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第2室 横山操〈瀟湘八景〉

第2室では、「画壇の革命児」と称される横山操が、43歳のときに取り組んだ〈瀟湘八景〉をとりあげます。

 

中国湖南省の北を流れる湘水に瀟水が合流してそそぐ洞庭湖は、古くから景勝地として詩人や画家に詠まれ、描かれました。〈瀟湘八景〉とは、この洞庭湖周辺の8つの勝景―《平沙落雁》、《遠浦帰帆》、《山市晴嵐》、《江天暮雪》、《洞庭秋月》、《瀟湘夜雨》、《烟寺晩鐘》、《漁村夕照》―で、その湿潤な空間にながれる時間、移ろいゆく季節や気象などの描き分けを要する水墨の画題として好まれ、定着してゆきます。日本では、室町時代に伝わった牧谿、玉澗による画巻が当時から珍重され、あとに続く画家たちに多大な影響を与え続けることとなりました。横山操が〈瀟湘八景〉を描く前年、伝牧谿筆〈瀟湘八景〉のうち《漁村夕照》を所蔵する根津美術館で、「瀟湘八景展」が開催されています。横山操が、この展覧会をみたという確証はありませんが、新しい日本画のあり方を求め、模索を続けていた横山操がこの展覧会に足を運び、新たな日本画への思いを強くした可能性は高いといえるのではないでしょうか。

 

牧谿、玉澗から、横山操が尊敬していた横山大観にいたるまで、多くの先人が手がけた〈瀟湘八景〉を経験し得た横山操は、横長の大画面に、〈瀟湘八景〉の8つの要素を独立させ、水墨で描くことを選択しました。銀座松屋で開催された「横山操屏風絵展」に出品されたこれらの作品には、大胆にたらし込みが用いられているほか、強い膠の使用、ペインティングナイフの併用など、多様な水墨研究のあとが窺えます。本作で横山操が見据えていたものは、室町時代以来続く伝統的な〈瀟湘八景〉であると同時に、不安をかかえた日本画の行方、そして水墨のもつ可能性だったといえるでしょう。  横山操は、〈瀟湘八景〉を発表した5年後、〈越路十景〉で、水墨に金泥や朱を併用するなどさらなる研究を重ね、新たな境地に達しました。さらにその2年後には、「独断する水墨」で自らの水墨に対する思いを語り、「いろいろなイズムと思考の混乱の中で、意図せざる日本画壇の変革が、独断する日本水墨画によって、あらたな展開を約束するだろう」と結んでいます(『藝術新潮』1970年)。本館所蔵の〈瀟湘八景〉は、水墨に日本画変革の可能性を見いだし、果敢に挑戦し続けた横山操による初期の本格的水墨作品として、重要な位置を占めているのです。

 

(Mm)

 

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