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「清水九兵衞展」の展示プラン

土田真紀

 

 清水九兵衞氏が今回の展覧会場となるべき美術館を訪れたのは、本展の最初の打ち合せのため、館長と担当学芸員二人が京都五条坂の清水氏の自宅を訪れて数週間後のことであった。打ち合せのなかで、出品作品の選定そのものを、会場構成と合わせて清水氏に一任することが決まったからである。これまで三重県立美術館で開催した現代彫刻展は、インスタレーションの近作を中心にした「井上武吉展」を除けば、作家と学芸員との話し合いの中で、まず出品作品を選定し、その上で会場構成のプランを作成、現場でさらに調整するというプロセスを大体とってきた。しかし、今回は最初からすべてを清水氏のプランに従って決定することにしたのである。会場を見た清水氏からさらに数週間後に送られてきたのは、厳密に作品の配置を記した青焼きであった。この後、物理的な事情から出品予定作品が中止になったり、小品の選定がぎりぎりまで行われたり、また現場で幾つかの作品の位置が変更になったりしたが、最終的に、当初のプランを基本的に守った展示が行われたのである。下ページは、小品とドローイングを除いた最終的な展示プランである。

 

 周知のように、清水は彫刻と周囲の空間との関係に格別の関心を払ってきた彫刻家である。「一定の場所を指定された方が、むしろつくりやすい」とあるところで語っているように、野外展に出品された清水の作品などには、周囲の空間とこれ以上ないほど密な関係を示しているものがある。しかし他方で清水は次のようにも語っている。 

 

 作品を展示場所によって規定してしまうと、全然融通性がなくなりますから、この場所といって指定されない限り、そこまではやりません。作品をつくるとき、その空間のなかで生かすとともに、ほかでもまた連なりをもたせていくという考えで着手します。ここでなければだめだということはないのです。

 

 清水の作品は、屋外設置の野外彫刻と、画廊での個展を通じて発表された屋内の彫刻の2つに分かれるが、今回の展覧会は、1点を除いて、美術館のエントランスホール、および4つの企画展示室という屋内展示空間において構成され、出品作もすべて屋内用の作品に限られた。回顧展としての性格から、作品の年代は初期の1960年代の末から近作にまでわたっている。清水は各個展において、基本となるフォルムのコンセプトを展示空間の床や壁や角に対して展開させ、いくつかのヴァリエーションを呈示するという形をとってきているように思われるが、今回の展示空間は、同じコンセプトによるグループを基本としつつ、より広い展示空間のなかで、制作年代やコンセプトの異なる作品をも出会わせている。

 

 最初の展示室に比較的初期のものが集まっているのを除けば、制作年代は作品の配列とはほぼ無関係である。むしろ色彩の問題、および壁、床、角という空間の構成要素との組み合せが構成の鍵になっているようであった。アルミの地を生かした銀色と塗装による朱色という二つの色を使い分けている清水にとって、今回、最大に考慮されたのは色の問題であったと思われる。最初の2室がモノクロームの空間であるのに対し、第3室には朱の作品が集められ、最も展示面積の広い第4室では両者が混じっている。

 

 展示空間そのものを作家が手掛けるケースは、立体造形作家の場合、珍しいことではないだろう。しかしインスタレーションの作家ではない清水の場合、作品はいちおう単体で完結しており、事実、美術館などに収蔵されたほとんどの作品は、単体として展示されることになる。それだけに、様々な制約のもとではあるが、今回の展覧会には単に回顧展としでの意味を超えるものがあるのではないかと感じられた。とりわけ最初の部屋の一種独特の清謐さは忘れ難い印象を残した。

 

(つちだまき・学芸員)

 

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「清水九兵衞展」 第1室

第1室

 

「清水九兵衞展」 第2室

第2室

 

「清水九兵衞展」 第3室

第3室

 

「清水九兵衞展」 第4室

第4室

「清水九兵衞展」 図面
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