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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 1992 > 常設展示1992年度第1期(1992.5-8)

常設展示1992年度【第1期展示】 1992年5月26日(火)~8月2日(日)

第1室:現代の絵画:日本の抽象表現

日本の油彩画は、三重県立美術館のコレクションの中核をなしている。今回展示する戦後日本の抽象絵画は、短期間に質的にも量的にも外国美術の複雑な影響をそれ以前の時代に比べてはるかに強く受けた、明治から現代に至るわが国の美術が示す変化に富んだ様相を系統的に紹介しようという意図をもって収集された油彩画の一部である。

三重県立美術館の戦後絵画作品には、現在のところ、山口長男(1902-)、斎藤義重(1904-)ら戦後美術を語る際に逸することができない作家、あるいは注目すべき意欲的な作品を発表してきた若い世代の作家らの作品が収蔵されていないなど、いまだ不充分なところもあるが、具象抽象あわせて戦後絵画の諸相をおおむね概観することができる内容をもっている。

今回の展示は、既に1930年代頃からシュールレアリスム的な作品に続いて、独特の構成やモチーフによる様々な抽象作品を試み、戦後は【具体美術協会】を率いて、国際的にも注目される先鋭的な造形活動を展開した吉原治良の初期抽象作品で始められることになる。

この「作品」(1937年)は、微妙に異なる調子を示す白地の画面に、2個の黒い五角形と1本の黒い線、3個の白い曲線をもつ〈かたち〉とが配置され、画肌とモチーフとの関係、あるいは黒と白の対比、平面上での〈かたち〉相互の関係性といった造形的な問題を提起している作品でもある。

その後、吉原はしばらく具象的な作品を描いたりもしたが、線による構成の作品、アンフォルメル風の作品などを経て、白・黒・赤などの円という完結した形をモチーフに人の意表をつく作品へと展開を見せた。当館にも、戦後描かれた「作品(赤丸)」〈1967年作〉が所蔵されているが、そこには生涯を通じて前衛であり続けた吉原の創造のあり方が象徴的に示されているようである(「作品(赤丸)」は、保存上の事情により、展示を見合わせている)。

吉原は、戦前、戦後を通じて巨大ともいえる存在感を持つ画家であるが、1954年に関西の若手画家たちを集めて彼が結成したのが、【具体美術協会】である。【具体】は、フランスの批評家ミッシェル・タピエらの紹介によって海外でも高く評価され、近年再び注目を集めているが、今回展示されている元永定正、白髪一雄、松谷武判らは、【具体】に参加した画家である。

吉原の作品に続いては、やはり戦前から活動を行っていた村井正誠や難波田龍起の作品、戦後本格的に活動を始めた鶴岡政男、阿部展也、杉全直らを初めとする10数名の画家たちの作品が展示されるが、その多くは1950年代と60年代に描かれたものである。

1950年代は日本が敗戦の混乱期から本格的な復興期へと移りつつあったともいえる時期である。この時期、美術の分野では、鎌倉や東京に近代美術館が開館し、また新聞社主催による大規模な西洋美術の展覧会が行われ、「サロン・ド・メ展」(1951年)や「世界・今日の美術展」(1956年)のように、戦後のヨーロッパの新しい美術運動が次々にわが国へも紹介されるようになった。

こうした時代の状況の中で、画家たちは海外の美術の動向に敏感に反応しつつ、戦争体験を経た自己の思想や造形理念を様々なスタイルと新しい技法とによって画面に定著させ、従来の絵画の概念に変更を迫っていったのであった。

