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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.61-70) > マティスのノートル=ダムの塔の上──プチ・ボン拾遺の拾遺──

研究ノート

マティスのノートル=ダムの塔の上 ─プチ・ボン拾遺の拾遺─

石崎勝基

影面の角度が別の世界に接す

ロバート・ブロック、「妖術師の宝石」(岩村光博訳)

 

 本誌69号に掲載された「プチ・ポン拾遺──メリヨンとマティス──」を書いている時には気づきもせず、校正で挿図を見ていて目にとまった点がある。件の号5頁のfig.2やfig.3、6頁のfig.7など、カメラのフレームの設定や位置に揺れはあるにせよ、プチ・ポンそしてノートル=ダム教会を撮影した写真では、ノートル=ダムの二つの塔の頂きが、左下がりの斜線を描いている。これに対し、メリヨン(同5頁、fig.1)、マルケ(同6頁、fig.4)、石井柏亭(同 fig.5)の作例では(図版が正確に切られているとすれば)、いずれも塔の頂上は、ほぼ水平になっているのだ(註1)。

 

 『プチ・ポン』を準備するため、メリヨンがカメラ・ルキダを用いて残したスケッチを見ると(『コレクション万華鏡』図録、132頁、fig.1)、やはり塔頂は斜めで、とすれば、少なくとも機械の目を通すかぎり、ノートル=ダムはかしいで映るものと考えてよいだろう。実際その場に立った時どんな風に見えるかは、残念ながら記憶にない。他方、メリヨン、マルケ、石井の画面で塔頂が水平なのは、構図を安定させるための処置と見なしうる。

 

 この時むしろ意外なのが、同じモティーフを手がけたマティスの作例では(本誌前号6頁、fig.6、7頁、fig.8、9)、問題の部分が斜めになっている点である(註2)。これはおおむね、マティスの同主題の他の作品にもあてはまるようだ(註3)。抽象化の著しい1914年の作品のみ(同fig・10)、塔頂はほぼ水平化している。この作品において、青の色面と線による構成が前景化しているところからひるがえって、他の作品はスケッチ的な性格が強く、その分、日に映った状態に忠実に描かれたのだと、考えることはできるかもしれない(写真では教会の側面も斜めに傾くが、この点は緩和される場合もある)。

 

 それにしても、厚塗りや点描、素早い線と薄塗りの習作風や色面によるものなど、さまざまな手法で描かれたこれらの画面を前にする時、カメラの眼的なレアリスムのみに帰するのは、少なくとも、不充分と聞こえはしないだろうか。塗りや賦彩をめぐる複数の手法を実験するための枠組みとして、一定の構図が要請されたのだとしても、構図自体、塗りや賦彩と連動するかぎりで、たとえば塔頂が水平か斜めかによって、その性格を変えずにいまい。

 

 左下から右中央に上がるセーヌ川の岸の斜線を軸にしたこれらの構図において、塔頂が水平の場合、水平線は、斜線による動勢への歯止めとなって、空間を安定させることになる。これに対し、塔頂が斜めであれば、斜めに斜めが掛けあわされて、画面の砕からはみだすような、湾曲し膨張する空間が懐胎されはしないか。前号fig.6の作例を見られたい、画面右端のアトリエの窓枠も、わずかに左にかしいでいる。この要素もまた、空間が傾斜し雪崩だす可能性を画面にもたらすことだろう。逆に抽象化されたfig.10の作品の場合、上からいったん浅く奥に引き、次いで下方手前へと流れだす空間を得るために、塔頂が水平にされたと見なすことができよう。やはり窓枠であった画面右手の縦の線が下方で描くカーヴは、それに応じ、奥行きを発動させる以上に手前へのひろがりをと、微妙にではあれ、空間のヴェクトルのニュアンスを変えている。

 

 もっとも、マティスにおいて塔頂が斜めから水平になった点が、時系列に沿って<進歩>したことを物語るわけでは、決してあるまい。ただ、レアリスムに則る如何にかかわらず、空間を構成する際の、マティスの選択肢のありようの具体的な一例を、ここにうかがうことはできるかもしれない。

 

(いしざきかつもと・学芸員)

1.『コレクション万華鏡』図録、三重県立美術館、1998、136頁、註7で挙げた、類したモティーフを描いた作例の内、『タブロー・ド・パリ』の挿絵(気谷誠、『風景画の病跡学』、平凡社、1992、122頁、図9)およびルーアルグの『プチ・ポン』(気谷、「パリの小さな檎──メリヨン」、『版画藝術』、no.93、1996.9、174頁、図4)では塔頂が斜めで、他の作例では水平になっている。

 

2.1914年のfig.9では塔頂は三角をなしており、これをどうとらえるかは分明ではない。ただ、1902年頃の別の作品で(Jack Flam,Maitisse. The Man and His Art 1869-1918,London,1986,p.103,fig.85)、教会を斜め下から見上げるような視角でとらえた結果、向かって左の塔の頂きがやはり三角になった点から類推すれば、1914年のfig.9でも同様の事態が起こっていると推測できなくはない。

 

3.ストックホルム近代美術館所蔵の1904-05年の作品では、塔頂はほとんど水平に見える(John Elderfield,Henri Matisse A Retrospective, New York, 1992,p.122,pl.41)。

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