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特集展示 【建畠覚造の彫刻】

2008.4.17〜2008.8.31
柳原義達記念館展示室B

建畠覚造(1919〜2006)は、日本抽象彫刻のパイオニアです。建畠は1940年代後半から活動を始め、1960年代のセメントや合成樹脂を素材とした作品、70年代末以降の合板による作品など数多くの作品を発表して、2006年に86歳でこの世を去るまで彫刻界で重要な位置を占めました。

建畠覚造と柳原義達は具象と抽象の違いはありますが、ほぼ同じ時期に活動し互いに敬愛し合う間柄でした。昨年、建畠覚造氏のご遺族から彫刻6点をご寄贈いただきましたのを機に、戦後の日本彫刻界に大きな足跡を残した二人の作家に対するオマージュの意味をこめて、当館所蔵の建畠作品を柳原義達記念館の一室に展示することといたしました。

建畠の回想によれば、二人の出会いは建畠が東京美術学校彫刻科に入学して間もない頃で、新入生の建畠は既に研究生であった柳原の傍らで制作したこともあったといいます。二人は1951年頃からともに野外彫刻展に出品を行い、1951年に東京で開催されたフランス現代美術展から強い刺激を受けて、彫刻研究のためにパリへ留学しました。

建畠は1953(昭和28)年7月にパリへ向かい、少し遅れてその年の暮れに柳原もパリに到着します。建畠が1955(昭和30)年1月にパリを離れるまでの約1年間、やはりパリに滞在していた彫刻家向井良吉も加わって二人は親しく交わりながら研鑽を重ねます。このパリ滞在中の1954年に制作されたのが、「テラコッタ C」です。この作品をはじめ、以後1960年代にかけての建畠作品は、人間や動植物から触発された有機的な抽象形態を示しています。

1960年代後半から70年代にかけて主に金属を素材とするユーモラスな作品を経て、70年代終わり頃から80年代半ばにかけて建畠は合板を重ねる技法による作品を発表します。以後、合板は建畠作品の主要素材として多用され、80年代半ば以降は表面を黒いウレタン塗装仕上げとする作品が制作されるようになりました。

建畠覚造は理論家肌の作家で、新素材や工業技術にも深い関心を寄せました。しかし、建畠作品は理知的な思考のみによって生まれたのではありません。この作家ならではのユーモアや諷刺、感情表現を抜きに、この作家の造形世界を語ることはできないでしょう。

特集展示 【建畠覚造の彫刻】

 

展示作品

テラコッタC 1954年 テラコッタ 2007年度建畠嘉氏寄贈
LANDSCAPE 28(中) 1984年 合板 2007年度建畠嘉氏寄贈
WAVING FIGURE 17(中) 1985年 合板、木 2007年度建畠嘉氏寄贈
WAVING FIGURE -75 1988年 合板、木 1998年度作者寄贈
SPIRAL 10 1990年 合板 2007年度建畠嘉氏寄贈
STANDING FIGURE(大) 1994年 合板 2007年度建畠嘉氏寄贈
PILED CUP 1996年 木・F.R.P.・鉛 1998年度購入
 

建畠覚造略歴

1919年  彫刻家建畠大夢の長男として東京に生まれる。
1937年  東京美術学校彫刻科に入学。
1941年  第4回文展で「黙」が特選受賞。東京美術学校を卒業。
1944年  在仏印日本文化会館員として、サイゴン(現在のホーチミン市)に赴任。
1946年  ベトナムから帰国。
1950年  行動美術協会彫刻部新設に参加。
1953年  渡仏し、55年3月に帰国。
1955年  「今日の新人・1955年展」(神奈川県立近代美術館)に出品。
1962年  多摩美術大学彫刻科助教授に就任(66年から教授)。
1967年  第10回高村光太郎賞を「壁体」で受賞。
1978年  建畠覚造展開催(神奈川県民ギャラリー)。
1981年  第12回中原悌二郎賞を「CLOUD 4(大)」で受賞。
1982年  建畠覚造展開催(和歌山県立近代美術館)。
1983年  ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞受賞。
1986年  武蔵野美術大学客員教授となる。
1990年  芸術選奨文部大臣賞受賞。
1992年  建畠覚造と戦後日本の彫刻展開催(和歌山県立近代美術館)。
2005年  文化功労者に選ばれる。
2006年 2月16日、心不全のため死去、享年86。

 
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