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安田靫彦《役優婆塞》

1936(昭和11)年 紙本著色173.7×119.6cm 群馬県立近代美術館蔵

 左手に錫杖、右手に金剛杵をしっかりと握り、大画面の前景に雄々しく腰をおろしているのは、役行者といわれる役優婆塞小角(えんのうばそくおづぬ)。強い意志を感じさせる表情やたくましい姿態は、金峰山、大峯などを開いた修験道の祖にふさわしい表現であるといえよう。遠景に広がる険しい山々は役小角が乗り越えてきた修行の厳しさを象徴しているのか、無数に連なり、画面に限りない広がりを与えている。

 

 靫彦は、本作だけでなく≪孫子勒姫兵≫≪義経参着≫≪黄瀬川陣≫などを手がけており、先行作品にとらわれることのない独自の主題解釈、理知的な画面構成、そして美しく厳しい描線をもって新時代の歴史画を確立した。錫杖と金剛杵の直線は、連なる山々や役優婆塞自身に用いられた曲線の中で、画面を引き締める役割を果たしている。そして、この作品においても他の靫彦作品同様、正確な鉄線描と澄んだ彩色がもっとも大きな魅力のひとつとなっていることは疑う余地がない。速水御舟は、靫彦芸術について「安田さんの芸術の特色はあの馥郁たる匂いにあると思う。ああいう芳香を放つ芸術は、現代はもとより古人のうちにもきわめてまれであろう。」と述べたというが、古典を深く学び、その上で独自の画風を確立した靫彦の歴史画からは、確かに古典の秀作に似た芳香を感じる。

 

 鞍彦は、小林古径、前田青邨とともに日本美術院の三羽烏とよばれた日本画家であり、大観、春草らに続く院展第二世代として、この作品が描かれた頃には、すでに院展内部だけでなく日本の美術界の中でも大きな指導力を発揮していた。そして1936年、松田改組とよばれる帝展改組の問題で日本美術界が紛糾した際、靫彦は、松田改組を支持する立場を貫いていた。本作は、その第1回改組帝展の出品作である。靫彦が、役小角を「ひとつの理想の男性の形」と述べていることを考慮するならば、第1回展の出品作に役小角をとりあげることで、靫彦自身の強勒な意志を示そうとしていた、とみることも決して深読みにすぎるということはないだろう。

 

(佐藤美貴・学芸員)

 

年報/1930年代展

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