(毛利伊知郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
川口 軌外 (1892-1966) 作品 1951 油彩・キャンバス  
吉原 治良 (1905-1972) 作品図 1937 油彩・キャンバス  
村井 正誠 (1905-   ) 支那の街No.1 1938 油彩・キャンバス  
村井 正誠 (1905-   ) うしろ姿 1956 油彩・キャンバス  
難波田龍起 (1905-   ) 創生A 1961 油彩・キャンバス  
鶴岡 政男 (1907-1979) 黒い行列 1952 油彩・キャンバス  
鶴岡 政男 (1907-1979) 1965 油彩・キャンバス  
宇治山哲平 (1910-1986) 伊勢 1976 油彩・キャンバス  
阿部 展也 (1913-1971) R-26 1970 アクリル・キャンバス  
桂   ゆき (1913-1991) 作品 1958 油彩・キャンバス  
杉全  直 (1914-   ) コンポジション 1961 油彩・キャンバス  
浅野 弥衛 (1914-   ) 作品(黄・緑・紫・青・赤) 1964 油彩・キャンバス 小嶋千鶴子氏寄贈
菅井  汲 (1919-   ) 森の朝 1967 油彩・キャンバス  
田淵 安一 (1921-   ) 一は全て 全ては一 1965 油彩・水彩・インク・キャンバス  
元永 定正 (1922-   ) 赤と黄色と 1966 油彩・キャンバス、板  
元永 定正 (1922-   ) ふたつしずく 1987 アクリル・キャンバス  
白髪 一雄 (1924-   ) 黄龍 1965 油彩・キャンバス  
小野木 学 (1924-1976) 風景 1975 油彩・キャンバス  
前田 常作 (1926-   ) 空間の秘技(出現 その5) 1965 油彩・キャンバス  
渡辺 豊重 (1931-   ) ギザギザとギザギザの間はジグザグ(赤) 1988 アクリル・キャンバス  
渡辺 豊重 (1931-   ) ギザギザとギザギザの間はジグザグ(青) 1988 アクリル・キャンバス  
松谷 武判 (1937-   ) OBLIQUE-3-86 1986 油彩・キャンバス、和紙  
宇佐美圭司 (1940-   ) 銀河鉄道 1964 油彩・キャンバス  
甲谷  武 (1945-   ) 円の構造 1985 ラッカー・プラスティック 作者寄贈
甲谷  武 (1945-   ) 円の構造89-1 1989 ラッカー・プラスティック  
杉浦イッコウ (1946-   ) A SPACE ODYSSEY 90 BLACK RIVER 1990 アクリル・木・布・キャンバス 作者寄贈
浅野 弥衛 (1914-   ) 作品 1986 木・オイルスティック  
飯田 善國 (1923-   ) SONZAI 1967 真鍮  
若林  奮 (1936-   ) 中に犬 2 1968  
八木 一夫 (1918-1979) みんなさかさま 1968 黒陶  

第2室:横山操【瀟湘八景】

瀟湘はいずれも中国の川の名で、湘水は流れの途中で瀟水を合わせて、やがて洞庭湖に注ぐ。一帯は、ひろびろとした湖沼やそれを取り巻く山々から構成された美しい水景に恵まれ、湿気の多い一帯の空気が陽光や気象の絶え間ない変化と呼応して、時時刻刻、表情を変えていたといわれている。この辺りの水景から特徴的な八つの景観を選んでまとめたのが瀟湘八景である。

八景は、平沙落雁・遠浦帰帆・山市晴嵐・江天暮雪・洞庭秋月・瀟湘夜雨・烟寺晩鐘・漁村夕照からなっており、一説では北宋末の文人画家宋迪がはじめて描いたといわれている。しかし、特定の場所を実際の風景に即して描写することが目的とされているのではなく、湿潤な大気の変化や四季の変化、朝夕など一日の変化、気象の変化など、さまざまな自然条件のなかで変貌する山水のティピカルな表情を八つに分類してまとめた、といったほうが適切である。

南宋はじめの王洪の描いた「瀟湘八景図巻」(プリンストン大学附属美術館)はその最古の遺例といわれているが、このような多彩な表情をもつ主題は、そののちも、墨面の濃淡を駆使する「溌墨」という水墨画の一技法と結びつきながら様式的な洗練を重ねていった。その結果、ひとつの典型として現われてきたのが、南宋末から元のはじめにかけての禅僧で画家の牧谿の作品である。

