式をもう一度確認し、徹底した写実の美を根底に様々な作家が伝統を生かしながらも個性的な様式を確立しようとしていた。幕末から明治初期には森寛斎、塩川文麟、岸竹堂、幸野楳嶺らが活躍し、やがて菊池芳文、竹内栖鳳、山元春挙らが中心となり、彼等の画塾から多くの新人が台頭してくるのである。
そうした画家の一人として、宇田荻邨がいた。1896(明治29)年、松阪市魚町に生まれ、二見町の中村左洲に手ほどきを受け、1913(大正2)年、京都に出て菊池芳文、芳文が没した1918年からは菊池契月に師事、写実を基礎としつつ、大和絵独特の色彩と切味の美しい線描によって、装飾性の高い画風を確立している。荻邨のデビューは1919(大正8)年の第1回帝展に出品した「夜の一力」であった。祇園の一力茶屋から洩れる灯によって、室内で催されている賑やかな情景を描いた「夜の一力(下絵)」には、若い荻邨の情念が感じられる。荻邨は四季折々の風情溢れる京洛を中心的な題材であった。その代表作は1953(昭和28)年の「祇園の雨」であろう。洗練された薄墨による線描と、厳選された日本固有の伝統的な色彩によって、非常に爽やかで優雅な雰囲気に満ちた荻邨独自の世界を構築している。
1878(明治11)年、富豪川喜田家の16代として生まれた川喜田半泥子は、道楽三昧、数奇が昂じて茶碗造りに没頭し、莫大な財産を陶芸に、そして趣味の世界に費やした陶芸家である。本名久太夫政令。無茶法師、紺野浦二、泥仏堂主人、部田六郎、其飯などの別号もある。「百碗作れば百の悟り、千碗作れば千の悟り」、百五銀行頭取など、多くの会社の要職にありながら、暇さえあれば、自己の想念を乗せて、数万点におよぶ茶碗を造っている。
「伊賀水指 銘 慾袋」、「粉引茶碗 銘 雪の曙」が半泥子の代表的な作品である。藤堂家に伝来し、現在では五島美術館蔵となっている「古伊賀水指 銘 破袋」を意識しながら制作した「伊賀水指 銘 慾袋」は、灰が被り自然釉であるビードロが流れ、緋色や山割れも生じて、古伊賀の風格を備えている。しかしたっぷりとユーモラスに膨らんだ姿は、半泥子のユニークな造形力によるものである。「粉引茶碗 銘 雪の曙」は、雪のように白い部分と、窯変によって生じたほんのりと淡いピンク色の調和が美しいことから、この銘がある。小さな高台から、すっと自然に伸びた姿が魅力的である。高台のところでぐっと締め、その土の特性に合わせて口縁まで、無の境地で形を造りながら引き上げる。凄まじい早さで引く、その余韻が、べべら状の口縁に出ている。
(森本孝)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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菊池 芳文 | (1862-1918) | 白鷺図 | 不詳 | 絹本著色 | 寺岡富士市寄贈 |
竹内 栖鳳 | (1864-1942) | 虎・獅子図 | 1901(明治34) | 紙本墨画淡彩 | |
谷口 香喬 | (1864-1915) | 早春図 | 不詳 | 紙本墨画淡彩 | 寺岡富士市寄贈 |
山元 春挙 | (1871-1933) | 双鶏双狗之図 | 不詳 | 紙本墨画淡彩 | 寺岡富士市寄贈 |
川北 霞峰 | (1875-1940) | 松上の鶴 | 不詳 | 紙本墨画 | 寺岡富士市寄贈 |
川北 霞峰 | (1875-1940) | 嵐峡春色 | 不詳 | 絹本著色 | 寺岡富士市寄贈 |
伊藤 小坡 | (1877-1968) | はじらい | 不詳 | 絹本著色 | 川合東皐氏寄贈 |
伊藤 小坡 | (1877-1968) | つづきもの(下絵) | 1916(大正5) | 淡彩・紙 | 伊藤正子氏寄贈 |
木島 櫻谷 | (1877-1938) | 五位鷺 | 不詳 | 絹本墨画著色 | 寺岡富士市寄贈 |
入江 波光 | (1887-1948) | 五月の海 | 1935(昭和10) | 紙本淡彩 | |
堂本 印象 | (1891-1975) | 薫風晴■(そう) | 不詳 | 絹本著色 | 寺岡富士市寄贈 |
宇田 荻邨 | (1896-1980) | 林泉 | 1935(昭和10)頃 | 絹本著色 | |
