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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.61-70) > プチ・ポン拾遺──メリヨンとマティス──

研究ノート

プチ・ポン拾遺──メリヨンとマティス──

石崎勝基

そして救われし者の魂がかの橋を渡る時、橋の幅は一里もあるかのようだ

Menok i Khrat, I.79

 

 

 『コレクション万華鏡』展図録(1998)のために当館蔵のメリヨンの作品4点について解説を書いた後も、メリヨンがとりあげたモティーフで(fig.1)同時期に撮影された写真(fig.2)等を豊富に掲載した図録(1)が手もとに届いたり、4点中3点に関し、現場付近で現状をスナップに撮る機会があったりした(fig.3)、そんな中、たまたま京都市美術館で開かれた『京都の100年・パリの100年』展(1998-99)を訪れてみれば、パリのノートル=ダム教会をモティーフにしたマルケの油彩に出くわした(fig.4)。位置からして、右側の橋はプチ・ボンということになるが、さらにこの画面、どこかで見たようなと思いだしたのが、よく似た構図をマティスが何点も描いていることだった。

 

実際マルケは、1895年から1908年までマティスが借りていた、サン=ミシェル河岸19番地5階のアパルトマンをひき継ぎ、そこから先の絵を描いた。ちなみに石井柏亭も、ノートル=ダムから街一つ分離れた位置をとって、それゆえ手前にサン=ミシェル橋を置く形で、相似た構図の風景を描いている(fig.5)。

 

 ともあれマティス自身、1900年頃から数年間──フォーヴィスム成立の前夜となる──、アトリエの窓からノートル=ダムを眺めた景観を幾度かとりあげており(fig.6)、同じ角度で撮影された写真も残されている(fig.7)。その際、窓から見てノートル=ダムとは反対側、サン=ミシェル橋の方をとらえた構図も、平行して制作された。あるパステルでは、アトリエの窓からではなく、またプチ・ボンが描かれているわけでもないが、メリヨン同様川辺からノートル=ダムをとらえている(fig.8)。くわえて1913年から14年にかけて、同じ建物の一階下に部屋を再び借りた時も、二度にわたって同じモティーフを描くことになる(fig.9-10)。

 

 とはいえ、本人によるものかどうかはさておき、タイトルからしてマティスの画面ではプチ・ポンは要素の一つでしかなく、色の有る無し、銅版画と油彩、川辺からの仰角と窓からの俯瞰といったちがいにくわえて、そもそもマティスらの描いたプチ・ポン自体、オスマンによるパリ改造の際に改築されたもので、メリヨンの描いたそれと物として同じではない。セーヌ川沿い、ノートル=ダムの斜め前にあったオテル=デューは移築され、教会の前は川岸まで広場となった。さらに作者たちも、いささか通俗的なレッテルを用いるなら、かたや狂気の内に窮死した呪われた版画家、かたや中産階級白人男性の家父長制・植民地主義イデオロギーにあぐらをかいた快楽主義/形式主義者と、ちがいばかりが目につきそうだ。

 

 その上であえて比較を試みるなら、仰角に見上げる視点および光と影の錯綜ゆえ、強迫感すらともなって現前するメリヨンの裏街と、高い位置から見おろすことで距たりを保ちつつ、ノートル=ダムも窓枠と等価な、画面を構成するための一要素に還元したマティスの姿勢との対照の内に、中世以来混沌のままに増殖していったパリが、オスマンによる改造を経て近代化されていく、その前後二様の都市の徴候を読みとるというのが、穏当なところだろうか。たとえばクレーリーによれば、メリヨンの銅版に対する交差ハッチングの「神経質なまでの彫り込みは、連続的に生産される複製工業製品を前にした職人的手作業の衰退の証拠となっているのだ」という。(2)

 

 ただ、こじつけにしかならないことを承知するかぎりで、両者から共通項を引きだせないわけでもない。マティスは『画家のノート』(1908)の中で、「私にとって、表現とは顔に溢れる情熱とか、激しい動きによって現される情熱などのなかにあるのではない。それは私のタブローの配置の仕方全体の内にある――人体が占めている場所、それらを取りまく余白の空間、釣合いなど、そこでは一切が役割をもっている」と語った。(3)ここに、後の抽象表現主義につながる、あるいは抽象表現主義を経由することで後づけしうるようになった、いわゆるオールオーヴァな空間の意識を読みこみ、たとえばイヴ=アラン・ボワは、1906年から17年にかけてのマティスの画面から、〈循環―緊張―膨張〉という\特性をひきだすことになる。(4)他方メリヨンは『プチ・ポン』について、「私の版画につきものの悪習の一つ・・・(中略)・・・それは他のどれよりもこの作品に見てとれるのだが、あらゆるプランに対してあまりにも均一に制作してしまうという点である」と記している。(5)

