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展示と解説──高田本山専修寺展にちなんで

毛利伊知郎

 

 高田本山専修寺展は、1983年から1990年にわたって行われた専修寺如来堂修理工事および周辺の整備工事などの完成を記念して、専修寺の歴史や伝来の美術を紹介することを目的に開催された。専修寺とゆかりの深い高僧親鸞や専修寺に関する展覧会は、過去にも開催されたことがあったが、このたびの展覧会には、専修寺伝来の貴重な歴史資料や美術工芸品が一堂に出品され、これまでにない充実した内容となった。本展では、当館での他の企画展と同様に、展覧会場には作品等の解説パネルは掲示せず、作品そのものが観覧者に訴えるカを重視する展示とした。

 

 宗教的な主題の難解な内容を持つ作品が多く展示されるこうした展覧会では、あるいは作品解説や解説パネル等を用意した方が、観覧者には親切ではなかったのではとも思われるが、一方では長い年月を越えて守り伝えられてきた歴史的遺産が観覧者に向けて発する無言の言葉を、学芸員の粗雑な解説文で妨害してはならないという思いも筆者には強くある。ここでは、私たち学芸員にとって古くて新しい問題である、展示と解説の関係について少し考えてみることにしたい。

 近年、各地に公立の美術館や博物館が多く設置され、学芸員の調査研究に基づく地域の寺院や神社などの歴史や文化財を主題とした展覧会が開催されることも珍しいことではなくなった。そうした企画展は美術館よりは歴史系博物館で開催される場合の方が多く、もし津市内に本格的な歴史系博物館があれば、本展が美術館で開催されることはなかったかもしれない。

 

 わが国の現状を見ていると、古代や中世・近世など歴史的に古い時代を扱う展覧会は、美術館で開催される場合よりも博物館で開催されることの方が多い。ごく大雑把にいえば、美術館は、幕末明治以降と西洋美術をテーマとする企画展、博物館では日本の江戸時代以前と東洋関係をテーマとする企画展という、ある種の分業があるようだ。

 

 美術館と博物館とが、企画展等においてどのように分業化を図るかは、一概に論じることができない複雑な問題である。例えば、ともに日本の近代美術を収集展示の対象としている東京国立博物館と東京国立近代美術館との関係のように、役割分担のために原則的な時代を事務的に設定しても、現実の活動がそ うした原則から外れることも、決して珍しいことではない。学芸員の関心、企画展の主題、切り口などによって、美術館と博物館との境界は単純には分けることができないだろう。

 

 ところで、現代のわが国の美術館と博物館とでは、会場構成や展示方法、解説パネル等のあり方に少なからぬ相違がある。特に新設の博物館では、教育的な配慮からか、解説パネルや解説用映像機器が展示室内で日常的に使用されているだけでなく、展示作品もオリジナル資料のみに限定されず、複製や模型が積極的に展示の中に取り込まれている。

 

 例えば、1983年に開館した国立歴史民俗博物館や1993年開館の江戸東京博物館は、新設博物館の典型であろう。こうした博物館を訪れれば、来館者を飽きさせない様々な工夫と技術、教育的配慮に驚かされる。その対極としては、展示作品がほとんど全てオリジナルで、最新式の解説機器などもほとんど備えられていない東京国立博物館をあげることができよう。

 

 現代の博物館・美術館の世界では、東京国立博物館の展示は、旧態依然だと 批判されることはあっても、賞賛されることは決してない。確かに、照明設備や展示室の雰囲気を初めとして改善の余地は大きいと筆者も思うが、上記の国立歴史民俗博物館や江戸東京博物館を見た後に、東京国立博物館を見て常に強く感じることは、展示されている作品が持つ存在感の大きさである。

 

 東京国立博物館では、作品解説等も決して多くはないが、良質のオリジナル作品が私たちに語りかける言葉は、どのような解説文にも替え難いと筆者には思われる。確かに、新設博物館の展示は親切かつ教育的、最新技術を駆使したした様々な工夫が凝らされていてサービス充分であるけれども、展示作品の比重が軽くなっていることは否定できないであろう。

 

 現代の最新技術は、オリジナルと寸分違わぬ複製の制作や臨場感に富む映像解説を可能にしている。筆者はそうした複製と映像、解説文の比重の大きい展示から、知的好奇心が刺激されることはあっても、長い時の流れを越えて現代に伝えられてきた歴史遺産や美術品が私たちに与えてくれる深い感動を得たことがない。

 

 もちろん、様々な解説と複製などを駆使した展示と美術館的なオリジナル作品のみによる展示とでは、目的も趣旨も異なるといってしまえばそれまでであるけれども、筆者が抱く上記のような感想は、私たちの美術館にとっても避けることができない問題の一つなのである。

 

 高田本山専修寺展のように、中世・近世につくられた、しかも仏教的な主題の作品が主体の展覧会では、解説文や解説パネルが展示室内にあっても、違和感を抱く人は非常に少ないか、あるいは皆無であろう。では、これが現代美術の展覧会だったらどうであろうか。理解の難易度、取っ付きにくさということでは、宗教美術も現代美術も相似たものだと思われるが、現代美術の企画展では、会場デザインの重視もあって、解説文やパネルが用意された展覧会はほとんどない。

 

 欧米の美術館に倣って、近年、わが国でも美術館教育の重要性が叫ばれ、企画展のジャンルを問わず、主に子どもたちを対象とした展覧会の手引やワークシート等が各地の美術館や博物館で制作されるようになってきた。そうした教育的準備がなされるのは結構なことなのだが、そうした言葉による情報が充実されればされるほど、オリジナル作品からの言葉に置き換えられない感動や非日常的体験の重要性を改めて考える必要があると思われる。

 

(もうりいちろう・学芸員)

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