この主題を描いた絵の日本への移入はすでに鎌倉時代末にはおこなわれており、水墨画が盛んに描かれた室町時代を中心に、むしろ本家の中国以上に盛んに描かれた。おそらく、瀟湘八景の与えるイメージが、かえって日本の湿潤な風土に近いものを感じさせ、それが、画家の関心をひくことになったからだろう。

室町時代の日本で、瀟湘八景の典型として最高の評価を受け、多大な影響を日本人の画家に与えたのが牧谿にほかならない。牧谿の瀟湘八景図の確実な遺品は現存しないが、伝承作品「瀟湘八景図巻」は足利将軍家の愛蔵の品であったといわれ、三代将軍義満の時代に分割され、掛幅に改装されて、茶掛として使用されるようになった。現在では、根津美術館などに分蔵されている。

横山操の瀟湘八景は、墨線の使用を極力抑えて溌墨の多彩な表現方法を駆使することによって描かれた作品であり、その意味では、1912年(大正元年)の第6回文展に発表された彩色による横山大観の作品などと異なって、瀟湘八景図の正統の現代への復活ということもできる。

この作品は、1963年(昭和38年)6月に銀座松屋で開かれた個展「瀟湘八景展」に出品された。友人で日本画家の加山又造はこのころの樺山を回想して「宋、元、院体画の水墨風景画を非常な努力で、自己のものにすべくあらゆる研究を試みている。」(「横山さんの絵によせて」『画集横山操』1977年)と書いている。手法だけを単純に比較してみると、横山の瀟湘八景に宋元画の影響はみいだしにくいが、アメリカの前衛芸術とくにアクション・ペインティングへ著しく傾斜していた横山が、水墨画に転向するに当たって、宋元画からどれほど多く有形無形の示唆を与えられたかは想像できる。

しかし、おなじ主題を扱ってはいても、横山が主たる研究対象としたにちがいないと思われる牧谿の柔らかな空気に包まれた山水と比べたとき、あまりに異なる風景が描かれていることも、同時に指摘しておかなければならないことだろう。

そもそも横山がそれまでの様式を敢て捨てて水墨画に転じたのは、洋画と区別のつかないような日本画の横行が、日本画自体の自立を阻むものでしかなく、こうした状況を打開するのは日本水墨画の再興にかかっている、という危機感からであった。これは、晩年『芸術新潮』(1970年2月号)に寄稿した「独断する水墨画」と題したエッセイに書かれていることだが、同じエッセイのなかの別の箇所で「水墨は作家の精神をギリギリまで追い込んで、心的表現へと導く。」とも述べており、横山の水墨画への転向が日本画の危機を打開するという外面的な理由からの単純なものであっただけではなく、内面的な要求もあって生まれたものであったことがわかる。

たしかに自然のあらゆるものをモノトーンに還元する水墨画は、色彩とか陰影とか、いわば余分な要素の介在が少ない分、横山のいうようにぎりぎりの刹那的状況に追い込まれたときの「心的表現」に適しているかもしれないが、また水墨画に対する独自解釈がそこに認められるのも事実であろう。

(山口泰之)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
横山   操 (1920-1973) 瀟湘八景
 -平沙落雁
  遠浦帰帆
  山市春嵐
  江天暮雪
  洞庭秋月
  瀟湘夜雨
  烟寺晩鐘
  漁村夕照
1963 紙本墨画  