 

 このメリヨンのことばは、フィリップ・ビュルティが『プチ・ポン』の画面においては、ノートル=ダムの塔が現場で見るより高く描かれているところから、川辺から見た視点と土手に登って見た視点とが合成されていると指摘したことに対するもので、ビュルティはこの操作を積極的なものとして評価しているのだが、メリヨンはなぜか、自分の欠点を皮肉ったものと受けとったらしい。とまれ、「あらゆるプランに対してあまりにも均一に制作してしまう executer trop uniformement a tous les plans」というくだりの意味は、いささか判然としない。とりあえずは、本来別々の視点からとらえられた視野を、一つの画面内で区別なく処理することと、解せるだろうか。

 

 附会はここからはじまる。制作の手順のある段階について述べられた事態が、その結果である画面に、同様の形容を当てはめうる形で現われるとは、必ずしもいえるものではあるまい。しかし次元のずれに目をつむってしまった時、画面自体が、「あらゆるプランがあまりにも均一に制作された」ものと見えてくるかどうか。もとより『プチ・ポン』が、ポロツクのある種の作品を記述するような意味で、オールオーヴァな構図をしめすはずもなく、それどころか、セーヌ川およびオテル=デューに沿って、大きく右奥へ後退する奥行きが強調されている。もっともこの点は、マティス、マルケ、石井の構図も同様で、それらにおいては、奥行きを暗示するセーヌ川の斜線と、画面の表面に即したノートル=ダムの垂直およびプチ・ポンの水平に近い線との関係によって、骨格が組みたてられていた。

 

 他方右奥への後退は、『プチ・ポン』において、画面右端近くまでひきのばされ、さらに画面とほぼ平行なプチ・ポンおよびノートル=ダムがくさびのように打ちこまれているため、向こう側に抜けてしまうことができぬままに封じられている。あたかも奥行きは、奥行きを封印するためにのみ、導入されたかのようだ。息抜きになってよいはずの空の部分も、薄い水平線の列によって押さえられ、そんな中黒々と聳えるノートル=ダムの塔は、超自我の象徴とでもいった案配である。リズミカルに小さくなって奥行きの位置を測定可能なものとするはずの窓の列は、しかし同時に、縦長の垂直性および、壁の白さとの対照によって、画面のその場その場に穴をうがち、つまるところ、奥行きと平面性との矛盾、あるいは黒と白との裂け目の内にこそ位置しているといえるだろうか。これを支えるのが、平行線のみによる鋭いハッチングである。そしてこの時、描かれた景観自体、ハッチングの黒と紙の白さとの融和しがたい緊張の内に浮かびあがったのだとすれば、そこに、「あらゆるプランに対してあまりにも均一な制作」を認めてよいかいなか。

 

 さて、マティスのアトリエの窓からの眺めに対するアプローチは、厚塗りのすばやい筆触をきかせたもの、逆光になった影を色によって表わそうとしたもの(fig・6)、大ぶりの点描によるもの、水彩風の軽快な処理をしめすもの(fig・9)など、あるいは窓枠をとりこんでいるかいなかとさまざまだが、ここでは、もっとも抽象化されたfig.10にのみふれよう。

 全面を青で塗りたくったこの作品は、メリヨンの『プチ・ポン』とは逆に、一見、いかなる奥行きも排除しようとしているかのごとくだ。しかし、もとはセーヌの川岸をしめしていた斜線は、そこに破調をもちこまずにいない。

 

 この破調は、窓枠であった右の垂直線を、下方で右にゆるくゆがませるとともに、外側は漆黒、内側は黒に掻き落としという、ノートル=ダムの奇妙な処理をもたらした。それらとのバランスをとるため、ノートル=ダムの右下は白地が残される。また青自体、とりわけ画面の下半では決して均一でなく、最初に引いた黒線をつぶすことに留意した結果か、多分に白地を透かせ、右から左下になだれ落ちるような相を呈している。とすれば、均一あるいは平面的なのは、青ではなく、むしろその下に透けて現前する白地なのだ。青の粗い塗りも黒い線も、白地と完全には一致することなく、その前後左右への微妙なふくらみを宿しているのであり、ノートル=ダムの奇妙な処理もそのかたわらの緑も、互いにずれつつ、このふくらみの内にこそ定位することになる。他の作例とちがい、ノートル=ダムの塔の上部で側面が斜め下に後退している点からして、教会が下から見上げる角度でとらえられているのも、空間の歪みに応じているのだろう。白地と他の諸要素との間に開くこの隙間に、メリヨンにおける紙の白とハッチングの黒との緊張を、二重映しで透かし見ることができはしないか。

