1984年 アルミニウム 81.5x200x260㎝ 1984年 アルミニウム 208x105.2x192.7㎝
これらの作品の核をなしているのは、アルミニウムでできた正方形の板である。それが床なり壁と平行に、少し浮かせてすえられる。この時、正方形という何ら方向づけを有さぬ形ゆえ、板は、床や壁から独立した実体ではなく、むしろ床や壁のひろがりの中から、その一部を任意に切りだした断面として現われることになるだろう。そのためこれらの作品は、表皮と内部の芯との関係において成立する量塊としての彫刻ではなく、二次元の平面を核としなければならなかった。
他方二次元は、あくまで三次元の空間の中に存在している。それをしめすのが、板に接していくつかの方向にのびていく、ブロックをつないだパイプ状の部分である。各ブロックは立方体で、屈曲部も幾何学的な扇を描く。その意味で、形としては板同様、何のニュアンスも与えられていない。 だからこそこれらも、独立した実体として閉じることなく、空間の経路として機能するのだ。 このパイプは、あくまで正方形の板に隣接しており、そこから遠く離れることがない。宙に浮いた部分も、床か壁にそい、あるいはもどっていく。外につきだそうとするところでは、途中で切断されたように見える。すなわちこれらは、板を床や壁から浮かすことで感知される状態になった空間がもともと宿しているはずの、さまざまな方向への展開可能性を、仮に可視化したものなのである。パイプが立方体のブロックをつないでできている点は、それが無限に延長可能であることを暗示している。 これらの作品は、床や壁という二次元の面のありかたを可視化するため、その一部を三次元にひきだして成立したわけだが、逆にいえば、床や壁という二次元の面に焦点をあてることで、それらが、三次元の空間に囲繞されていることをあらわにしたともいえよう。からっぽで、目に見えぬがゆえにとらえどころのない空間を、仮に板で遮ってみれば、視線は、板の表面にそって滑走し、ひろがりを感じとることができる。そのため作品は、自身が実体として現前するのではなく、あくまで可能態のうちに仮現している。 (石崎勝基・学芸員) |