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常設展示1992年度【第3期展示】 1992年10月13日(火)〜12月23日(水)

第1室 パリに学んだ洋画家たち

19世紀末から第2次世界大戦前夜まで、なぜパリは多くの日本人画家を魅惑した芸術の都であったのだろう。洋画家としてまずパリを訪れたのは1878年(明治11)の山本芳翠と1880年の五姓田義松である。彼らは工部美術学校でイタリア人画家フォンタネージに学び、ミレーやコローなどバルビゾン派の影響を受けたフォンタネージの感化により渡仏することになる。パリには美術館や私立の美術学校をはじめ、作品発表の場であるサロン展があり、その街の郊外にも画題となる美しい風景が広がっていた。

19世紀末の外光派画家コランに学んだ黒田清輝と久米桂一郎は、日本洋画に外光主義を移植。帰国後、東京美術学校教授となった二人の指導で岡田三郎助、和田英作がパリに留学している。1889年と1900年には盛大なパリ万博が開催されているが、博覧会を機会にパリを訪れた画家も多い。浅井忠、満谷国四郎、鹿子木孟郎らである。満谷、鹿子木そして後に中村不折は、フランス最後の歴史画家ローランスに師事し帰国後、太平洋画会を結成、黒田、久米らの白馬会に対抗した。しかし、パリ留学中の鹿子木を訪ねた安井曾太郎や同世代の梅原龍三郎、そして黒田に勧められて渡仏した藤島武二は、彼らの先行者とは異なり、ローランスやコランではなくセザンヌやルノワール、また後期印象主義の洗礼を受けた。1910年(明治43)に創刊された雑誌『白樺』は、この時代の芸術家にみられる印象派、後期印象派への傾倒を反映している。

第1次世界大戦が1914年に勃発すると、留学生の多くが帰国するが、エコール・ド・パリの一員となっていた藤田嗣治はパリに残り、第1次大戦後の留学生たちに影響を与えた。モディリアーニ、スーチンなど、エコール・ド・パリの作品には共通した様式というよりも、異郷の地で暮らす芸術家固有の苦悩や孤独が表現されているが、1920年代にパリを訪れた多くの日本人画家は、その時代のさまざまな流派、新傾向の美術を経験することになる。1921年からわずか5か月のパリ滞在で従来の暗い色調による緻密な写実表現から、軽快な筆触の明るい画面へと作風を一変させた小出楢重、フォーヴイスム(野獣派)の手法でパリの街角を繰り返し描いた佐伯祐三、野獣派から出発して写実主義にもどった前田寛治。前田、佐伯らは帰国後、1930年協会を結成、同会には後に川口軌外、福沢一郎らが入会している。

第2次世界大戦はヨーロッパの伝統に決定的な打撃を与え、戦後の美術の中心はヨーロッパからアメリカヘと移るが、日本の戦後美術に転機をもたらしたフランスの美術展(サロン・ド・メー)を忘れるわけにはゆかない。1951年に渡仏した田淵安一はサロン・ド・メーに繰り返し出品し、戦後ヨーロッパの新しい傾向のなかで活動を開始。また1952年渡仏した菅井汲は、田淵や金山康喜らと知り合い、共にヨーロッパで制作を続けた。

第2次大戦前のヨーロッパには、パリの他にもミュンヘンやデュッセルドルフ、ウィーン、ローマといった芸術の都があったが、日本洋画の歩みにとって、パリはかけがえのない街であり、明治期に留学した岩村透が述べるように、パリには他の首都にはない、真の芸術家の生活が待っていたのである。