 

 

 さらに曲解を重ねて、fig.10と同じ年に制作された『コリウールのフランス窓』(fig.11)を呼びだしてみよう。マティスは一~二年後の別の作品にふれて、「純粋な黒を、暗さを表わす色ではなく、光の色として用いる」と述べているが、(6)それをどうとらえるかはともかく、画面総体の還元性と相まって、かすかに欄干を透かす黒は、その広さと否定神学的な充満ゆえ、fig.10の白地と等価であり、かつそれを裏返したものといえるかもしれない。そしてメリヨンの『プチ・ポン』における、紙の自と等価であるがゆえに緊張もした黒々とした窓の連なりから一つをひきだした、その転生を『コリウールのフランス窓』に見るのは、やはり飛躍が過ぎるだろうか。

 

 もとより、複数のヴェクトルが交差する文脈を棚上げした形式の比較は、文脈を隠蔽、ひいては抑圧し、また形式自体をも歪曲しかねない。ただ、二人の画家がたまたま、オスマンの改造をはさんでプチ・ポンとノートル=ダムを題材にとりあげたという時、そこに、題材の次元にとどまらぬ交差が生じはしなかったかと、考えてみたまでだった。

 

(いしざきかつもと・学芸員)

 

石崎勝基 「マティスのノートル=ダムの塔の上─プチ・ポン拾遺の拾遺─」(研究ノート) ひるういんどno.70(2001.2)

作家別記事一覧:メリヨン

fig.1 シャルル・メリヨン「プチ・ポン」1850

fig.1 シャルル・メリヨン「プチ・ポン」1850

 

fig.2 アンリ・ル・セック「マルシェ・ヌフ河岸」1852

fig.2 アンリ・ル・セック「マルシェ・ヌフ河岸」1852

 

1・Charles Meryon. Paris um 1850. Zeichnungen・Radierungen・Photographien, Städelsches Kunstinstitut und Städtische Galerie, Frankfurt am Main, etc.,1976.

 

fig.3 プチ・ポン付近 1998年12月12日撮影

fig.3 プチ・ポン付近 1998年12月12日撮影

 

fig.4 アルベール・マルケ「雪のノートル=ダム」1912頃

fig.4 アルベール・マルケ「雪のノートル=ダム」1912頃

 

fig.5 石井柏亭「サン・ミッシェル橋」1923

fig.5 石井柏亭「サン・ミッシェル橋」1923

 

fig.6 アンリ・マティス「午後遅くのノートル=ダム」1902

fig.6 アンリ・マティス「午後遅くのノートル=ダム」1902

 

fig.7 サン=ミシェル河岸のマティスのアトリエの窓から見たノートル=ダム

fig.7 サン=ミシェル河岸のマティスのアトリエの窓から見たノートル=ダム

 

fig.8 マティス「ノートル=ダム・ド・パリ」1900

fig.8 マティス「ノートル=ダム・ド・パリ」1900

 

fig.9 マティス「ノートル=ダムの眺め」1914

fig.9 マティス「ノートル=ダムの眺め」1914

 

fig.10 マティス「ノートル=ダムの眺め」1914

fig.10 マティス「ノートル=ダムの眺め」1914

 

2・ジョナサン・クレーリー、『観察者の系譜 視覚空間の変容とモダニティ』、遠藤 知巳訳、十月社、1997、P.42。

 

3・『マティス 画家のノート』、二見史郎訳、みすず書房、1978、P.41。

 

4・Yves-Alain Bois, ‘L'aveuglement’, Catalogue de l' exposition Henri Matisse 1904-1917, Centre Georges Pompidou, 1993, pp.12-15, 26-27, 35-38, 45, 49-50.

 

5・Philippe Verdier, ‘Charles Meryon.Mes observations(1863), Gazette des Beaux-Arts, no.1379, 1983.12, p.225.

 

fig.11 マティス「コリウールのフランス窓」1914

fig.11 マティス「コリウールのフランス窓」1914

 

6・前掲『マティス 画家のノート』、P.139、註73(訳はD.Fourcade ed., Henri Matisse. Ecrits et propos sur l'art, Paris, 1972, p.117より。)

cf‥John Gage, Colour and Meaning, London, 1999, chapter 18 ‘Matisse's Black Light’.

 

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