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花嫁装束再び─ダニ・カラヴァン『斜線』の上を歩きながら

石崎勝基

白き日旅立てば不死

荒巻義雄

 

 

 立喰いのプロや大洗海水浴場、黄色い飛行船などとあわせ、押井守のアニメーションにくりかえし登場するモティーフの一つに白い面のひろがりがある。はじめにあげたもののように具体的なイメージではないにせよ、カラーの画面の中で大きくとられた白のひろがりは、光、そして視線を反射することで、空間を確固としたよりどころのない、不安定なものにしてしまう。これは、『うる星やつら』TVシリーズ中の「みじめ!愛とさすらいの母!?」続く『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)、さらに後の『機動警察パトレイバー2』(1993)といった諸傑作においても一貫して認めることのできる主題、すなわち、日常的に現実と見なされているものが、実のところ何ら自明のものではないはずだという認識に呼応していると考えることができるだろう。

 

 とすれば、いかな寓意なり理念と重ねあわされることになるにしても、少なくとも描写の次元では現実の再現を核としてきた西欧近世絵画が総じて、衣服やハイライトなどでの局所的な使用をのぞけば、画面の中で白に広い場所を与えることがなかったのも不思議ではないかもしれない。実際、レオナルドおよび十六世紀ヴェネツイア派から十九世紀初頭にいたる画面づくりの基本は、褐色地に支えられた明るい黄から黒に近い濃褐色におよぶ調子だった。これはいいかえれば、重力によって一切の事物の基底となる大地と、その上に立つ人間のからだを軸にして上下左右前後が決定されることを意味する。安定した座標軸を提供する褐色とは別に、他方、あらゆる色を混合したその先にある黒が、個物の壊敗を受けいれるがゆえに深淵と再生、さらに豊饒をも予感させるとすれば、色の多様さを拒否することで清浄の色とされる白は、その清浄さゆえかえって、不毛さにも結びつけられるだろうし、白の現前が不在の色を予感させる時、あるべきものを覆い隠す腐敗の隠喩ともなるかもしれない。空白だの白々しいとの形容はまさに空虚を指す。とまれ、十五世紀中葉に制作されたピエロ・デラ・フランチェスカの『笞打ち』などに見られる白い輝きと比較できるような作品を見出すには、ルネサンス以来の価値の体系が崩壊の兆しをしめした、近代をまたなければなるまい。

 

 たとえば、ドラクロワの『モロッコにおけるユダヤ人の結婚』(fig.1)──中央の壁はほとんどからっぼのまま残されることによって、多くの人物を潜ませた両側の暗がりと鋭く対立させられ、その明るさを白熱の域にまで高めている。扉と軒、欄干の緑は、補色にあたる中央下の人物の上着の赤に対比されると同時に、寒色であるがゆえに、暗がりの暖かさと宥和しえず、壁の白さを単なる暖かさ以上のものとすることになる。明暗の連続的な推移によって描写の現実らしさを保証しようとする近世的な明暗法よりも、暗部と、白ないし暗部に横滑り的に回収されることのない明部のかたまりとが直接ぶつけあわされることで、光の輝きをえることが重視されているのだ。同じく明と暗を強く対比させるにしても、カラヴァッジオにおいては、あくまで闇が主を占めていたことと比べてもよい(晩年作では闇自体が光をはらむかのような表現になるのだが)。あるいは、一切を光の渦にのみこませようとしたターナーの作品でも、光は黄の変化としてとらえられていた。

 

 同様の白および緑の使用は、マネの『バルコニー』(fig.2)にも認めることができる。ここでも白と暗がりが対立させられることで、白の輝きが強められている。ドラクロワの画面における赤は、中央の男のネクタイの青におきかえられ、そのため、黄から赤、褐色にいたる調子に回収されえぬ緑の冷たさが、緩和されることなく全体を支配する。人物三人を大きく前面に配した構図は、白の輝きと相まって、画面全体を手前にせりださせるのだが、それが冷たく幾何学的な緑におさえられることで、独特の緊張感をはらまずにいない。てんでにそっぼを向いた三人の表情も、なだらかというより面を断ち割ったような肉づけゆえ、そうした緊迫感に呼応することだろう。ここでの白は、もはや光を表わすためのものでさえなく、ひとつの色のかたまりとしてとらえられている。

 

 もとより、十六世紀から十八世紀にかけての西欧絵画が白に大きな比重をまったく与えなかったと断じてしまっては、山のような異例が指摘されることだろうし、近代の作例でも、アングルの『リヴイエール嬢の肖像』(1805)やシャセリオーの『デスデモーナ』(1849)を忘れるわけにはいくまい。マネとほぼ同時期にはホイッスラーが『白のシンフォニー第一番』(1862)を制作し、後のアルマ=タデマやクノップフにつながっていくことになる。モンドリアンやマレーヴィチ以後枚挙にいとまがないのは、さまざまな価値を支える基底が崩れたことを意味するのだろう。そうした中、ドラクロワの『ユダヤ人の結婚』とマネの『バルコニー』をとりあげたのは、緑との併用という点にくわえ、二点に共通する別のモティーフを恣意的ではあれ、近世のある<例外>につなげたかったまでだった。すなわち、マネの作品では舞台がバルコニーに設定されることで、画面の手前にのびてくる空間のひろがりが効果としてとりこまれるわけだが、ドラクロワの場合でも、中庭の二階の欄干をこえて身をのりだす人物たちが、空間を拡張し活気づけるべく配されている。こうしたバルコニーの傍観者というモティーフを白の大規模な使用と結びつけた画家に、他ならず十六世紀ヴェネツィア派の代表格の一人ヴェロネーゼがいる(fig.3)。