(荒尾鋪透)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
五姓田 義松 (1855-1915) 狩猟図 1894 油彩・キャンバス 寄託作品
浅井  忠 (1856-1907) 小丹波村 1893 油彩・キャンバス  
久米 桂一郎 (1866-1934) 秋景下図 1895 油彩・キャンバス  
黒田 清輝 (1866-1924) 雪景 1919 油彩・キャンバス  
岡田 三郎助 (1869-1936) 岡部次郎像 1898 油彩・キャンバス  
中村 不折 (1866-1943) 裸婦立像 1903頃 油彩・キャンバス  
満谷 国四郎 (1874-1936) 裸婦 1900頃 油彩・キャンバス  
鹿子木 孟郎 (1874-1941) 狐のショールをまとえる婦人 1902 油彩・キャンバス  
鹿子木 孟郎 (1874-1941) 教会 1917 油彩・キャンバス  
和田 英作 (1874-1959) 富士 1909 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
藤島 武二 (1867-1943) セーヌ河畔 1906-07 油彩・キャンバス  
藤島 武二 (1867-1943) 裸婦 1906頃 油彩・キャンバス  
安井 曾太郎 (1888-1955) 裸婦 1910頃 油彩・キャンバス  
斎藤 豊作 (1880-1951) 風景 制作年不詳 油彩・キャンバス  
正宗 得三郎 (1883-1962) ヴェイトイユの春 1914 油彩・キャンバス  
梅原 龍三郎 (1888-1985) 林檎畑ブルターニュ風景 制作年不詳 油彩・キャンバス 寄託作品
小出 楢重 (1887-1931) パリ・ソンムラールの宿 1922 油彩・キャンバス  
前田 寛治 (1896-1930) 風景 1924頃 油彩・キャンバス  
福沢 一郎 (1898-   ) 劇の一幕(コメディ・フランセーズ) 1924 油彩・キャンバス  
藤田 嗣治 (1886-1968) 猫のいる自画像 1927頃 油彩・キャンバス 東畑建築事務所寄贈
里見 勝蔵 (1895-1980) 裸婦 1927 油彩・キャンバス  
佐伯 祐三 (1898-1928) サンタンヌ教会 1928 油彩・キャンバス  
荻須 高徳 (1901-1986) 街角(グルネル) 1929-30 油彩・キャンバス 東畑建築事務所寄贈
海老原 喜之助 (1904-1970) 森と群鳥 1932 油彩・キャンバス  
金山 康喜 (1926-1959) 静物 1951 油彩・キャンバス  
川口 軌外 (1892-1966) 作品 1951 油彩・キャンバス  
田中 阿喜良 (1918-1982) ケ・ド・メトロ 1970頃 油彩・キャンバス  
坂本 繁二郎 (1882-1969) 1960 油彩・キャンバス  
岡  鹿之助 (1898-1978) 廃墟 1962 油彩・キャンバス  
田淵 安一 (1921-   ) 一は全て 全ては一 1965 油彩、水彩、インク・キャンバス  
前田 常作 (1926-   ) 空間の秘儀(出現その5) 1965 油彩・キャンバス  
菅井  汲 (1919-   ) 森の朝 1967 油彩・キャンバス  
小野木  学 (1924-1976) 風景 1975 油彩・キャンバス  
松谷 武判 (1937-   ) OBLIQUE-3-86 1986 アクリル絵具、鉛筆、ビニール
接着剤・和紙、キャンバス
 
長谷川 潔 (1891-1980) 版画集ポートレート 1963 銅版・紙  
駒井 哲郎 (1920-1976 コミック V 1958 エッチング、カラーアクアティント・紙  
浜口 陽三 (1909-   ) 毛糸 1978 メゾティント・紙  
浜口 陽三 (1909-   ) 9つの貝殻 1980 メゾティント・紙  

第2室 古径・岳陵と近代の日本画

中村岳陵の子息渓男氏の回想によると、1929年(実際には28年)秋の第15回院展に「流泉四題」を出品した頃、岳陵の創作活動は最大の危機を迎えていた。この年の初めからすでに行き詰まりを感じていた岳陵は、院展に出品はしたものの、自分では納得のいかなかった「流泉四題」が最大の讃辞で迎えられたことにより、かえって方向を見失い、自殺の寸前まで追いつめられたという。しかしまもなく、逗子への転地をきっかけに写生に打ち込むことによって、岳陵はこの危機を乗り切った。1931年の第18回院展には力のこもった大作である「娩膩水韻」を出品している。「都会女性職譜」はこの2年後に制作された。

