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館蔵品から

藤島武二「大王岬に打ち寄せる怒濤」

 1928(昭和3)年、昭和天皇の御学問所を飾る油絵の制作を岡田三郎助とともに委嘱された藤島は「旭日」を制作することを決意し、取材のため10年にわたる旅行をした。1930(昭和5)年、三重県鳥羽地方におもむき、そのとき本図のモチーフを得た。そして2年後の第13回帝国美術院美術展覧会心に本作品を出品、当時の題名は《大王岬に打ちつける激浪》となっていたが、のちに《大王岬に打ち寄せる怒濤》と改題された。

 

 この作品は、大王町波切の東端、太平洋に画した高台から写生しているが、どの位置から描いたかを捜してみたところ、そこは現在立ち入り禁止区域になる崖っぷちであった。現地の風景と照らし合わせてみると、両脇に見える崖、岩場など、作為的に位置や形を変更していることがよくわかる。

 

 眼前にある風景を作家が意図的に変更を加える行為は、作家が内亀するイメージを顕在化させるための必然的な作業である。この景観の場合、遠景から近景にかけて連続的にうつりかわる波の静と動を、全体の構成を考えながら如何に表現していけばよいかがひとつの要所となるであろうが、遠景と近景との位置関係を表す際、X字型の崖が線的遠近法のような説明約手法を拒否している。もちろん、遠近表現がこの作品にとって重要な要素でないが、ひとつの手投として藤島は右下がりに連なる大きな波、実在のものより遠方に配置した岩場、そして遠方にづづく水平に伸ばした波を経て、水平線上には帆船を浄かべており、結果的にこの景観の位置関係が明瞭となっている。こうした鋸歯状にモチーフを配置する画面構成の方法は≪室戸岬遠望≫をはじめとする藤島の風景画に多く見られ、ひとつの特徹になっている。

 

 伊藤廉「感想ー帝展を見て」(アトリエ9−11)によると、この作品が出来上がるまでに、なみなみならぬ経営があったらしい。大王岬を同じような構図で3点制作していることもその現れであろう。構図の変更など、この作品の表面には試行錯誤の痕跡がほとんどみられないが、画布が凹凸していることから、作家が強い筆庄で必要以上に絵具を何層にも塗り重ねたことがわかる。「迷いぬくがよいと思う。絶壁に直面し、直面してそれを打破るものが初めてそこに光輝ある宝庫を発見することになろう」(岩佐新「藤島武二先生語録」生活美術3−6)と、後進に説いた藤島は、「自然を直訳した」写実ではなく、「自然をよく観照し、咀嚼し、翫味」した「本当の写実の効果」(同上)を求めて徹底的に試行錯誤していたその苦労が作品から伝わってくる。

 

(田中善明・学芸員)

 

作家別記事一覧:藤島武二

藤島武二「大王岬に打ち寄せる怒濤」1930年 油彩・カンヴァス

藤島武二「大王岬に打ち寄せる怒濤」1930年 油彩・カンヴァス

71.3x98.2cm

 

 

大王崎

大王崎

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