 

 彼の作品では、バルコニーにかぎらず、背景に白い建築物がしばしば配される。これはローザンドによれば、たとえば同時期に活動したティントレットが、奥行きを急激に後退させた空間を明暗法的な語調によってまとめたのに対し(fig.4:ただしこの作品では、全体の暗さに対し、背景の建築を明るく描くことで光を帯びさせているのだが)、ヴェロネーゼの場合、前景の人物も背景の建築も画面と平行におかれるため空間は安定を保証されており、その範囲内で背景を白にすることによって、前景の人物群の衣装に多様な色彩を与えることができたのだという(註1)。その際、ローザンドが「前景と後景の断絶」とのべている点に留意しよう(註2)。 また、バルコニーから前景でくりひろげられる情景を傍観する人物というモティーフは、十四世紀のアンプロージオ・ロレンツェッティの『善政の効果』などにも見られ、ヤーコポ・ベッリーニやカルパッチオなどヴェネツィア派の画面で好んでとりあげられてきたものだ。傍観者のモティーフが数世紀の後ギュスターヴ・モローによって汎神論的終末論的な主題のもと展開されるとは余談だが、これを逸話的な興味なり、祝宴や劇場空間との関連によって説明するのはいいとして、逸話的な関心を画面にとりこむ余地があるということをもって、一点もゆるがせにできない集中的なものとして画面を構成するのとは別の態度、余剰や亀裂をはらんだ画面を許容する態度をそこに読みこむとすると、いささか牽強附会の感を免れないだろうか。

 

 けだしバルコニーというモティーフ自体、画面全体の空間の中に、相対的に独立した別の空間をもちこむことになる。複数の空間の混在のゆえもあってか、歴史画を頂点とするジャンルのヒエラルキアの中で下位におかれることになる建築画について考えるのは別の機会をまつとして、ただ、別の<例外>、すなわち、明度の高い色によって教会内部を描いたサーンレダムをここで思いおこしておくことはできよう。とまれ、ヴェロネーゼにおける白いバルコニーの背景は、単なる前景の引きたて役にとどまらず、白ゆえの実体感の希薄さがかえって前景と緊張することで、画面を単なる世俗的な祝宴の描写におさまらぬものたらしめている。白との対比、白の反映によって色は、おのが内に陰をかかえこみ、ものの表面に付された固有色以上の厚みを宿すのだ。この点でヴェロネーゼの画面は、マニエリスムの典型と見なされるティントレットにおける、空間が滑り落ちるような不安定さとまったく無縁ともいえず、さらにその白の役割を、ティントレットの後景にしばしば登場する、燐光を発する幽霊のような人物(fig.5)、またモンス・デジデリオの廃墟図での、やはり白い彫像などとも比較することもできなくはない。

 

 さて、こうした白による空間の不安定化は、絵の中のみならず三次元の空間においても、マッキントッシュやホフマンを経て、ダニ・カラヴァンの構築物によって活用されている(fig.6)。カラヴァンが好んで用いる白コンクリートは、光を反射することで、構築物のパーツを実体として強調するというより、それらの周囲や内側にひろがる空間自体に一種の浮揚力のようなものを授け、空気や気候のさまざまな変化を受けいれることを許すのだ。またカラヴァンは、三重県立美術館のためのインスタレーションの一つである『斜線』(表紙図版)に見られるように、しばしば通路、回廊をモティーフに選ぶ。先のティントレットの作品、あるいはレオン・スピリアールトの画面(fig.7)でもうかがえるように、経路としての空間は、それ自身が目的ではないがゆえに、不在の目的に向かう動勢をはらむことができる。そして不在の目的は不在であることをもって、目的がある固定された地点ではなく、さまざまな場所でありうること、さらに、経路もまた、今実現されているものが唯一なのではなく、たまたま選びとられた一つにすぎず、それ以外のさまざまな可能性がありうることを物語るだろう。

 

(いしざきかつもと・学芸員)

fig.1 ドラクロワ

fig.1 ドラクロワ

『モロッコにおけるユダヤ人』

 

1839年

 

 

fig.2 マネ

fig.2 マネ

『バルコニー』

 

1868-69

 

 

fig.3 ヴェロネーゼ

fig.3 ヴェロネーゼ

『アレクサンドロスの前に出たダリウスの家族』

 

1565-67

 

 

fig.4 ティントレット

fig.4 ティントレット

『聖マルコの骸の移送』

 

1562-66

 

 

註1

David Rosand,“Theater and structure in the art of Paoio Veronese', Painting in Cinquecento Venice:Titian, Veronese,Tintoretto, New Haven−bmdon,1982,pp.148−149.

 

 

註2

id.,p.147.また、加藤明子、「パオロ・ヴェロネーゼ絵画における劇場的特質」、『美学』、no.169、1992秋、pp.27−30。

 

 

fig.5

fig.5

(fig.4 同部分)

 

 

fig.6 カラヴァン

fig.6 カラヴァン

『大都市軸』

 

1980-

 

 

fig.7 スピリアールト

fig.7 スピリアールト

『突堤の女』

 

1908

 

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