第3室:20世紀のヨーロッパ絵画

1907年はヨーロッパのアート・シーンにとってはとても重要な、ながく記憶されていい年である。この年のサロン・ドートンヌでは「セザンヌ回顧展」がひらかれ、これによって近代美術史上におけるセザンヌの名声が確立したことがそのひとつであり、他のひとつは、売春婦をモデルにしたピカソが、青の時代をこえて、やがてくるキュビスムのはしりとなった『アヴィニョンの娘』を発表したことである。ルネサンス以後、現実をできるかぎり再現しようとするヨーロッパの造型思考のさいごのかがやきがセザンヌであり、そして、そういった造型思考を決定的にうちくだき、抽象的表現的な色とかたちのせかいをひらくきっかけをつくったのがピカソ(それにブラックやマチスをくわえてもいい)だった。ようするにひとつの時代の終わりであると同時に、また別の時代のはじまりをもっとも端的に象徴しているのが、この1907年だということになる。

これは十九世紀をつうじて圧倒的だったフランス美術の優位がすこしづつではあっても崩れてゆく過程でもあった。パリはいましばらくは藝術の都でありつづけるだろう。モネやルノワールといった印象派の画家の影響力はまだつよい。ピカソもパリであの『アヴィニョンの娘』を制作した。しかしかれはカタロニア出身のスペイン人だったし、同郷のミロもパリでキャリアをはじめたのち、ともに世界的な画家に成長していった。南北のアメリカや東欧やアジア、とりわけ日本から無数の藝術家たちがパリに留学し、ふたたび故国へかえってその種子を撒いたのはいうまでもない。もちろんパリに住みついてそこに根をおろしたひともけっしてすくなくはなかったので、第一次世界大戦の前後、とりわけ大戦後のパリでは、スーチン、パスキン、キスリング、モデイリアニ、フジタをはじめとする画家たちを、主義も主張もばらばらだったが、異邦人の眼でパリに生きるひとと風物をとらえた目新しさから「エコール・ド・パリ」とよぶことがある。

そういうなかでパリの好奇心をいっしんにあつめ、もっとも劇的な成功をおさめたのはピカソとともにシャガールだったかもしれない。眼にみえるせかいだけが合理的だとながく信じつづけてきたフランス的、ひいてはヨーロッパ的な思考は、ピカソとブラックのキュビスムやマチスのフォーヴィスムによって、すでにその前提をゆさぶられてはいたが、現実をまったく無視した色のつかいかた、遠近法と大小からの自由というか、ようするに時間と空間の解放は、このシャガールの出現によって、あともどりのできない次元にはいったからである。

もうひとりのロシア人、カンディンスキーもわすれてはいけない。現実に眼にみえるものだけではなく、眼にみえないものもじゅうぶん絵画の対象になるということにかけては、シャガール以上にするどく知的であったカンディンスキーは、その理論と感覚をみごとにむすびつけて、未知の領域に大胆にふみこんでいった。ドイツにできたバウハウスの同僚となったパウル・クレーとともに、かれの作品は、なにが描かれているかということよりも、それがどういう風に描かれているかという意味でむしろ音楽や詩にちかいものになっている。

