このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

ひる・とおく

 「オンフルールヘ行ったら、サン・シメオンというホテルに泊るといいですよ」と2、3の人からきかされていた。同行のM氏はもちろんぬかりなく予約をいれていた。そこへ着いたのは、11月23日(’93年)の夕刻、パリのサン・ラザール駅から特急列車に乗りセーヌ河に沿ってくだり、河口にある大きな港湾都市ル・アーヴルへ。タクシーを乗りついでの3時間強の短い旅であった。前日の朝、パリにも珍しく降雪があり、車窓からみえた農場、牧場もところどころに残雪があったが、オンフルールは曇り空ながらも寒くはない。

 

 この宿(Ferme Saint Simeon)は街はずれの丘の上にあってその名のとおり農園ふうの地に建つ落着いた小ホテルであったが、入口の看板には、「オステルリー・サン・シメオン 印象派揺藍の地」とあり、そして1825年から65年まで多くの画家たちがこの宿にやってきて、海浜の状景や素晴しい風光を描いた、ということが記されている。さらにモネ、ブーダン、ヨンキント、バジール、ドービニー、シスレー、カルスなど画家の名があげられている。 目のまえにはドーバー海峡が広がり、初冬の浜辺には人影はまったくみられない。シーズン・オフのリゾート地は佗しいものだが、ここにはどこか暖かさが感じられた。

 

 翌日、ぼくらは街なかの坂道の中途にあるブーダン美術館を訪ねた。この小さな美術館の前庭ふうの小広場は、エリック・サティ・プラザと名づけられていた。エリック・サティもブーダンと同様、このオンフルールの出身だという。館長のベルジェル女史と面談する。話題は、ブーダンとその周辺について。

 

 日本の近代洋画史のなかでよく知られている「外光派」というのは、ここオンフルールで生れたものだったのだ。ボードレールもモネもここでブーダンの仕事ぶりをみて新しい絵画の誕生を予感したのだった。 

 

(陰里鐵郎・館長)

ページのトップへ戻る