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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.51-60) > 表紙解説 伊藤利彦「箱の中の空」

伊藤利彦「箱の中の空」

1991年 木、ラッカー、ひも、コラージュ 119.7×140.7×4.5センチ

 伊藤利彦の個展で部屋中が圧倒的に白い印象でおどらかされたときがあって、それまでの歩みからこんな風になるとはまったく想像できずに意表をつかれたせいだったとしても、それよりもなにか自分がつくった作品のような錯覚がたしかにそのときあった。それからなんどか同工の作品たちをみているうちにふと「海をまだ見ぬ少年の夢」という、どこかでよんだ歌仙の一句が浮かんで、それからは伊藤さんの飛行機をみればかならずこのことばを思いだす。。

 

 もっとも伊藤さんのばあい、この少年の夢は海ではなくて空にむけられているが、仰ぎみるようなその視線の方向とはるかなる未知への距離への想像において変わるところはない。すなわちかつて少年だったぼくらすべてがみた夢ということになる。

 

 「軽さ」。伊藤さんのそれまでの作品にはみられなかったこころの弾みがここにはあった。「明るさ」がといいかえてもよい。それをぜんたいが白一色だからというのははなしが逆なので、あるとおもっていたものがじつはないことがわかって、視界が急にひらけた思いがまづあってのこの軽さと明るさなのにきまっている。

 

 あ、模型飛行機の設計図みたいだなと、この『箱の中の空』をみてつぶやくならば、たとえば「スカイラーク」という単語がよみがえってくることにもなる。いちばんポピュラーだった模型飛行機の名前だ。おなじように熱中しても、姿はきれいで誰よりよく飛ぶつくりかたを知って」いる少年がいて、どうやっても勝てない。伊藤さんはそういう工作少年のタイプだ。たかく遠くへ模型を飛ばす少年の夢。その手の先から空へのびていった夢がながい周航のあと、またふたたびいま伊藤さんの手にもどってきている。すなわち、ひらけば中から少年の夢、とじればその「箱」のそとに無明の現在。

 

(東俊郎・学芸員)

 

年報/伊藤利彦展

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