宇田 荻邨 | (1896-1980) | 寒汀宿雁 | 1939(昭和14) | 絹本淡彩 | |
宇田 荻邨 | (1896-1980) | 雪の嵐山 | 1961(昭和36) | 紙本著色 | |
宇田 荻邨 | (1896-1980) | 夜の一力(下絵) | 1919(大正8) | 淡彩・紙 | 岡田文化財団寄贈 |
宇田 荻邨 | (1896-1980) | 祇園の雨 | 1953(昭和28) | 淡彩・紙 | 岡田文化財団寄贈 |
川喜田半泥子 | (1878-1963) | 唐津風茶碗 銘・薄氷 | 1941(昭和16) | 陶磁器 | 預かり品 |
川喜田半泥子 | (1878-1963) | 志野茶碗 銘・あつ氷 | 不詳 | 陶磁器 | 預かり品 |
川喜田半泥子 | (1878-1963) | 志野茶碗 銘・おらが秋 | 不詳 | 陶磁器 | 預かり品 |
川喜田半泥子 | (1878-1963) | 伊賀水指 銘・慾袋 | 不詳 | 陶磁器 | 預かり品 |
川喜田半泥子 | (1878-1963) | 粉引茶碗 銘・雪の曙 | 不詳 | 陶磁器 | 預かり品 |
川喜田半泥子 | (1878-1963) | 白掛茶碗 銘・たつた川 | 不詳 | 陶磁器 | 預かり品 |
川喜田半泥子 | (1878-1963) | 刷毛目茶碗 銘・一声 | 不詳 | 陶磁器 | 預かり品 |
第3室:象徴表現の変容-ムリリョからミロヘ
ムリリョの『アレクサンドリアの聖カタリナ』において、描かれた女性が戴く王冠、彼女を斬首することになる足もとの剣などは、.彼女がカタリナという特定の聖女であることをさししめす約束ごとである。さらに、天を仰ぐ身ぷりや天使の到来は、この作品が、神的なものとの交渉を主題とする宗教画であることを物語っている。聖者が絵の中心を大きくしめるのは、見るものが聖者に自己を重ねることをうながし、もって、礼拝画としての機能をはたす。
キリスト教社会における作品のこうした役割はそれとして、しかし、絵自体が放つ表情は、宗教的な目的につかえるという以上に、むしろ自足した充実感であろう。これは、人体の写実的な実在感と理想化を均衡させることでえられた。すなわち、絵の主題をなすキリスト教的理念の世界と、絵自体が表現する内容は、いったん切りはなされた上で、図像上の約束ごとが対応を結ぶという平行関係におかれているのだ。この点、宗教上の理念がいっさいを支配し、作品を徹底的に、そうした観念をしめすための記号として機能させたピザンティンやロマネスク美術に比べた時、ここ-ルネサンスをへた17世紀バロック-ではすでに、神的世界にむけられた宗教的思考と、美術がそれを表わすために素材とする地上の世界との間に亀裂が走っているのである。それでも、ムリリョの作品が描かれた近世という時点では、ふたつの世界はいまだ、古典的な均衡がもたらす調和のうちにやすらっていた。これがはっきり分裂の相を帯びるのが、近代という時代にほかならない。
ブレークの『ヨブ記』は、旧約聖書に材をえながら、ブレーク個人の神話的宇宙という表情が色濃い。すなわち、世界を把握するための伝統的な理念が、もはやよりどころとしてのリアリティを喪失してしまったため、各人がおのれの想像力によって、宇宙を再構成せざるをえなくなったのだ。これに応じるのが、ブレークの場合、線を主体に、形態を単純化した様式である。
絵の外にある観念の体系との対応が崩壊したと実感された時、それでも絵が単なる外界の似姿にとどまるのをよしとしないならば(この役割すら写真の登場によって奪われる)、絵は自分だけで、何らかの精神性を表出しようとする。ただその場合、観念との一対一対応による具体的な記号としての働きはもはや無効なので、一点の絵全体で、はっきりしたことばにはおきかえられない、しかし即物性をこえた気分のみが漂うことになろう。これが19世紀末の象徴主義である。
モネの『ラ・ロシュブロンドの村』で描かれるのは、何の変哲もない風景だ。しかし、細部ではなく連続し振動する全体をとらえようとする筆触および色調によって、メランコリーがかもしだされている。トーロップの『種蒔く人』には、標題の人物や白鳥など、寓意的なモティーフがばらまかれてはいる。しかしそれらが、はっきりした観念の連鎖におきかえられるわけではない。より重要なのは、全体を覆いつくそうとする髪の毛の氾濫だろう。これによって、世界を渾沌にひきずりこもうとする深淵が開く。