「娩膩水韻」は、すでに「都会女性職譜」につながる女性像への新しいアプローチを窺わせている。しかしそうした連続性がほとんど問題にならないほど、「都会女性職譜」は、主題の点でも様式の点でもそれ以前の作品群と一種の断絶を示している。しかも後続の作品も見あたらない。ではいったい岳陵はなぜ突然このような主題に取り組んだのだろうか。明確な答えは得られないが、すでに指摘されているのは、岳陵が一種の「新職人尽絵」としてこれを構想したのではないかということである。大和絵を中心に古画の研究に励んでいた岳陵が、中世以来の伝統をもつ「職人尽絵」に注目したとしても不思議はない。風俗画の流れに属する作品として、実際、このシリーズには、1933年当時の近代都市風俗が様々に映し出されている。何よりも、いわゆる「職業婦人」の登場自体が当時の最新の社会現象であった。溪男氏によると、岳陵は、ようやく男社会に進出し始めた若い女性を励ますためにこれらを制作したというが、果してそうであろうか。ここではそうした社会性よりも、あくまでも風俗画としての面白さが勝っている。確かにこの作品の魅力の一つは、同時代のドキュメントとして、その細部に至る風俗描写にある。女性の服装や着物の柄、髪型に始まって、デパートのインテリア、近代的な医療機器、街角に至るまで、当時の風俗が丁寧に描き出されている。

しかし、同時に見逃せないのは、画面構成と色彩構成のうまさである。岳陵は当初、20種ほどのシリーズを考えていたらしい。ところが着手してみるとはかどらず、結局この7点のみが院展に出品されることになった。全く新しい主題への取り組みという条件もその原因と考えられるが、1点1点を丁寧に見ていくと、画面は非常に緻密に丹念に組み立てられており、相当の時間を要したことも納得される。具体的にみると、まず7点は、画面に沿った水平垂直軸を中心に展開している「女給」「レビューガール」「奇術師」と、斜めの線をむしろ強調した残りの4点とに分けられる。また、「チンドンや」における二重の枠をもつ構図や、見る者を逆に見返すかのような眼科の看板といった仕掛け、「女給」における、視線と影によってすべてを物語るという大胆な表現方法、思い切った画面処理など、随所に工夫が見られる。色彩構成をみても、原色を中心に大胆なストライプを導入した「女店員」を初め、カラフルな市松模様、水玉を配するなど、伝統的な装飾的表現とは異なるモダンなデザイン感覚を駆使して、主題にふさわしい新しさが演出されている。

「都会女性職譜」は、モガ、モボと呼ばれる人々が日本の都市を闊歩していた時代の雰囲気を、日本画において見事に捉えた岳陵の代表作といえよう。しかし岳陵の全画業の中で、このシリーズがひときわ孤立した感じを与えるのはなぜだろうか。1933年は日本が国際連盟を脱退した年である。この孤立は、全面的な戦争へと傾斜していく時代の中で、昭和初期の日本のモダニズムが辿った運命と重なり合うようにも思われる。7点のうち「女給」には、風紀上の理由で展覧会場から1日ではずされたというエピソードがある。

(土田真紀)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質
横山 大観 (1868-1958 満ちくる朝潮 1952 紙本著色
小川 芋銭 (1868-1938) 野渡新造船図 1930 紙本淡彩
小川 芋銭 (1868-1938) 水郷十二橋 1933 紙本淡彩
平福 百穂 (1877-1933) 太公望図 1927 紙本墨画淡彩
小林 古径 (1883-1957) 旅路 1915頃 絹本著色
小林 古径 (1883-1957) 麦秋 1915頃 絹本著色
安田 靫彦 (1884-1978) 小倉の山 1930頃 絹本著色
安田 靫彦 (1884-1978) 天孫降臨画稿 1939頃 紙本墨画
前田 青邨 (1885-1977) 制作年不詳 絹本着色
中村 岳陵 (1890-1969) 都会女性職譜(7点)
 看護婦
 レビューガール
 エレベーターガール
 女店員
 奇術師
 チンドンや
 女給
1933 紙本著色
速水 御舟 (1894-1935) 花の傍下絵 1932 紙本著色
速水 御舟 (1894-1935) 制作年不詳 紙本著色

