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元永定正と日常的世界──絵画以外の活動

土田真紀

 

 伊賀上野の元永邸を訪れると、玄関でまず、どこかで見覚えのある元永特有のかたちに出くわす。ひょろりと浮かぶ雲のような背もたれと、むかでさながらの脚をもつ椅子がそこに佇っているのである。広々としたアトリエを中心としたこの住まいは、まばゆいような白を基調とし、大きくとった開口部からたっぷりと陽の光が射し込む。それ自体が、一点の曇りもなく明るさに満ちた元永的世界そのものなのであるが、そこにはさらに、元永のオブジェが幾つか何気なく置かれ、床にはタペストリーが広げられている。こうして我々は、絵画の中で親しんでいる元永の造形世界が、生活空間の中に空気のようにとけ込み、息づいているの目の当たりにすることができる。元永定正は、正真正銘の画家にちがいないが、その活動の場をキャンヴァスの内側のみに限っているのではないということ、このこともまた、彼について見過ごすことのできない一つの側面であるように思われる。

 

  元永は、絵画以外の造形ジャンルに早くから取り組んでいる。もちろん名高いのは、具体時代の様々な取り組みであるが、始まりはもう少し遡る。1953年に初めて芦屋市展に「黄色の裸婦」を出品した元永は、ホルベイン賞を受賞したが、その翌年には、絵画と並んでオブジェをも出品している。海岸を歩いていて見つけたというつぶれたざるやコルク、葦で作ったすだれなどの廃物をアレンジしたものであった。吉原治良の強力な指導のもと、珍しく抽象作品が主流を占めていた当時の芦屋市展に刺激を受けて、元永は、抽象絵画の制作を試みる一方で、ダダ的な要素をもつこうしたオブジェにも挑戦していたのである。自分でも自信がもてなかったというこれらの作品は、吉原の目に止まり、賞を受けた。さらに次の年には、吉原の誘いによって「真夏の太陽に挑む野外モダンアート実験展」に参加、やがて具体のメンバーとなるに至っている。この「実験展」に元永は、棒や板に釘を打ちつけた作品、丸い針金に色セロハンを貼った作品、ビニールに色水を入れて木の枝からぶら下げた作品を出品した。これらは、充分に具体の精神を体現したものとして、吉原の高い評価を受けた。この後、絵画制作と並行して、「水の作品」のヴァリエーション、色を塗った石に麦藁をつけたもの、さらには舞台上における煙の作品など、次々とオブジェやハプニングを発表している。いずれも、高い材料を買う費用など全くないような状況から生み出された苦肉の策ともいえるアイデアであったが、元永の手にかかると、不思議に魅力のある作品と化している。こうして、ダダ的でプリミティヴな味わいのある素朴なオブジェは、ユーモラスな性格を保ちながら、次第に規模が大きく、視覚的にも一層質の高いものへと展開させられていった。

 しかしながら、具体そのものの展開と軌を一にして、元永の活動は、1960年頃から、もっぱら絵画制作に絞られることになった。

 その元永が、再び絵画以外の分野を手掛けたのは、ニューヨーク滞在を経て帰国後の1970年、大阪万博お祭り広場でのイベントである。これは1950年代における具体の活動の延長上にあるもので、具体のメンバーが再び結集して大々的に行ったイベントであったが、元永にとっては、かえって具体とのつながりを絶つ一つのきっかけとなったようにも思われる。翌年10月、元永は、16年間所属した具体を脱退した。

 

 このことと関連するのかどうか、これ以後、元永の活動は、これまでなかった方向へ展開し始める。71年には映画制作、72年には陶芸展、73年には絵本刊行、75年にはカーペインティング、76年にはタピストリーと椅子というように、年を追って領域が広がっている。ただ、50年代と比較するとき、絵画に対してこれらの活動がもつ重みがはるかに減少しているのは明らかである。「余技」 とは言わないまでも、あくまでも絵画を核とする制作活動の延長上に位置するものにすぎないようにも思われる。しかしながら、よかれあしかれ形式上の制約を受ける絵画の枠内では展開しきれない幾つかの側面が、これらの領域において可能になり、元永の新たな面を引き出している点では決して無視できない意味をもっているのではなかろうか。

 

 たとえば絵本では、元永の造形世界に音と時間軸とが加わった楽しさを味わうことができる。『ころころころ』の原型は、最も早い時期の抽象作品にすでに見られるが、それがあたかも絵巻物のように展開すると同時に、文字を通して音も加わったのがこの絵本である。音にしろ時間性にしろ、新たに加わったというよりは、従来の絵画の中にすでに含まれていたものが、絵本の形式をとることによって自ずと前面に出てきたというべきであろう。また、起承転結をもつ、造形言語による一種の物語として、元永が目指していた「抽象漫画」という意味でも、格好の展開の場となっている。

 

 しかし、70年代以降の絵画以外の活動のなかで、最も興味深いのは椅子である。元永がデザインした椅子は、おおよそ2種類に分かれる。一つは、彼の絵画に登場するモティーフがそのまま立体化されたようなタイプ、もう一つは、椅子の単位が次第に縮小されながら連なっている、<椅子>という観念のパロディともいえるタイプである。前者には、椅子という形を借りて、元永の典型的なモティーフがそのまま現実世界に飛び出してきた面白さがある。後者の場合、発想が元永らしいのみでなく、完成した椅子のむかでのようなユーモラスな姿もまた元永らしい。1978年に国立国際美術館で開催された「イスのかたち」展にも出品されているが、他の出品作品と比較しても、従来の椅子デザインという観念から極めて自由で、元永固有の発想に基づいていることが窺われるその意味では、どんな形をとろうと、<座>の機能を意識せざるをえない家具としての椅子よりは、遊具に近い。現代美術とは無縁の人々にも何の抵抗もなく受け入れられる理由も、そのあたりにあるのかもしれない。

 

 具体時代のオブジェやハプニングにおいて、元永は、日常の事物や素材、空間を存分に生かしきっていた。それらが何の変哲もない、むしろみすぼらしいものであるからこそ、一層の愛情をそそぎつつ、どこかおかしみがあって、視覚的には圧倒的な力をもつ芸術作品へと見事に変換している。これに対して、70年代以降の椅子や絵本は、元永の絵画世界が、日常的世界にやすやすと入り込むことができることを示している。それらは決して日常を脅かすものではない。かといって日常に媚びを売っているのでもなく、日常の流れの中に一種の穏やかな渦を生み出すといえばいいだろうか。奇妙な、見知らぬものではあっても、不思議と人を後込みさせはしないのである。むしろ、ユーモラスな気分に引き込まれてついつい親しみを覚えてしまう。日常と芸術作品との距離が悲劇的なほど遠ざかってしまったように思われる現代において、日常とこうした幸福な関係を結んでいる芸術家は極めて稀なのではなかろうか。

 

(つちだまき・学芸員)

 

作家別記事一覧:元永定正

Fig.1 タピストリーNo.9 1977

Fig.1 タピストリーNo.9 1977

 

Fig.2 網の中の水玉 1980

Fig.2 網の中の水玉 1980

 

Fig.3 椅子 1976

Fig.3 椅子 1976

 

Fig.4 椅子 1976

Fig.4 椅子 1976

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