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学芸員と美術館教育

毛利伊知郎 

 

近年、美術館教育重視の声をしばしば耳にするようになり、欧米の美術館をモデルとして、いくつかの試みが日本各地の美術館で行われるようになった。最近の美術館教育重視の状況を見て、私たち学芸員に何ができるか、何をなすべきなのか戸惑いを感じるのは筆者だけであろうか。

 

 

 国内の美術館に勤務する学芸員で、美術館教育に関する教育を受けて学芸員となった者は、おそらく非常に少ないか、むしろ皆無に近いといって誤りはなかろう。三重県立美術館も例外ではない。しかし、美術館教育についてむしろ素人に近い私たちも、手をこまねいているわけには行かない。

 

 展覧会開催や研究活動、カタログ等への執筆という基本的な活動の中で、私たち学芸員はどのように美術館教育とかかわっていけばよいのだろうか。身近な例を引き、そこに含まれる意外に根本的な問題について記そう。

 

 三重県立美術館の常設展示室には、展示全体の説明を含む出品目録とは別に、主要な展示品数点の解説リーフレットが用意されている。このリーフレットは、展示作品の解説を望む声に答え、作品目録を補う意味で始められたものである(注1)。学芸・が各種刊行物等に執筆した原稿がそのまま用いられ、学芸員の個人的見解も含まれるため、執筆者のイニシャルが文末に記されている。館内の輪転機で簡易印刷されたもので、決して見栄えはよくないが、おおむね好評のようである。しかし、問題もある。

注1.三重県立美術館では、原則として展示室での作品解説等は、一部の例外を除いて行っていない。また、作品 横に解説文を記載したキャプションをつけることも行っていない

 その一つは、解説文の内容等に関わることである。上記のように、このリーフレットに用いる解説文は、書き下ろしではなく、過去に学芸員が広報誌等のために執筆した文章がそのまま使用されている。従って、平明な文章によるものもある反面、専門用語やいわゆる美術批評の文章に時として見受けられる難解な文体や言いまわしが含まれる場合も生じてくるのである。

 

 1枚のシートの中で平明な内容のものと難しい内容の解説とを組み合わせることによって、現段階ではこの間題をクリアーしているのだが、根本的な解決には至っていない。

 

 現状の解説文でも、おそらく高校生以上であれば、かなりの部分は理解されると思われるのだが、小学生や中学生に難しすぎることは明らかだ。

 

 この問題は、ジュニア用あるいはシニア用といったように、利用者の年齢に応じた内容のリーフレットを複数制作することで解決されるかもしれない。しかし、美術館教育の専門スタッフがおらず、学芸員に多くの業務が課せられてる現状を考慮すると、それはなかなか困難なことである。

 

 一方、執筆者である学芸員の側にこの間題を引き付けて考えてみると、小中学生にも理解される平明な文章を書くということに対して、多くの学芸員が熱意を示さないということがある。むしろ書くことができないといったほうが正確かもしれない。

 

 かといって、美術について深い識見を持ち、しかも低年齢層にも理解できる平明達意の文章を執筆できる美術館教育のスタッフが現れることを期待するのも今の状況では現実的でない。たとえ、美術館教育のスタッフと従来からの学芸員がたとえ分業化できても、三重県立美術館のように学芸員10名足らずという小規模な公立美術館で、本当の意味で実りある調和のとれた運営ができるのか筆者には疑問である。

 

 学芸員の多くはカタログ等への執筆に熱意は持っているのだが、これまでは、テキストの教育的意味を考慮して執筆することは非常に少なかったのではなかろうか。もちろん、研究論文あるいは評論としての独創性や完成度が求められる場合もあるだろう。しかし、美術館の刊行物に関する限り、これからは編集およびテキスト執筆にあたり教育的配慮が今以上に、常に念頭に置かれることが必要ではないだろうか(注2)

 

(もうりいちろう・学芸課長)

 

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注2.教育的配慮といっても、解釈等を押し付けることは常に避けねばならない。

 来館者が、美術館教育の観点から作成されたテキスト等の枠から自由になりうることが、ある意味で最も重要 なのかも知れない。

 

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