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ブラッサイ「パリの落書」(1899−1984)

1930/40年 39.9×29.5cm

 

 フランスの文化は純粋な血統を価値とする文化の属地至上主義の日本とはまったくちがって、そのかたちはむしろ中国に似ている。どこに生まれようと、おおきな才能はこれをむげに拒まない。ただ最終的にみずからの体系のなかに溶かしこみ、その天才が中国なりフランスなりに、ひいてはその土地の霊になにかを加えることになれば許してくれる。かつてのフランスのゆたかさと活力はここから生まれたので、二十世紀、とりわけ両大戦間といわれている時代のパリは、こういった才能がヨーロッパの文化に光をくわえた最後の機会となった。

 

 ここに、当時はハンガリーそして現在はルーマニア領となっているブラッソーに生まれ、それにちなんでブラッサイと名乗ることになった、ひとりの写真家がいる。すでに完成して、あとはくづれるのを待つだけのひとつの共同体のそとがわからやってきたかれは、同一性の眼ではなく差異の眼でパリをみた。この差異の視線のなかで黄昏のパリはその最後の媚態を、いや光と影をおしげもなくさらけだしている。ワルター・ベンヤミンが昼のパリを夢遊したとすれば、ブラッサイのほうは夜の街角から街角をさまよう深夜の散歩者だったが、いったいパリのことでかれの関心をひかないことはひとつとしてなかった。もちろん新開にのるようなたぐいの写真ならざる写真をとることはない。瞬間よりももうすこしながく、永遠よりももうすこしみじかい。──ようするに日常の時間とそれがつくりだすさまざまな相こそが照らしだされるべきかれの神なのである。

 

(東俊郎・学芸員)

 

写真のエコール・ドパリ展より

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