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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.41-50) > ひる・ういんど 第45号 アルマン・セガン「ポン=タヴァンのブルターニュの女」

アルマン・セガン「ポン=タヴァンのブルターニュの女」

1896年 彩色木版 16.2x11.3㎝

 ゴーギャンやエミール・ベルナールに限らず、19世紀の末にポン=タヴァンに集まった数多くの画家が、白い頭巾に黒いドレスという、ブルターニュ地方特有の民族衣裳を身に着けた女性たちの姿を描いている。

 

 絵の中で、女性たちは牧歌的風景にとけ込み、その不可分の一部と化している。強調されているのはシンボリックな白と黒に統一された古風な衣裳の均一性で、一人一人の個性はむしろ意図的に排除され、彼女たちの存在は、無名であるがゆえに幸福であるといいたげでさえある。それは、ボン=タヴァンに集まった画家たちが郷愁と羨望を交えて描いた、あくまで幻想にすぎぬ単純素朴な生の化身としての姿であり、現実の彼女たちの生とは無縁であるといっても過言ではないだろう。

 

 アルマン・セガンのこの木版画は、同じく民族衣装を身に着けた女性をモティーフとしながら、そのニュアンスはかなり違ってきている。第1にセガンは、肝心の白と黒をあえて拒否し、原色に近い色彩でこの若い女性を彩っている。また、その姿は穏やかな背景から抜け出し、画面の大半を占め、木版で力強く刻まれている。そのせいかどうか、ここでは無名性が薄れ、と同時に素朴な健やかさの背後に、世紀末芸術を賑わした<宿命の女 ファム・ファタル>の属性が現れてきているように思われる。

 

 セガンは、かつてゴーギャンに才能を高く評価されたが、画家として大成することなく、貧困と放浪のうちに生涯を終えた。世紀末を生きたこの典型的な近代人のなかでは、健康で無垢な生の化身と、男たちを引き付けると同時に脅かす宿命の女とが、あたかも反転する図と地のように、交互にイデアルなイメージを描いていたのだろうか。

 

(土田真紀・学芸員)

 

ゴーギャンとボン=タヴァン派展より

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