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HILL WIND no.14(2007.2.15)

ミエ・トリスメギストス

こうした三人の作風は、はじめにも記したように全く異なったものです。親しく交わっていたからといって、その作品にも共通点がなければならないということは毫もありますまい。それでもたとえば、浅野と伊藤における色彩の比重の小ささを接点として挙げることができるにせよ、しかしこれは小林とは正反対でしょう。また浅野と伊藤の50年代後半から60年代前半の作品に共通する切迫感に時代の反映を読みとることができるとして、小林の《ヅク》(1962)もたしかに暗い色で描かれていますが、そこでの流動感は決して重苦しく淀むものではありません。他方浅野と小林の作風展開が比較的安定していたのに対し、伊藤は、レリーフに達する以前はめまぐるしくその作風を変えていました。


それゆえ以下に述べるのは、あくまで蛇足でありこじつけにすぎないのですが、そのかぎりで三人の作風に(伊藤に関しては1966年頃以降)、イメージの遊戯性という共通項を見出すことができるかもしれません。浅野の線の変幻、小林の童話的宇宙、伊藤の模型空間がそれだとして、他方、浅野の技法について先に見たように、その制作は決していきあたりばったりなものではなく、むしろ職人的と呼べよう段どりを踏むものでした。職人的行程という点では、小林の緻密な色面設定や伊藤のレリーフ制作にも通じますが、また伊藤のアンフォルメル的な作品でさえ、感情をぶつける動勢の痕跡であるよりは点を積み重ねるという遅さに基づいていました。こうした制作過程がイメージの自在な戯れを許容するだけの土台をなすわけです。それはさらに、三人の作品に相通じる距離感をもたらしているように思われます。三人の作品はある意味でとても親しみやすいものですが、何らかの感情を押しつけるものでは決してなく(初期の伊藤を除き)、逆に、超然としていながら観る者を決してはねつけないだけの柔らかさを有しています。近くて遠く、遠くて近いこうした表情こそが三人の作品の交点なのだとは、しかしくりかえせば蛇足でありこじつけにすぎず、ここから先は観る者一人一人が、それぞれの作品の多様性と一貫性をその目で吟味していただければと思います。


 

その後の3人

浅野弥衛《作品》1983年


小林研三《ヅク》1962年


伊藤利彦《CUSTOM 6》1966年

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