絵が、線や色彩、明暗、空間などおのれ固有の要素だけで、現実をこえた領域を暗示しようとする象徴主義は、カンディンスキーら20世紀初頭の抽象絵画にそのまま地続きである。いわゆる造形の自律的探求は、その一面にすぎない。理念と表現が完全に乖離してしまった上で、不在の理念を求めるいとなみが、象徴主義から抽象にいたる歩みといえるかもしれない。ミロの記号も、指示機能を奪われているからこそ、自在に浮遊できる。
そして、20紀後半に制作されたアルバセテの『幻影Ⅰ』では、それ自体は特別な意味のない静物が幾重にも枠どりされ、シルエットにされることで、イメージの働き方自体が、自己言及的に主題化されている。美術が外なる観念に頼れず、自己のあり方を意識せざるをえなくなった時胚胎したこの堂々巡りは、ひとつの袋小路にほかならず、それを囲繞する空虚の現前を物語るだろう。
(石崎勝基)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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バルトロメ・エステバン・ムリリョ | (1617-1682) | アレクサンドリアの聖カタリナ | 1645-50 | 油彩・キャンバス | |
スルバラン派の画家 | 聖ロクス | 17世紀 | 油彩・キャンバス | 有川一三氏寄贈 | |
クロード・モネ | (1840-1926) | ラ・ロシュブロンドの村 | 1889頃 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
オーギュスト・ルノワール | (1841-1919) | 青い服を着た若い女 | 1876頃 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
パブロ・ピカソ | (1881-1973) | ロマの女 | 1900 | パステル、油彩・紙 | 三重県企業庁寄託 |
ジョルジュ・ルオー | (1871-1958) | キリスト磔刑 | 1939頃 | 油彩・紙・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
藤田 嗣治 | (1886-1968) | 猫のいる自画像 | 1927頃 | 油彩・キャンバス | 東畑建築事務所寄贈 |
ジョアン・ミロ | (1893-1983) | 女と鳥 | 1968 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
アルフォンソ・アルバセテ | (1950- ) | 幻影 1 | 1990 | 油彩・キャンバス | |
ホセ・ルイス・アレクサンコ | (1942- ) | ソルダイヴァー | 1990 | 油彩・キャンバス | |
オシップ・ザッキン | (1890-1967) | 雲への挨拶 | 1956 | 水彩・紙 | 第三銀行寄贈 |
ロバート・カミング | (1943- ) | 測定メディア | 1985 | 水彩・紙 | |
ウィリアム・ブレーク | (1757-1827) | ヨブ記 | 1825 | エッチング・紙 | |
オノレ・ドーミエ | (1808-1879) | 古代史 | 1841-43 | リトグラフ・紙 | |
ロドルフ・ブレスダン | (1822-1885) | 善きサマリア人 | 1861 | リトグラフ・紙 | |
フランシスコ・デ・ゴヤ | (1746-1828) | 版画集『戦争の惨禍』 | 1810-20 | エッチング他・紙 | |
ロドルフ・ブレスダン | (1822-1885) | 鹿のいる聖母子 | 1885 | リトグラフ・紙 | |
エドヴァルト・ムンク | (1863-1944) | マイアー・グレーフェ・ポートフェリオ | 1895 | エッチング・ドライポイント・紙 | |
ヤン・トーロップ | (1858-1928) | 種蒔く人 | 1895 | リトグラフ・紙 | |
オディロン・ルドン | (1840-1916) | ベアトリーチェ | 1897 | リトグラフ・紙 | |
