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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.31-40) > ひる・ういんど 第37号 曾我蕭白「許由巣父図」襖絵

館蔵品から

曾我蕭白(1730-81)「許由巣父図」襖絵

1767(明和4)年頃 襖四面 各171.5x86.0㎝ 紙本墨絵

 

SOGA Sho(-)haku // Xuyou Chaofu // Latter half of 18th century // Chinese ink on paper

 

 この襖絵は、裏面にある「松に孔雀図」とともに1992年度に当館の所蔵となった。許由(きょうゆう)巣父(そうほ)の逸話を主題とする画が描かれている。

 

 許由・巣父はともに中国古代の伝説上の帝王堯(ぎょう)の時代の高士。許由は、堯が自分に帝位を譲ろうというのを聞いて汚れた耳を頴川で洗って箕山に隠れ、巣父は、そのような汚れた川の水は飲ませられないと牽いてきた牛にその川の水を飲ませなかった、という。俗世に汚れることを忌み嫌う高潔の隠士の理想の姿として、この故事を扱った絵画は日本でも少くない。

 

 しかし蕭白の扱う人物像は、この故事を正統的に解釈しようとする立場からは生まれない異端の相を呈しているといえよう。高潔の士も、蕭白の手にかかると、ひどく野卑な田舎者にすり替えられてしまう。ともに粗衣を着せられ、容貌には下卑た笑いを浮かべる。

 

 一方、牛はといえば、巣父がいくら綱を引っ張って連れ帰ろうとしても足を踏ん張り、乾きを癒そうとする自分の欲求を頑として曲げようとしない。巣父の無欲を嘲笑するような俗欲、あるいは巣父の心の深層に潜むかもしれない俗欲を象徴する存在として、牛はかつてなかった役割が割り当てられているのである。つまり蕭白は、許由巣父という故事人物画の定番をモティーフとして採用しておきながら、その正統的価値にはアイロニカルな視線を投じているのである。

 

 そこには正統を揶揄し、逆転された価値から生じる滑稽を楽しもうとする、俳譜に似た知的な遊戯心が、動機のひとつとして認められる。

 

(山口泰弘・学芸員)

 

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曾我蕭白:館蔵作品一覧

曾我蕭白(1730-81)「許由巣父図」襖絵

(参考図版)

 

曾我蕭白 松に孔雀図 裏面

「松に孔雀図」(裏面)

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