(東俊郎)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エステバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1654-50 油彩・キャンバス  
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
オディロン・ルドン (1840-1916) ヨハネ黙示録 1899 リトグラフ・紙  
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た若い女 1876頃 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) キリスト磔刑 1939頃 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) 誇り高き女 1933 アクアチント・紙 寄託品
ジョルジュ・ルオー (1871-1958) 受難(パッション) 1939 カラーオーフォルト・木版・紙
ジョルジュ・ブラック (1871-1963) 裸婦   油彩・キャンバス 寄託品
モーリス・ド・ヴラマンク (1876-1958) 風景   油彩・キャンバス 寄託品
ラウル・デュフィ (1877-1953) 黒い貨物船と虹 1949頃 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
ラウル・デュフィ (1877-1953) ヌード   油彩・キャンバス 寄託品
マルク・シャガール (1887-1985) 1956-62 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
マルク・シャガール (1887-1985) 版画集『サーカス』 1967 リトグラフ・紙  
ジョアン・ミロ (1893-1983) 女と鳥 1968 油彩・キャンバス 岡田文化財団寄贈
ジョアン・ミロ (1893-1983) 岩壁の軌跡 1967 エッチング・アクアチント・紙
パブロ・ピカソ (1882-1973) 女の顔   陶版画 寄託品
モーリス・ユトリロ (1883-1955) 風景   油彩・キャンバス 寄託品
アルベール・マルケ (1875-1947) 水辺風景   油彩・キャンバス 寄託品
オシップ・ザッキン (1890-1967) 雲への挨拶 1956 水彩・紙 第三銀行寄贈
アリスティード・マイヨール (1861-1944) 『ダフニスとクロエ』挿絵 1937 木版・紙  
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) マイアー・グレーフェ・ポートフェリオ 1895 エッチング・ドライポイント・紙
ワシリー・カンディンスキー (1866-1944) 小さな世界 1922 木版・リトグラフ・ドライポイント・紙
M.C.エッシャー (1898-1972) 物見の塔 1958 リトグラフ・紙  
M.C.エッシャー (1898-1972 秩序とカオス 1950 リトグラフ・紙  
ヘンリー・ムーア (1898-1986) 版画集『ストーン・ヘンジ』 1971-73 リトグラフ・エッチング・紙
アルベルト・ジャコメッティ (1901-1966) 壜のあるアトリエ 1975 リトグラフ・紙  
アルベルト・ジャコメッティ (1901-1966) (室内の人物) 1965 リトグラフ・紙  
ジャコモ・マンズー (1908-1991) 『ジャコモ・マンズー』版画集 1970 エッチング・アクアチント・紙
オーギュスト・ロダン (1840-1917) 化粧する女   ブロンズ 寄託品
アントワーヌ・ブールデル (1861-1929) ベートーヴェン   ブロンズ 寄託品
アリスティード・マイヨール (1861-1944) 歩むマリー   ブロンズ  
リン・チャドウィック (1914-   ) 三角 Ⅲ 1961 ブロンズ  

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
木下  富雄 (1923-   ) FACE(白い勲章) 1979 木版・紙 作者寄贈
木下  富雄 (1923-   ) FACE(丸と角) 1982 木版・紙 作者寄贈
加納  光於 (1933-   ) 版画集『稲妻捕り』 1977 リトグラフ・紙  
高松  次郎 (1936-   ) 版画集『国生み』 1984 シルクスクリーン・紙  
若林   奮 (1936-   ) 版画集『ノート鮭の尾鰭』 1978 エッチング・ドライポイント・紙  
柳原  義達 (1910-   ) バルザックのモデルたりし男 1957 ブロンズ  
佐藤  忠良 (1912-   ) 賢島の娘 1973 ブロンズ  
向井  良吉 (1918-   ) レクイエム 1987 白銅  
飯田  善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木、着色麻ロープ  
多田  美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ、ステンレススティール  
保田  春彦 (1930-   ) 都市 試作(1)(2) 1985  
新妻   實 (1930-   ) 眼の城 1988 黒御影石  
関    敏 (1930-   ) 1989 黒御影石  
湯原  和夫 (1930-   ) 開かれた形 1975 真鍮・鏡面研磨・塗装  
湯原  和夫 (1930-   ) 意味の自由区No.2-88 1988 コールテン鋼・鉄・亜鉛メッキ  
澄川  喜一 (1931-   ) そぎとそり 1975  
江口   週 (1932-   ) 漂流と原形 1981  
江口   週 (1932-   ) ふたたび翔べるか 柱上の鳥 1988  
瀧川  嘉子 (1937-   ) 境-No.6-1986 1986 ガラス  
林   克次 (1943-   ) しりあい 1982  
森   一蔵 (1943-   ) 7×7=49 1982  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
イサム・ノグチ (1904-1988) スレート 1945  

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール 預かり品
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-   ) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
番浦  有爾 (1935 1990 ブロンズ  
田畑   進 (1944-   ) NOKOSARETA―KATACHI 1982 ステンレススティール  
八ツ木のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール  
梶    滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
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