橋本平八の木彫

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
橋本 平八 (1897-1935) 1922  
橋本 平八 (1897-1935) 馬鳴尊者 1925  
橋本 平八 (1897-1935) 成女身像 1926 寄託作品
橋本 平八 (1897-1935) 弁財天 1927  
橋本 平八 (1897-1935) 石に就いて 1928 寄託作品
橋本 平八 (1897-1935) 老子 1932  
橋本 平八 (1897-1935) 弱法師 1934  

第3室 モノクロームの系譜―近現代の版画

ヨーロッパ中世の絵画において、ひとつの画面内で彩色部分と無彩色部が併用された場合、モノクロームの部分は、彩色部による現世の表示に対し、不可視の世界を表わすために用いられることがあったという(辻佐保子『中世絵画を読む』、岩波書店、1987参照)。また、ヨーロッパで木版画が成立したのは14世紀後半だが、初期の作例の多くは、多色刷りによるものであった。これに、中国絵画にあっても、水墨画は彩色画の後から現われたことを考えあわせるなら、視覚表現の領域で、モノクロームが決して技術上の制約のみから生じたものではなく、表現内容にあわせて選択された比重が少なくないことがわかる。

他方、レオナルド以後19世紀半ばまでの近世油彩画は、色彩を用いるとしても、基本的には、ひとつの色の明暗の変化として調整される(多くの場合、地塗りともなる褐色ないしグレーが基調となる)。現実世界を写実的に再現するためには、ばらばらな色彩の対比によるよりも、画面全体を覆う明暗の推移によってヴォリュームを表わす方が近道ととらえられたからにほかならない。15世紀半ばに成立した銅版画が、当初よりもっぱらモノクロームであったのも、これは技術上の理由とともに、写実性を少なくともひとつの軸とした、近世的視覚と呼応したからかもしれない。とまれヨーロッパの版画は、暗部を光、暗部を影におきかえる作業のさまざまなヴァリエーションとして展開していくことになるだろう。

ゴヤの『戦争の惨禍』においては、平行線を重ねることで陰影を表わすハッチングによる人物のモデリングとともに、背景をうめるアクアティントのフィールドがしばしば重要な役割をはたしている。全体を浸す暗がりから浮かびあがる人間たちのいとなみは、暗がりから切りはなすこともできず、そのために、宿命的な相貌を獲得するのだ。

一見ありふれた街景図と見えるメリヨンの『ノートルダムの給水塔』は、しかし、とりわけ塔の陰の部分に見られるように、奇妙なうごめきを隠している。メリヨン初期の作品ではハッチングがあまり交差されず、もって、暗部も明部同様に面としてはりつめることになる。これが、画面全体に硬質な緊張感をみなぎらせるのだ。

鋭角的な銅版画の特性をいかしたこれらの作品に対し、ドーミエの『古代史』は、リトグラフの柔軟さを最大限に活用している。筆庄に応じて密度が変化するリト・クレヨンは、人物描写の際には、スピードと充実感によって、カリカチュアにとどまらない生命をもたらす。それとともに注目すべきは、闇の稠密さだろう。クレヨンの柔らかさが縮圧されることによって、闇の密度が物質性を感じさせるまでに高まるのである。

リトグラフと銅版画の性格のちがいは、ルドンムンクを比較することでもあきらかになるはずだ。もっともこの二人の場合、固有の生命をえた闇が、近世的明暗法および遠近法の枠をおしながすまでに拡張されるという共通点に目をとめるべきだろう。ここには、写実を軸としたルネサンス以来の世界把握が崩壊しつつある兆候を読みとることができるとともに、モノクロームが再び、世界の裏側を表わすために活用されていることが認められる。

無数め色をふくむ黒云々といういいまわしがある。闇、ないし白/光といいかえてもよい。これを額面どおりうけとるべきかどうかはともかく、モノクロームは、自然界のさまざまな色を意識的に制限することで、明暗の語調が無限に転移していく可能性をもたらすのである。

