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館蔵品から

浜田知明「首」

 1931年(昭和6)9月の満州事変以後、太平洋戦争終結(1945年)までの15年間にわたる戦争は、中国や朝鮮半島、東南アジアの人々にはかり知れない被害を与えると同時に、戦争に巻き込まれた数多くの日本人にも様々な影響を及ぼした。

 

 この日本人の複雑な戦争体験は、戦後日本の社会や文化を考える際に無視することができない重要な要素であろう。画家や彫刻家たちの戦争体験から生み出された作品も、戦後の日本美術の中である一定の位置を占めて、作家と戦争との関わり、美術作品の思想性・社会性といった様々な問題を投げかけている。

 

 たとえば、香月泰男のシベリアシリーズは、彼のシベリア抑留体験から生まれた作品としてよく知られているが、他にも横山操、佐藤忠良、向井良吉、宮崎進らの作品のいくつかは、それぞれの戦争体験と密接に結びついて制作されている。

 

 こうした作品には、戦争犠牲者への深い哀悼、過酷な運命に打ち勝った人間の生きるカへの驚異、あるいは愚かな戦争、軍隊、国家に対する痛烈な批判といったメッセージを見ることができるが、いずれにしてもこれらの作品を前に立った私たちは人間や社会の本質ついての非常に重い問題を考えないわけにはいかない。

 

 熊本出身の版画家浜田知明の「初年兵哀歌」シリーズに代表される銅版画も、浜田自身の戦争体験から生み出された作品で、かつて土方定一は浜田の一連の版画作品を文学における大岡昇平の『俘虜記』と対比して高く評価した。

 

 1917年(大正6)熊本に生まれた浜田知明は、東京美術学校卒業後に召集され、1939年(昭和14)12月からの3年8か月と、1944年(昭和19)7月から終戦までの一年間を軍隊で生活した。

 

 過酷な軍隊生活は、浜田に自殺までも考えさせたというが、「戦争の残酷さや悲惨さ、軍隊の野蛮さ愚劣さを描き残したいという気持ちが、初年兵の私に自殺を思いとどまらせた」という。

 

 戦後、上京した浜田は駒井哲郎や関野準一郎から銅版画の手ほどきを受け、銅版画の金属的な線描と深みのある明暗の効果を活かして、戦争体験を絵画化した「芋虫の兵隊」(1950年)を皮切りに数多くの戦争をテーマとした作品を発表することになる。

 

 十字架のような木にかけられたこの首の絵は、戦争を直接連想させるものではないが、暗い背景から浮かび上がった不気味な表情は、戦争という極限状態が発する理不尽で巨大な力から逃れることができない人間存在の哀しさを暗示している。

 

(毛利伊知郎・学芸課長)

 

作家別記事一覧:浜田知明

浜田知明「首」

浜田知明「首」

1951年

 

エッチング、アクアチント・アルシュ紙

 

15.3x14.8cm

 

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