オディロン・ルドン | (1840-1916) | ヨハネ黙示録 | 1899 | リトグラフ・紙 | |
ワシリー・カンディンスキー | (1866-1944) | 版画集『小さな世界』 | 1922 | 木版・リトグラフ・ドライポイント・紙 | |
ジョアン・ミロ | (1893-1983) | アルバム13 | 1948 | リトグラフ・紙 | |
ジョアン・ミロ | (1893-1983) | 岩壁の軌跡 1-6 | 1967 | アクアチント、エッチング・紙 |
ギャラリー、ロビー
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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元永 定正 | (1922- ) | 作品 | 1966 | アクリル・キャンバス | |
中西 夏之 | (1935- ) | 版画集『白いクサビ-日射の中で』(6点組) | 1987 | 銅版・紙 | |
高松 次郎 | (1936- ) | 版画集水仙月の四日(4点組) | 1984 | シルクスクリーン・紙 | |
オシップ・ザッキン | (1890-1967) | ヴィーナスの誕生 | 1930 | ブロンズ | 岡三証券寄贈 |
片山 義郎 | (1908-1967) | 女の頭部 | 1958 | ブロンズ | |
柳原 義達 | (1910- ) | 黒人の女 | 1956 | ブロンズ | |
佐藤 忠良 | (1912- ) | 賢島の娘 | 1973 | ブロンズ | |
向井 良吉 | (1918- ) | パッキングのオベリスク | 1989 | アルミニウム | |
清水 九兵衞 | (1922- ) | FIGURE-B | 1986 | アルミニウム | 預かり品 |
飯田 善國 | (1923- ) | Xのコンストラクション | 1987 | 木・着色麻ロープ | |
多田 美波 | (1924- ) | 曙 | 1982 | テラコッタ・ステンレススティール | |
江口 週 | (1930- ) | 漂流と原形 | 1981 | 木 | |
江口 週 | (1930- ) | ふたたび翔べるか-柱上の鳥 | 1988 | 木 | |
保田 春彦 | (1930- ) | 都市 試作(1)(2) | 1985 | 鉄 | |
湯原 和夫 | (1930- ) | 無題 | 1971 | 真鍮・クロム鍍金 | |
新妻 實 | (1930- ) | 眼の城 | 1988 | 黒御影石 | |
澄川 喜一 | (1931- ) | そぎとそり | 1975 | 木 | |
吉村 寿夫 | (1948- ) | 気焔 | 1984 | アルミヒドロ合金 | 作者寄贈 |
屋外彫刻
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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ジャコモ・マンズー | (1908-1991) | ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 | 1973 | ブロンズ | 百五銀行寄贈 |
多田 美波 | (1924- ) | 作品91 | 1991 | ステンレススティール | |
湯原 和夫 | (1930- ) | 無題 | 1982 | 鉄・ステンレススティール | 井村屋製菓寄贈 |
井上 武吉 | (1930- ) | my sky hole 82 | 1982 | 鉄・ステンレススティール | |
井上 武吉 | (1930- ) | my sky hole 85-6 | 1985 | 鉄 | |
番浦 有爾 | (1935 | 風 | 1990 | ブロンズ | |
田畑 進 | (1944- ) | NOKOSARETA―KATACHI | 1982 | ステンレススティール | |
八ツ木のぶ | (1946- ) | 象と人(異邦の夢) | 1988 | ステンレススティール・ウレタン塗装 | |
梶 滋 | (1951- ) | 円柱とその周辺 | 1986 | アルミニウム |