(石崎勝基)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エステバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1645-50 油彩・キャンバス  
スルバラン派の画家   聖クロス 17世紀 油彩・キャンバス 有川一三氏寄贈
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1899頃 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た若い女 1876頃 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
ラウル・デュフィ (1877-1953) 黒い貨物船と虹 1949頃 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
ジョアン・ミロ (1893-1983) 女と鳥 1968 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
                   ☆
ウィリアム・ブレーク (1757-1827) ヨブ記 1825 エッチング・紙  
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 版画集『戦争の惨禍』 1863刊 銅版・紙  
オノレ・ドーミエ (1808-1879) 古代史 1841-43 リトグラフ・紙  
シャルル・メリヨン (1821-1868) ノートルダムの給水塔 1852 エッチング、ドライポイント・紙  
ヨハン・バルトルト・ヨンキント (1819-1891) オランダ風景銅版画集 1862 エッチング・紙  
カミーユ・ピカソ (1831-1903) 農夫モロン親爺 1879 エッチング・紙  
カミーユ・ピカソ (1831-1903) 鋤で耕す農婦 1890 エッチング・紙  
ジェームズ・ティソ (1836-102) 1878 エッチング、ドライポイント・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ヨハネ黙示録 1899 リトグラフ・紙  
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) マイアー・グレーフェ・ポートフォリオ 1894-95 エッチング、ドライポイント・紙  
ワシリー・カンディンスキー (1866-1944) 版画集『小さな世界』 1922 木版、ドライポイント・紙  
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) 受難(パッション) 1939 木版・紙  
ジョアン・ミロ (1893-1983) アルバム13 1948 リトグラフ・紙  
マルク・シャガール (1887-1985) 版画集『サーカス』 1967 リトグラフ・紙 岡田文化財団寄贈
ベン・ニコルソン (1894-1982) バロスの木 1968 エッチング、アクアティント・紙  
ヘンリー・ムーア (1898-1986) 版画集『ストーンヘンジ』 1971-73 リトグラフ・紙  
アリスティード・マイヨール (1861-1944) 裸婦 制作年不詳 ブロンズ  
エミリオ・グレコ (1913-   ) アレトゥーサ 1954 ブロンズ  

ギャラリー・ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
渡辺 豊重 (1931-   ) デュエット 1988 アクリル・キャンバス 作者寄贈
斎藤  清 (1907-   ) 道・唐招提寺・奈良 1960 木版・紙 作者寄贈
斎藤  清 (1907-   ) 目(14) 1976 木版・紙 作者寄贈
脇田  和 (1908-   ) 1965 リトグラフ・紙 作者寄贈
脇田  和 (1908-   ) 1970 シルクスクリーン・紙 作者寄贈
菅井  汲 (1919-   ) 無題 1958-60 リトグラフ・紙  
若林  奮 (1936-   ) 大気中の緑色に属する
もののためのデッサン
1982 鉛筆・紙  
森  一蔵 (1945-   ) 7×7=49 1982 磁器  
斎木  勲 (1952-   ) 1986 磁器  
澄川 喜一 (1931-   ) そぎとそり 1975  
保田 春彦 (1930-   ) 都市 試作(1)(2) 1985  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題 1971 真鍮・クロム鍍金  
リン・チャドウィック (1914-   ) 三角V 1961 ブロンズ  
佐藤 忠良 (1912-   ) 賢島の娘 1973 ブロンズ  
江口  週 (1930-   ) 漂流と原形 1981  
江口  週 (1930-   ) ふたたび飛べるか−柱上の鳥 1988  
飯田 善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木・着色麻ロープ  
清水 九兵衛 (1922-   ) FIGURE-B 1986 アルミニウム 預かり作品
多田 美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ・ステンレススティール  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
番浦 有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
多田 美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上 武吉 (1930-   ) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上 武吉 (1930-   ) my sky hole 85-6 1985  
田端  進 (1944-   ) NOKOSARETA―KATACHI 1082 ステンレススティール  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶   滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
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