自分の部屋にこもって思索のなかに身を沈ませる。外の世界に対してまるで母親の胎内にいるかのように守られた安息を感じる場所。室内。現代人には至極あたりまえのようなこの感覚は、近代自我の一面として19世紀末を象徴する新しい意識であった。文学でいえばプルーストやカフカの意識である。 確かに、自分の本来いるべき場所、室内を描くことはこの時期本当に多くなった。描かれた室内は、もはや単なる3次元的な部屋ではない。そこに住む人の精神を反映する、身体を越えた空間として表されたのである。たとえアンチミテのなかに描かれようとも、世紀末の不安な精神を確実に揺らめかせていた。 窓辺に坐り外を眺める人物は、ムンクの友人、デンマークの詩人エマヌエル・ゴールドスタインをモデルとしている。室内は、パリの郊外サン・クルーにあるアパルトマンで、ムンクとエマヌエルは同じ建物に住んでいたのだった。しかし、実際にはムンクの心理的な自画像とも言われている。この版画作品のもととなった油彩が制作された前年、彼は父親を亡くしていた。突然の訃報で葬式にすら参列できなかったムンクであった。亡き父を想い、もはや一緒に窓辺から外を眺められないことを悔やみながらこんな言葉を残してい る。 「……窓外の月に照らされた景色を、一緒に眺めることができたでしょう。もう一方の側のすべての明かりを、路上のガス灯を-線と赤のランタンや黄色のランタンをつけた蒸気船全部を。そしてそこで不思議な薄暗い部屋の中-月が床の上に投げかける四角形の輝く青白い光」(ムンク版画名作展カタログくフジカワ画廊、1986年〉から一部引用)。 版画ではぼんやりとしているが、油彩作品にはこの言葉どおりの光景が窓の外にはっきりと描かれている。父親の死を独りで哀しむムンク。そのシルエットは室内の暗闇に溶け込み、室内空間そのものが彼の哀しみを表現する。そして、観者もまた、中景に位置する人物のシルエットからというより、室内空間の表現から彼のこころの状態を感じとるのである。ランプの明かりも慰める力を持たない。ただ青白い月の光だけが哀しみに共感するかのように彼のこころに入ってくる。まるで、真っ暗な室内を照らすように。 このポートフォリオは、1895年にムンクの初めての銅版画集として発刊されている。 (桑名麻理・学芸員) |
エドヴァルト・ムンク マイアー=グレーフェ・ポートフォリオから「月光」 1895年エッチング・紙 31.0x25.5cm
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