下に開いた屋根状の板が、徐々に背を高くしながら連なり、一番高くなったところで折れ曲がって、今度は低くなっていく。両端は板ではなく、骨組みだけだ。地面には砕いた石が敷きつめられている──百足のようにからだが節状になった生きものがゆっくり動いていく、そんな波の連なりを思わせる動きが、まずは感じられるだろう。同時に、板が鉄の堅さを伝えるとすれば、その場に腰をすえてしまうというよりはいつなりと移動可能な遊牧民のテントといったものであれ、何らかの建築物を連想させるかもしれないし、表面を覆う赤錆からは、これは理にはあわないが、テントの廃墟を思うこともあろう。 建築を連想させるというのは、各板の幅に比べ、その表面にそって視線を引きあげるかのような丈の高さと、板の内側が空洞になっており、中に何かを容れることができるという点による。そして建築においては外面以上に内部が問題となるように、ここでも、内側の空間こそが外面を決定する鍵なのだ。すなわち、内側がからっぽであるからこそ、生きもののような生動感と、鉄という素材の硬質さが、緊張をはらみつつ、互いを殺すことなく一つの姿を帯びることができたのである(足もとの砂利は動きを封じてしまう点で、疑問なしとしない)。 一九七〇年代から八○年代にかけての保田の作品は、立方体や直方体など、きわめて厳格かつ寡黙な形態を基本にしており、それが素材の硬質さによっていっそう強められていた。ところが、たとえば当館蔵の『都市A・B』を見ると、立方体の上面からその表面を剥いだかのような格子がのせられ、しかも斜めの向きが導入されている。これはあきらかに、立方体のもつ自足して集中的な性格に矛盾するものだ。他の作品では、内部がくりぬかれた状態のものもある。 こうした特徴が、作品を都市や建築物の隠喩として読みとらせるわけだが、同時に、方形の静謐な存在感を基本としながら、そこにかすかな亀裂をさしはさむことで、活性化の可能性を宿らせることが狙われていたのではないだろうか。そして『聚落を囲う壁Ⅲ』のような九○年代の作品にいたって、部分的だった亀裂が作品全体に拡張され、テントが、壁が、山が動きだすような動勢が得られたのである。 (石崎勝基・学芸員) |
保田春彦 「聚落を囲う壁Ⅲ」 1994-95年 鉄 185x217.6x331cm保田春彦 「都市A・B」 1985年 鉄 48.3x172.9x76.5cm |