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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.51-60) > アントニオ・フォンタネージ「沼の落日」

館蔵品から

アントニオ・フォンタネージ「沼の落日」

 左側の大きな1本の樹木があり、そのまわりに樹木が広がっている。右手には沼があり、画面中央から右のほうの岸辺には1槽の小舟と2人の人物が描かれている。空は茜色になり、夕日を浴びて水辺はきらきらと輝き、人も舟も樹木も今まさに暮れようとする微妙な光線を受けている。日没時の情景が詩情豊かに表現されている。夕日のかすかな光の微妙な表現は、19世紀イタリア風景画家を代表するフォンタネージの独断場としかいいようがないほど見事である。

 

 フォンタネージは、1876年(明治9)わが国最初の美術学校である工部美術学校の開設とともに、画学教師として政府から招聘されて紆2年間教鞭をとっている。浅井忠、小山正太郎、松岡寿、山本芳翠、五姓田義松ら、明治期に活躍する洋画家たちが学んでいる。

 

 フォンタネージがどんな指導を展開したかについて『画家フォンタネージ』(井関正昭、中央公論美術出版、1984年)に藤雅三が筆記したものを川路新吉郎が更に写した原文等が記載され詳しい。カリキュラムは「臨画(フォンタネージ自身のデッサンの模写)、石膏半身写生、石膏立像写生、手足の細部写生、油絵人形写生、コンテによる人体写生、鉛筆風景写生、風景写生」の順で、その前に、基礎科目として幾何学、解剖学、遠近法などを学ばなければならなかった。ヨーロッパのアカデミックな教育では既に定着していた方式で、彼がいかに基本を大切にしていたかがうかがわれる。逆に当時の日本の美術教育では全く最初の最も的確なカリキュラムであったといえよう。

 

 この「沼の落日」は明治9年から11年の間の日本での制作であるといわれている。さりげない近景、かすむような遠景を伴い、中景に主題をとっている。フォンタネージは描く対象の配置、大きさ、そして光線がそれらにどのように当たるのかについては厳格であり、ロマン主義の自然観に裏づけられた写実主義に徹していたのである。何が描かれているのか判別つかない叙情的な作品に見えるが、徐々にフォンタネージの表現に腐心している姿と、明治期の洋画家たちに大きな影響を与えたことも、この作品を通じて見えてくるのである。

 

(森本孝・普及課長)

 

作家別記事一覧:フォンタネージ

アントニオ・フォンタネージ「沼の落日」

アントニオ・フォンタネージ

「沼の落日」

 

1876-78年頃

 

油彩・キャンバス

 

39.5x61.0cm

 

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